今日はちょっと、ほっくりネタです。

 

ああ、世の中は捨てたものじゃない…幸せが伝わってくる小さなエピソードいろいろ(らばQ)

中にはアホなのとか、「それ劣等感の裏返しだろう」みたいなのもありますが(笑

 

人は結構、「与えたい」と思っている

よく、「欲しい、欲しい」とか「優しくして欲しい」、「愛して欲しい」、「お金が欲しい」みたいなことを言う人がいますよね。

そういう人に限って、得られないものなんですが。

私は、人って結構「与えたい」と思っていると思うんですよ。

少し前に、タイガーマスクの名前で養護施設に寄付をするのが流行りましたが、「喜んでもらえる」というのは、人に大きな喜びを与えるものなんですよね。

というのも、それは「誰かの役に立った」と思えば、それだけ嬉しくなるからですね。

 

じゃあ、なんでそんなに与えたい人がたくさんいるのに、「欲しい、欲しい」と言っても得られないのか。

それは、周囲が「それでその人が幸せになる」とは思えないからじゃないかと思います。

例えば「お金が欲しい、欲しい」と言っても、相手にお金を与えたら、何に使うのか、ってことですよね。

多くの人が、「自分が楽をしたいため」だけに求めているような気がします。

会社を辞めて、何もせずに楽をしていたいとか、刺激を味わうためだけに遊びほうけたりするだとか。

 

なら、逆に「私はこういうことを生き甲斐としています。私はいただいたお金をこういうことに使います。それは私をこのように大きく幸せにします」ということを明示できれば、自然とお金は入ってくるんじゃないかとも思ったりもします。

そういう説得力のある「幸せ」を持てるかどうか、ですよね。

そんな場合は、堂々と「欲しい!」と言えばいいかと思います。

そして、同時にできたものを分かち合えばいいわけで。

KickstarterとかIndiegogoとかも、まさにそういう「お金を払いたい人」が動かしているシステムですしね。

 

まとめ

これからの時代は、そういう正当性みたいなものが大切になるんじゃないかなとも思います。

で、ちゃんとした理由があれば、ちゃんとお金も人材も情報も入ってくるでしょう。

まだそれは過渡期でしょうが、近い未来には、ちゃんと成果を出している人が、成果相応に報われる、そういう時代が来るように思えます。

 

だから、着実にいいものを作っている人や、着実に人々に貢献している人ほど、未来は安泰になるでしょう。

「この人はすごいのに、埋もれている」というのは、どんどん少なくなるかなと。

そういう時代になってゆくかな、と思います。

 

ということで、今日は人は結構「与えたい」と思っている、ということについてお話ししてみました。

今日はここまで~。

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