最近は心理学についての、一大マイブームがやってきているので、心理ネタが続いてますが(笑

今日も心理についてのお話で、自分を受け入れる方法、というお話をしてみましょう。

 

「へこたれない」Tシャツが意味する心の叫び

数日前に、近くの観光地に本を読みに行っていたら、女性のマラソンランナーがいたんですよ。

で、その人のTシャツは、いわゆる「メッセージTシャツ」みたいなもので、そのシャツには文字が書かれていたんですよ。

で、その文字が……

「へこたれない」

だったんですよ。

 

ここから分かるのは、その女性ランナーの人からは、「私はよくへこたれる、挫折しやすい人なんです」、「へこたれない強い心が欲しいんです」という心理が伺えるわけです。

だって、へこたれない人は、わざわざ「へこたれない」というメッセージTシャツなんか着ませんからね。

へこたれないことにあこがれるから、「私はへこたれません!」と、わざわざ声を大にして言っているわけです。

別の例で分かりやすく言うと、「自分はすごい奴だ」と本当に心から思っていたら、「俺はすごい」なんて言わないでしょ。

本心では「自分はたいしたことがない」と思っているから、「俺はすごい」というのを誇示する必要があって、だから傲慢になったり、高飛車な態度を取ったり、人を見下したりするわけです。

 

それと同じで、その女性ランナーの人は、自分に自信がないんでしょうね。

そして、へこたれることが悪いことだとも思っていると。

私たちにしてみると、「マラソンで勝てないこと」なんて、どうでもいいじゃないですか(笑

私がマラソンとか出たら、たぶん完走すらできませんからね(笑

で、私たちは別にそれでへこたれても、「悪いこと」だとは思わないじゃないですか。

でも、その女性の人は、「勝てないことは悪いこと」、「勝てないことは自分という価値が奪われること」だと思っているわけです。

 

その「価値観」は、親の価値観であるということ

こういうのは、「自分への不信感」が、それを起こしてしまうんですよね。

「私は、ただ生きているだけではダメだ。何か価値を作り出さなきゃ、生きている資格はない」と思い込んでいるわけです。

私も昔、この強迫観念を持っていたんですが、実はこれは全くの幻想で、そう洗脳されていたようなものなんですよね。

理屈で考えても、鳥とか魚とか、全く価値なんか作り出さないじゃないですか。

それを、人間の狭い視野で「価値を作り出さなきゃ」って言っても、その「価値」って何?みたいな話ですよね。

 

で、その「価値」とは何か、突き詰めて言うと、「『誰か』を喜ばせないといけない」、「『誰か』の迷惑になってはいけない」、「『誰か』の気分を損ねてはいけない」という、極めて限定的な思考なんですよ。

そして究極を言うと、その「誰か」とは、親(もしくは養育者)のことなんですよね。

「親を喜ばせないといけない」

「親の迷惑になってはいけない」

「親の気分を損ねてはいけない」

行動原理が、これなんですよ。

たったこれだけ。

びっくりでしょ。

 

たったひとつの「欲しいもの」

じゃあ、逆に願望の方を見て見ましょう。

へこたれないでいれば、得られるものがあるから、へこたれたくないんですよね。

で、その「得られるもの」を突き詰めていくと……

「ほら、私、こんなにすごいことしたの!」

「ほら、私、こんなに勝って、認められたの!」

「ほら、私、こんなに受け入れられて、お金持ちになって、賞をもらったの!」

その根本にあるのは、たったひとつのことなんですよ。

 

「だから、私を愛して!」

 

親に向かって、「私を愛して! 私を見て! 私を受け入れて!」……これだけなんですよね。

その幼児的願望が満たされないでいるから、大人になっても、ずーっと親に受け入れてもらおうと、「親の価値観」で動いているわけです。

だから、へこたれることは許されない。

負けることは許されない。

「それ」を失うと、きっと私は死んでしまう。

そう思って、無理をして、頑張って、苦しんで、自分の喜びや幸せを犠牲にしてまでも、「その人」のために尽くしているわけです。

 

親は変えられないが、自分の願望は自分で満たすことができる

で、ここでひとつ悪い知らせと、ひとついい知らせがあります。

悪い知らせは、「親は変えられません」、ということです。

その人に受け入れてもらおうとしても、もう永遠に受け入れてもらえません。

自分を見てくれることもありませんし、愛してくれることも、改心することも、ありません。

 

で、いい知らせというのは、親を変えなくても、自分でその幼児的願望を満たすことができます

それは、ただ「愛情が満たされていなかった」と気づけばいいんですよ。

「あの親に、自分の本当の気持ちを理解してもらいたかったのに、理解してもらえなかったんだ」と気づけばいいわけです。

だったら、「理解してもらえなかった」という自分自身の哀しく、寂しかった心を、自分自身が理解してあげることができます。

 

重要なので、もう一度言いましょうか。

自分が自分の本当の気持ちを理解してあげれば、自分を愛して受け入れることができます。

 

つまりは、「へこたれない」とTシャツを着ている人は、自分に嘘をついているわけですね。

自分の本当の気持ちを、理解してあげられていないわけです。

「本当は、へこたれたいのに」

「本当は、別の楽しいことをしたいのに」

そんな本心に嘘をついて、他人の価値観で生きているから、永遠に地獄から抜けられないわけです。

 

そして、走って勝っても、親からは愛されないまま。

走らなくても、愛されないまま。

勝っても負けても満たされないという、まるでハムスターの回し車の中で走っているようなものですね。

まさに、「どうあがいても、絶望」でしょ。

 

走れなくなる前に、回し車から降りよう

外から見たら、分かるじゃないですか。

「その回し車から降りようよ」って。

「私たちは、君がマラソンで勝てなくても、別に気にしないよ。こっち来て一緒にバーベキューでもしようよ」って。

でも、本人は、「いや、ここで負けたら、私はダメな子なんだって負けを認めることになる! だから、負けられないの! へこたれちゃだめなの!」と言うわけです。

回し車の外から見たら、なんと滑稽なことですよね。

でも、本人だけが気づいていないわけです。

「そんなこと、絶対にできません! 許されません! 私の周囲も、社会も、みんな、みんな許してくれません!」と。

 

そして、走って走って、走り疲れて、「もう走れない」となった時、運がよければ回し車から降りられます。

すると、「あ、降りても大丈夫なんだ」と気がつくでしょう。

ただし、あまりにも体力が失われていたら、その人はそこで自殺します

1964年の東京オリンピックで、マラソンの銅メダルを取った円谷幸吉という人がいますが、彼はきっと、マラソンは好きではなかったんでしょうね。

「次のメキシコでは金メダルだ!」と期待されて、そして、彼は頑張って頑張って、最後に「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残して、自殺してしまいます。

 

まとめ

だから、「私、へこたれない!」、「私、負けない!」とか言わずに、さっさとその土俵を降りましょう、ということなんですよね。

つまり、そんな「他人の勝負」なんか、さっさと負けてしまいなさいと。

 

すると、「私は、本当は……」という気持ちに気づけます。

「本当は、こうしたかった」

「本当は、こうされたかった」

それをまるごと受け入れることができたとき、自分が自分の最大の理解者になり、自分を許すことができるわけです。

 

そうすれば、自分を受け入れて、「自分軸」ができるわけですね。

そして初めて自分の人生を生き始めることができると。

 

ま、今日はそういう「へこたれない」Tシャツからの、自分を受け入れるお話をしてみました。

今日はここまで~。

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