あやえもブログ 2016-12-17T08:50:24+00:00

2016年 12月21日

「主人公がいきなり最強の力を持つ」ってのもいいですよね、というお話

By | 2016年 12月21日(水)|Categories: スピリチュアル|「主人公がいきなり最強の力を持つ」ってのもいいですよね、というお話 はコメントを受け付けていません。

今日は精神的なお話です。

「主人公がいきなり最強の力を持つ」ってのもいいですよね、というお話をしてみましょう。

 

漫画「異世界薬局」が面白かった

中学~高校生ぐらいの男の子向け物語では、「異世界もの」がはやりやすいですよね。

私は異世界ものは守備範囲外だったんですが、たまたま見た異世界ものの漫画が面白かったので、ご紹介。

異世界薬局(Comic Walker)

今のところ、第2話まで公開してます。

 

「主人公がいきなり最強の力を持つ」というシチュエーション

最近に限りませんが、異世界転生ものって、「主人公がいきなり最強の力を持つ」ってシチュエーションが多いですよね。

この「異世界薬局」では、主人公が現代の薬学者だったのが、異世界に転生してしまします。

でもその異世界では、中世的な古い医学ばかりで、ろくな薬がないと。

なので、そこから主人公が現代の知識や科学力を発揮して、その世界で英雄になっていく……という流れです。

 

こういうのって、だいたいが現代の科学力や知識を、過去の世界とか別世界で発揮することになる展開が多いように思います。

例えば漫画「信長のシェフ」でも、主人公は現代のシェフですが、信長の時代にタイムスリップして、料理の能力を発揮する流れです。

漫画「仁」でも同様に、現代の医者が、幕末にタイムスリップして活躍する流れになります。

私は見たことないんですが、自衛隊が戦国時代にタイムスリップしたり、異世界に飛ばされる作品もあったような気がします(笑

 

「努力する」というモチーフは、もう古い

さすがに最近は言われなくなりましたが、5~10年ぐらい前には、「最近の若者向け物語は、主人公が努力しなくなった」ってちょくちょく言われてましたよね。

実際に、「努力する」というモチーフは古くなったように思います。

まあ、もちろん「努力して勝利する」というモチーフは、これからもメジャーの8割を占めるでしょう。

でも、「主人公がいきなり最強の力を持つ」という設定でも、「努力をしない」と言われることはもうないかと思います。

 

で、ふと思ったんですが、この「主人公がいきなり最強の力を持つ」っていう発想は、以前私が説明した「能力が低い人たちに分かち合うと、自信が得られる」、というお話そのままじゃないかと思います。

私たちは「既に何らかの能力を持っている」わけです。

でも、「私たちのいる社会」では、たいしたことがないレベルだったり、一流だとは言えない程度のものだと。

だから、私たちは「もっと頑張らなきゃ」とか「認められたい」、「新人賞が欲しい」とか思うようになるわけですが。

 

私たちも「異世界に移動して、いきなり最強の力を持つ」ことができる

でも、実は私たち自身も、「異世界に移動して、いきなり最強の力を持つ」という異世界転生ができるわけです。

ただし、ここでの「異世界」は、「自分よりもレベルの低い社会」になります。

例えば絵や漫画が得意だったとして、「ここは絵や漫画レベルが低いな」って場所がありますよね。

それを、「自分が手助けできる場だ」と見なすか、それとも「レベルが低くて魅力がない」と見なすか、ということです。

 

で、「自分が手助けできる場だ」と思えれば、その社会の人たちから英雄として扱われると。

一方で、「もっとレベルの高い人たちがいる場に属したい。新人賞を取って、あこがれの人と一緒の舞台に立ちたい」と思うと、「レベルの低い場所は、くだらない」となってしまいます。

そして、「レベルの高い世界に居続けなきゃ」となって、どっぷりと競争に明け暮れていくわけですが。

 

努力しなくても、いきなり最強になっていい

そう考えると、先に紹介したような異世界転生もので、「主人公がいきなり最強の力を持つ」っていうのは、結構いいモチーフのような気がします。

いきなり最強になっていいんですよと。

 

現代の中途半端な薬学者や医者でも、中世や幕末に行けば、いきなり英雄です。

それと同じで、この地球上には未だに劣悪な環境で、ろくな薬を得られないような地域はあるものです。

それは紛争地帯だったり、難民キャンプなどになるかもしれません。

まあそこまで極端な場所でなかったとしても、もう少し「劣った場所」というのはどこにでもあるかと思います。

 

なら、そこに行って、貢献すればいいだけです。

自分よりもレベルが低い場の人たちに、自分の能力を分かち合えばいいと。

すると、リアルで「異世界に転生して、英雄になる」と同等な生き方を味わえるわけですね。

 

まとめ

そんな風に、私たちもどんどん、そんな「異世界」に出向いてみるのもいいんじゃないかと思います。

そういう場所は、必ずあるものです。

で、そういう場所にいる人からすると、私たちの感覚で言う「中途半端な能力」だったとしても、「是非来てください! 喜んでお迎えに上がります!」というような貴重なものになるわけです。

 

すると、自分の力でも十分に貢献できて、喜んでもらえる場所が目に入ってくるようになるんじゃないかと思います。

 

ということで、今日は「主人公がいきなり最強の力を持つ」ってのもいいですよね、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

2016年 12月20日

まじめな人は、どうすれば要領よく手を抜くことができるのか、というお話

By | 2016年 12月20日(火)|Categories: スピリチュアル|まじめな人は、どうすれば要領よく手を抜くことができるのか、というお話 はコメントを受け付けていません。

今日は精神的なお話です。

「まじめな人は、どうすれば要領よく手を抜くことができるのか」、というお話です。

 

要領のいい米兵さんの光景

ちょっとした出来事があったので、ご紹介。

うちの窓から米軍基地の内部が見渡せるんですが、早朝にはよく米兵さんが列を作ってランニングしてるんですよ。

で、先日、たまたまその中で「この人は要領がいいな!」と思った人がいたんですよね。

 

それはどういう人なのかというと、12人ぐらいの分隊でランニングしていたんですが、だいぶゆっくりめのジョギングだったんですよ。

先頭を走っている隊長らしき人が何か語っていたので、ペースを落としながら、ありがた~い精神訓話でも話しながら走っていたんだろうと思います。

なんとなく、続いている隊員たちからは、うんざり系な雰囲気を感じられつつ(笑

 

で、その人は列の一番最後尾にいたんですが、その人は後ろに誰もいないことをいいことに、思いっきり歩いていたんですよ(笑

まさに、「やってられんわ」みたいなノリで(笑

 

そんな光景を見て、「この人は要領がいいな!」と思ったわけです(笑

誰も見てないから、歩いたって全然ばれないと。

もちろん、怒られない程度に、ですよ(笑

 

どうすれば、要領よく手を抜けるのか

嫌なこととか、「やってられんわ」みたいなことって、ありますよね。

そういう場合でも、私たちはついまじめに完璧にこなそうとしてしまうことがあるじゃないですか。

私がまさにそうなんですが、このブログを見ている人も、何でもまじめに完璧にこなそうとするタイプが多いかと思います。

先の米兵さんのように、なかなか「最後尾だから、歩く」ことができないタイプなんだと。

 

すると、嫌なことなのに頑張ってしまって、疲弊してしまうわけです。

さらにはそれで成果を出せなかったり、批判されたりしたら、もうがっくりきますよね。

嫌なことは、頑張れば頑張った分、ダメだった場合にはショックは大きくなるわけで。

じゃあ、どういう考え方をすれば、要領よく手を抜けられるのか、ということです。

 

手を抜くよりも、むしろ「自分なりの生き方」に真剣になる

結論から言うと、「自分なりの生き方」に対して真剣になればいいかと思います。

普通、要領よくしようとすると、「どうやって手を抜くか」ということを考えるものです。

でも、私たちみたいなまじめなタイプは、手を抜くことを考えると、「人生の質」が落ちやすいんですよね。

 

それならいっそ、もっとまじめになることで、要領をよくすればいいわけです。

それが、「自分なりの生き方」に真剣になる、ということです。

そうすれば、「他人が言うこと」よりも「自分の価値観」を大切にしますからね。

 

例えば私の場合でも、会社勤め時代、飲み会とかはほぼ全て断っていました。

それはのらりくらりとかわしていたのではなくて、むしろ「真剣に、ばっさりと切り捨てていた」という感覚です。

だって、当時の私は「独立して生きる」ということに真剣になっていたので、少々のことはばっさりと切り捨てられたんですよね。

同じように、今は「ただ『在る』だけの生き方」をしているので、「しんどいことはやめよう」と、ばっさり切り捨てることができていたりします。

 

まじめな人は、「世間の教え」は聞かなくていい

よく言うことですが、世の中には「他人を変えようとするタイプ」と「自分を変えようとするタイプ」が8:2ぐらいの割合で構成されています。

だから、世の中の教えは基本的に、メジャーな「他人を変えようとするタイプ」に向けたものなんですよ。

 

で、「自分を変えようとするタイプ(まじめなタイプ)」が、そういう「他人を変えようとするタイプ」向けの教えを受けると、全くの逆効果になることがほとんどです

例えば「まじめにやれ」とか「怠けるな」、「この会社でダメなら、他に行ってもどれもダメ」、「最低3年は頑張れ」、「本気でやれば何でも好きになる」とか言うじゃないですか。

でも、自分を変えようとするタイプは、常にまじめに取り組みますからね。

手を抜くことを知らずに、常に全力です。

 

「社会の教え」につぶされない

だから、そういう人が「頑張れ」とか言われると、極限まで自分をすり減らして適応しようとするんですよ。

このブログを見ている人は、まさにそういうタイプでしょ。

 

一方で、「他人を変えようとするタイプ」の人は、自分は何も変えずに、人を否定して変えようとするわけで。

なら、そういう「他人を変えようとするタイプ」の中で、一人だけ「自分を変えようとするタイプ」がいたら、もう地獄を見るのは目に見えています。

周囲からの(ほぼ無責任な)批判や要望に、真剣に自分を変えようとして、身が引き裂かれるような思いをしていくと。

それは会社であろうと、学校であろうと、家庭であろうと同じです。

 

まとめ

なので、まじめなタイプの人は、手を抜くよりもむしろ「自分なりの生き方」を考えれば、要領の良さは生まれてくるんじゃないかと思います。

要領よく生きようと思うと、どうしても「どうやって手を抜くか」を考えがちです。

でも、それだと自分の生き方に対するパフォーマンスが落ちるんですよね。

 

それならむしろ、むしろ「他の人の要望」よりも、「自分の生き方」に対してもっとまじめになることで、必要ないことはばっさりカットできるかと思います。

真剣になればなるほど、どうでもいいことは、ばっさりと切り捨てられます。

ダメでも納得できますし、立場が悪くなっても受け入れられます。

すると、だいぶ楽に生きられるようになるんじゃないかな、とも思います。

 

ということで、今日は「まじめな人は、どうすれば要領よく手を抜くことができるのか」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

2016年 12月19日

魂の声を聞く、というお話

By | 2016年 12月19日(月)|Categories: スピリチュアル|魂の声を聞く、というお話 はコメントを受け付けていません。

今日は、思いっきりスピリチュアルなお話をしてみましょう。

「魂の声を聞く」、というお話です。

 

「魂が叫ぶ」ことを聞く、という感覚

先日、とあるお方とやりとりしていたんですよ。

で、私が「魂が叫ぶことをやればいい」と伝えたら、そのお方は「魂が叫ぶことなんて分からない」みたいな反応があって。

 

それでふと、この「魂の声を聞ける」という状態にある人って、結構少ないのかな?と思ったり。

 

魂が私(我)を導く、という感覚

自発的に行動を起こしているクリエイターさんなら、「魂が叫ぶ」とか「魂が語る」という、この感覚分かるかと思います。

もう「これをしろ!」みたいな感じで、思いっきり体を突き動かしますよね(笑

それとか、自分にとって必要なものを見つけたとき、「これだ!」と叫んだりとか。

 

ああいう衝動って、まさに「魂が叫ぶ」とか、「魂が語る」って感覚じゃないですか。

で、「自分以外の何かが、自分を突き動かす」みたいな、「導かれる感覚」ですよね。

 

「魂」と「私(我)」は別のもの

ちなみに、「魂」と「私(=我)」は別のものなんですよ。

というのも、「私(我)」は価値観の体系でできているんですが、魂はその価値観とは全く別のことを言うことがほとんどです。

例えば私の場合、「ゲーム制作をしろ」と魂が語った場合、それまでの私はゲーム制作なんかしたことないわけです。

それまでは、絵とか小説とか、作曲とかプログラムとかをしていたわけで。

 

だから、「魂」と「私(我)」は違う価値観を持っていると分かります。

何というか、私の中に、私とは別の絶対的な価値観があって、それを魂と呼ぶ、みたいな感覚です。

 

魂の声に、素直に従う

で、私(我)はその声にただただ従っている、という状態ですね。

よくよく考えると、私はずっと、この魂の声に従ってここまで導かれたような気がします。

「魂の声」が聞けるようになったのは、私が大学に入って、独り暮らしを始めた頃からですね。

魂の声を聞くのは、たいてい一人きりでいる時です。

 

で、私は魂の声に結構素直なんですよ。

別に魂の声に従えば億万長者になれたわけでもないし、大成功したわけでもないのに、なぜか従ってしまうと。

 

最近だって、「ただ『在る』という生き方だけでいい」という情報に触れて、私の魂が「これだ!」と叫んだわけです。

今までの私はずっと、「長期計画を立てて、着実に行動する」というのを信条にしてました。

そんな信条を簡単にひっくり返せるぐらい、「魂の声」には従う、みたいな感じです。

それぐらい信頼しているというか、その情熱には逆らえないし、逆らおうともしない、みたいな感覚ですね。

 

魂の声が、安心をもたらしてくれる

まあ、時々その声が聞こえない時期もあるにはあるんですが(笑

私は過去に2回ぐらい(だいたい半年ぐらい聞こえない状態が)ありましたが、やっぱりそういう時期は焦るわけで(笑

 

だからある意味、私にとって「最も苦しい状態」というのは、そんな「魂の声が聞こえない状態」じゃないかと思ったりもします。

先日も「一生の中で、今年が一番苦しかった一年かも」と言いましたが、実はこの家に引っ越してきてから、しばらくその声が聞こえなかったんですよね。

でも、最近ようやく聞こえて、「ああ、よかった、こっちでいいんだ」と安心したり。

 

まとめ

「魂の声」というのは、私にとってはそれぐらい安心できる方向性だったりします。

その声があるから、今まで全く経験がない領域でも、「面白そう」で参入できていたんじゃないかと思います。

 

今もまさにそうで、新しい方向性に着手しているんですが、さほど恐怖心なく参入できてますからね。

いや、でももう全くの素人状態で、失敗し続けなんですが(笑

それでも、なんとなく「こっちでいいかな」と安心して進めたりもします。

たとえそれが、今まで魂が語っていた方向とは正反対の方向だったとしても、すんなり受け入れられると。

 

う~ん、分かる人には分かると思うんですが、分からない人にはさっぱり分からない感覚かもしれません(笑

これが分かれば、安心して進める方向が分かるんじゃないかなと思います。

 

ということで、今日は「魂の声を聞く」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。