今日は、いつもと違って雑学っぽいお話をしてみましょうか。

礼儀を知らない人に、礼儀を尽くす必要はあるのか、というお話です。

 

「礼儀を知らない人」にどう対応するか

「礼儀を知らない人」っていますよね。

いわゆる無礼な人ですね。

敬語を知らなかったり、「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えなかったり、お願いするときに「よろしくお願いします」が言えなかったり、メールで自己紹介ができなかったり、いろいろあるものです。

で、そういう場合、ついカチンと来てしまうわけですが、同時に「いや、自分だけは礼儀をしっかりしないと」みたいに思ったりしますよね。

でも、なんか無礼な人に、こちらが頭を下げたりとか、丁寧に接するとかって、腹立つでしょ(笑

じゃあ、礼儀を知らない人に、礼儀を尽くす必要があるのか、というお話です。

 

で、今回のお話における私なりの結論から言うと、「礼儀を知らない人に、礼儀を尽くす必要などない」ということです。

ただし、「相手と友人になりたい時で、相手が自分のいる文化に入りたいと思っている時」だけは、礼儀を尽くして、同時に礼儀を教えるとよいでしょう、という内容になります。

 

礼儀とは、「コミュニケーションのツール」

そもそも礼儀とは何かというと、礼儀とは、「コミュニケーションを効率化するためのツール」だと言えます。

コミュニケーションをするための、一つの手段だと言うことです。

例えば近所の人とすれ違ったときは、軽くお辞儀をする「会釈(えしゃく)」がありますよね。

これは、「○○さん、こんにちは。今日はいい天気ですね。お変わりはありませんか? ありませんか。ならよかったです。私も元気です。それでは用事がありますので、ごきげんよう」というコミュニケーションを、お辞儀一つで済ませているわけです。

もし会釈がなければ、わざわざ毎回上記のメッセージのやりとりをしなきゃいけなくなるんですよ。

これって、すっごく面倒ですよね。

だから、「会釈」というツールで、コミュニケーションを効率化しているわけです。

 

敬語も同じで、「おお、大いなる先達の人よ! 私は貴方を尊敬している!」という目上の人に対するメッセージを省いて、言葉中に敬意を含ませる、という効率化をしてますよね。

言葉遣いとか、お辞儀をするとか、メールの書き方とか、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉も同じで、コミュニケーションを円滑に進めるための、一つのツール、表現方法だということです。

それは言うなれば、「日本語」とか「英語」、「ジェスチャー」、「表情」みたいなものと同列のものです。

相手にメッセージを伝えるための手段である、ということです。

 

だから、コミュニケーションがうまく行けば、礼儀はどっちだっていいわけです。

会釈をせずとも、毎回「○○さん、こんにちは。今日は~」と言っても、面倒ではありますが、「伝わればいい」ですよね。

敬語がなくても、フランクな話口調でも、相手に「私は貴方を心から尊敬しています」と伝えることはできるんですから。

お願いするときも、感謝するときも、謝罪するときも、「礼儀」は一つのツールでしかなく、手段なわけです。

目的は、コミュニケーションなわけですね。

 

礼儀とは、一つの「言語」

そんな風に、礼儀とは、一つの「言語」だと思えばいいでしょう。

例えば私たちは、大人同士でフォーマルな場なのに、相手が敬語を使わなければ、カチンと来ますよね。

でも、相手が見るからに外国人で、カタコトの日本語をしゃべる人だったどうでしょう。

敬語でなくても、別に意識はしませんし、十分に許せますよね。

というのも、相手は日本の文化を知らない人だから、「敬語」という礼儀がなくったって当然だと思うからですね。

 

他にも、何かお礼をしようとしたとき、相手が外国人なら、「日本のように、相手宅に菓子折を持って行くのでいいんだろうか?」とか思うでしょ(笑

会釈だって、おじぎだって、外国では通用しないことも多いものです。

アメリカとかでは、黙って会釈よりも、「Hello!」とフランクに挨拶する方が礼儀ですし。

 

すなわち、礼儀というのは、「この礼儀は、こういう意味がありますよ」という常識を双方が持っていて、初めて機能するわけです。

相手がそのルールを知らなければ、礼儀をしたって意味がないんですよ。

言語と同じで、コミュニケーションが成立しないと。

文化が違う人には、礼儀を尽くしたって伝わらないわけです。

 

だから、礼儀を知らない人に、礼儀を尽くしたところで、意味がないんですよ。

私たちは日本という島国に住んでいて、単一民族で、しかもみんな日本語を使っていて、宗教観も文化も似たようなものなので、ついみんな同じだと思いがちですよね。

でも、実は文化は違うんですよ。

 

人に何かを頼むときに頭を下げない人というのは、そういう文化がない人です。

相手の事情を考えずにずけずけと言う人には、相手を敬う、相手の立場を考慮するという文化がない人です。

だから、わざわざこちらが丁寧に接する必要などなく、尽くす礼などありません。

礼を尽くしたところで、無意味なんですから。

ストレスが溜まるだけ、嫌でしょ(笑

だから、無礼には無礼で返していいわけです。

もちろん、ストレスが溜まらないのであれば、礼を尽くして対応しても構いません。

 

コミュニケーションができない人とコミュニケーションをしようとするのは無駄

また、コミュニケーションができない人とコミュニケーションをしようとするのは無駄だと言えます。

例えば、英語しか話せない相手に、日本語で伝えようとしても、相手は理解不能で応答しようがないわけです。

英語しか使えない人に、日本語で伝えたって、理解できないんですから。

文字を読めない人に、メールや手紙で伝えても、理解できないわけです。

 

それと同じで、「自分の文化に合わない言語や方法」で伝えられても、戸惑うだけで、答えられませんよね。

無礼な方法というのは、この「自分の文化に合わない言語や方法」の一つである、と言うことです。

戸惑うだけで、答えられないと。

だから、無礼な人には、答える必要などありません。

「最低限、日本語しか受け付けられないの。ごめんね」と切り捨てるのと同じように、「最低限、この礼儀(方法)でしか受け付けられないの。ごめんね」で切り捨てるのでいいんですよ。

「私はこれしかできない」という幅を狭めるほど、その分可能なコミュニケーションの方法は狭まりますが、それを受け入れられるのであれば、問題ありません。

 

よくあることで、「メールはちゃんと返信するのが礼儀」とか「一人一人、丁寧に、平等に応対するのが礼儀」とかありますよね。

でも、無礼な人にはわざわざメールやツイートでの返信をする必要などもありませんし、構うことすら必要ありません。

無礼には無礼で返していいということは、「いちいち構わなくてもいい(=無礼で返す)」ということです。

だから、放っておけばいいんですよ。

 

敬意があれば、コミュニケーションは成立する

もし相手が心から敬意を持っていたり、愛情を持っているのであれば、無礼でもちゃんとその心は伝わりますから。

私も制作がらみで海外の人と一緒に作ったことがありますが、英語だろうが中国語だろうが日本語だろうが、互いにカタコトでもちゃんと伝わりましたから。

他にも、過去のうちのスタッフさんには、「会うと言葉をしゃべれない人」という性質を持つ人もいたんですよ。

メールなら書けるんですが、言葉でしゃべることができないと。

その人は、「……ぁ」とか、「……ぅ」ぐらいしか言えないわけです。

それでも私と彼とはいい仲で、みんなで飲み会にもよく行ったものです。

彼は微笑んでうなずくだけだったんですが、それでも「一緒にいて楽しいです」という気持ちがすごく伝わってきましたからね。

言葉がなくても、コミュニケーションができればいいんですよ。

 

困っている場合は、「こういうことで困っています」と伝えることもできるでしょう。

すると、礼儀がなくとも、相手に敬意を持ちながらも語れば、相手は聞いてくれるものです。

 

言い換えると、「敬意がない人」というのは、「コミュニケーションができない人」とも言えるかもしれません。

日本語ができても、コミュニケーションができない人はいますからね。

逆に、たとえ言葉を発せられないという性質を抱えていたとしても、コミュニケーションができる人は、ちゃんとできますから。

日本語ができるとか、英語がしゃべれるとか、マナーを知っているとか、礼儀とか、それらも重要ではありますが、それらは一つの手段でしかないわけです。

コミュニケーションそのものが重要なんですよね。

言うなれば、誠意とか敬意とか伝えたい意志があれば、コミュニケーションは成り立つものなんですよ。

 

無礼な人は、「異文化の人」だと思えば寛容になれる

で、無礼に対して寛容になるには、無礼な人がいたら「この人は異星人だ」と思えばいいでしょう(笑

日本の文化を知らなさそうな外国人なら、少々の無礼でも気になりませんよね。

それにさらに拍車をかけて、他の星に住む、全く違う文化の人だと思うわけです。

すると、無礼には無礼ですんなりと対応できて、ストレスも軽減されるでしょう。

 

私の場合、メールで、メールの書き方ができていない人は、一律で「この人は高校生だ」と思うようにしてます。

いや、これは実際にあったんですよ。

制作がらみでメールのやりとりをしていて、あまりにも書き方がなっていないので、叱ってしまったわけです。

だったら、相手は「ごめんなさい。高校一年生なんです……」と。

私はその瞬間、「高校生にはこのマナーはハードル高かった!」と反省して、逆に私の方が「強く言ってしまってごめんなさい」ってなっちゃったわけですが(笑

メールだと顔が見えないので、一律「この人は高校生だ」と思えば、少々の無礼も気にならなくなります。

 

で、相手と友人になりたくて、そして相手が自分の文化に入りたいと思っている時に限り、礼儀を教えてあげるといいでしょう。

「ここでは、こうするのが礼儀ですよ」と。

すると、相手もすんなり受け入れることでしょう。

 

まとめ

だから、礼儀を知らない人には、礼儀で対応する必要などありません。

「伝わりさえすればいい」んですよ。

で、コミュニケーションができない人には、コミュニケーションを返す必要もありません。

通じない人に通じさせようとするだけ、無意味です。

ただ、「相手と友人になりたい時で、相手が自分のいる文化に入りたいと思っている時」だけは、礼儀を尽くしたり、礼儀を教えてあげるとよいでしょう。

 

こう考えると、結構楽になれるんじゃないかなと思います。

 

ということで、今日は無礼への対応の仕方についてお話してみました。

今日はここまで~。