昨日に引き続き、人間心理についてちょっと語ってみましょう。

今日は、「結構多くの人が、幸せよりもお金を求めている」、というお話です。

 

お金と幸せと、どちらが欲しいか

これは私の予想なんですが、結構多くの人が、幸せよりもお金を求めていると思うんですよ。

「幸せなんかいらないから、お金をくれ」と言っているように思えます。

 

例えば、「この心を穏やかにする方法を身につければ、比較的すぐに心を落ち着けられる。それを一生使えば、一生ずっと、大きな幸せを味わえる」というノウハウがあったとしましょうか。

でも、「そんな『心を穏やかにする方法』と、『一万円』と、どちらか好きな方を選んでください」と言うと、結構多くの人が一万円の方を選ぶと思うんですよ。

食べるものにも事欠く人なら一万円を選ぶのは分かりますが、定収入があって安定しているような人でも、結構な率で一万円を選ぶんじゃないかと予測するんですが。

で、その人がその一万円を使うのも、だいたいたいしたことに使わないと。

言うなればこれは、「幸せよりもお金を選んでいる」と言えますよね。

 

私の知っている人で、お金を稼ぐノウハウを教えている人がいるんですよ。

その講師は、講座に入る前に、「お金だけを求めてもダメだ。重要なのは目的だ。幸せになることが大切だ」ってことあるごとに言っているわけです。

でも、なんでそこまで言わなきゃいけないのかというと、受講する側は「そんなご託はいいから、さっさと楽に金儲けできる方法を教えろや」って態度だからなんですよね。

すなわち、「幸せなんかいいから、金が欲しい」ということですね。

 

一方で、私の教材を買ってくださってるような方は、お金よりも幸せの方を重視するタイプなんですよ。

だいたい、私みたいな有名でもなんでもないような人の本や教材を買ってまで学ぶとか、「普通の人」はしませんよね(笑

それは、「長期的に見れば、本の値段よりも、自分が得られる幸せの方が大きい」と判断しているから、買っているんじゃないかと思います。

 

「時間の概念」があると、「未来の利益」を含めて考える

なんでこんな違いが出るのかと考えてみると、「時間の概念」の強さなんじゃないかな、と予測したりもします。

先の例でも、「心を穏やかにする方法」と「一万円」では、どちらが価値があるのか、ということですよね。

目先でしか見えないと、一万円を選んでしまうと。

でも、「一生」という長期的なくくりで見れば、自己投資する方がいいものですよね。

 

例えば投資で言うと、「複利」というものを知っている人は多いかと思います。

お金を投資して複利的に増やせば、最初は小さくても、後々どんどん大きくなっていくわけです。

だから、お金がない人ほど、投資を学んだ方がいいんですよ。

 

そして投資には、当然「自己投資」も含まれます。

投資をしない人ほど、「投資」と言うと、株とか債権、不動産を考えるものですが、最大の投資は「自己投資」なんですよ。

すると、自分に投資していれば、将来複利的にお金が「ついてくる」ようになるのはわかりきっているわけです。

でも、現実の世の中では、「それよりも(自分が刺激を味わうための)金だ」みたいな人は多いですよね。

 

フランスの社会実験で、こういうものがありました。

それは、街中で増えたホームレス対策のために、ホームレスたちに住居費として、一定額のお金を支給したって言うんですよ。

そのお金を使えば十分に部屋を借りることができるので、ホームレスは激減するだろうと見込んでやったわけです。

でも実際は、ホームレスは全然減りませんでした。

というのも、彼らはお金をもらったら、もらった二日間ぐらいで超豪勢な食事をして、全て使い切ってしまって、ホームレスに舞い戻っていたんですよね。

 

まさにこれと同じように思えます。

「時間の概念」がないから、「幸せなんかいらないから、目先の金が欲しい」となるように思えます。

 

目的がないから、長期的に考えられない

これは裏を返すと、「目的」を持たないから、長期的に考えられないんじゃないかと思います。

「人生でこれを成し遂げたい」というのがあれば、自然とそれに向かって考えますよね。

でも、それがないから、刹那的な行動に走ると。

そもそも、「未来を考える必要」すらないんですから。

 

彼らはある意味、「幸せなんかいらない」と心から思っているような気もします。

「幸せなんかいらないから、お金をくれ。お金があれば、刺激を味わえる」と。

そして刹那的な刺激を求めて、お金がなくなればサラリーマンに戻って、好きでもない仕事をして、不健康自慢をして、目的もなく、人生を終えてゆくと。

 

でないと、不健康自慢とかしませんよね(笑

「健康が幸せ」と思っているのなら、人間ドック前だけ禁酒して、「ギリギリ数値が適正値に入っていてよかった」とか言わないでしょ(笑

健康が欲しいなら、むしろ前日も酒を飲んだ状態で人間ドックを受けて、「こんな日常で大丈夫かな?」とチェックするものですから。

いわば、彼らは「健康なんかいらないから、酒を飲みたい」なんですよね。

「未来なんかいらないから、ドラッグでトリップしたい」というマインドと同じです。

 

目的がないから、時間の概念も失われて、刹那的に生きるようになるんだと。

そしてこれは私の感覚ですが、社会維持型の人ほど、こういう「幸せを求めない人」が多いような気がします。

 

まとめ

私はずっと、「世の中全ての人が、幸せを求めている」と思ってたんですよ。

でもなんだか、最近は「そうではないな、幸せを求めない人もいるんだな」と感じるようになってきました。

より正確に言うと、彼らにとっては、「現状維持をしつつ、刹那的に金を得て、それで刹那的な刺激を得る」というのが、「幸せ」なのかもしれません。

「幸せ」の定義が違うわけですね。

 

いや~、いろんな「幸せの形」というものがあるものですね。

そう考えると、むしろ普通の人から見ると、私の持つ「幸せ」の方が、特異になりそうな気もします。

多くの人は、それで幸せだったんだなと理解できるようになった感じです。

 

だから、彼らに「目的を持とうよ」とか、「こうする方がいいよ」と自分の「幸せの形」を押しつけるのは、彼らを幸せにはしないかもしれないな、と感じるようになりました。

「私のノウハウは、求める人にだけ与えればいいや」と考えるようになったんですよね。

「むしろ、求めない人には、与えない方がいいな」と。

「幸せなんかいらない、お金さえあればいい」という人には、わざわざ「私が思う幸せ」なんか与えなくてもいいんじゃないかなと。

 

与えるものがあるとすれば、「幸せがあると嬉しい」という姿を見せるぐらいでしょうかね。

それぐらいでちょうどいいのかな、とも思うようになりました。

 

ということで、今日は「結構多くの人が、幸せよりもお金を求めている」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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