今日は、精神的なお話をしてみましょうか。

「目の前で起こる現実は、心の内面を映し出す鏡」を分かりやすく説明してみましょう。

 

「目の前で起こる現実は、心の内面を映し出す鏡」の意味とは?

精神的な本とかでは、よく「目の前で起こる現実は、心の内面を映し出す鏡だ」みたいに言われますよね。

自分の内面が、今の現実を作り出しているんだと。

「いや、あの人の性格は私が作ったのとちゃうぞ」とか「世界で起こる戦争は、私が作ったのとはちゃうやろ」とか思うかもしれませんが、それとはちょっと違うんですよ。

そこで、「外の世界は自分の内面を映し出す鏡」とは、どういう意味なのか、それを説明してみましょう。

 

例えば「自分は誰からも愛されない」と思っている人がいるとしましょうか。

そういう人は、大抵「誰も自分を本当に愛してはくれない」と思うような環境にいるものなんですが。

じゃあ、もし仮に、いきなり周囲の人が「君を愛している!」みたいに言い始めたらどうでしょう

男も女も、老人も子どもも、みんなが「アイラブユー!」とか「ジュテーム!」とか言うわけです(笑

 

で、いきなりそんな「みんなが自分を完全無欠に愛している」という環境に放り込まれて、「それがみんなの本心である」と信じられるでしょうか?

なんか非現実的で、ありえないですよね。

すると、その人は「絶対にみんな、嘘をついている」と感じるわけです。

 

なら、その人は「嘘を明かしてやろう」と、わざと人が嫌がるようなことをし始めます。

「私のことが嫌いなんでしょう? ほら、これでも嘘をつき続けられるの?」みたいに。

それでも愛されると、どんどん嫌がらせをエスカレートさせてゆきます。

その人が嫌なことを的確に見抜いて、相手の嫌なことをこれでもかと実行してゆきます。

そして最後に嫌いになられて、「ああ、やっぱりみんな、私を愛さないんだ。安心」と落ち着くわけです。

 

本当は、周囲はすっごい愛していたにもかかわらず、自分から「自分は嫌われていることを証明する」ために動いていると。

なぜかというと、「自分で自分が愛される人だ」と信じていないからですね。

そして、好きな人や愛してくれそうな人と出会うチャンスがあったとしても、「どうせこの人も私を裏切る」、「どうせ私には無理だ」と感じて、チャンスを自分から手放すと。

こうしてその人は、誰よりも愛されることを望みながらも、「誰も自分を愛さない環境が私らしくて、一番信頼できて落ち着く」となってしまうわけです。

 

「自分は愛される人だ」と思っていたら、愛を見つけられる

もし「自分が愛される人だ」と思っていたら、わざわざ相手の嫌がることなんかしないわけです。

「アイラブユー!」と言われると、「ありがとう!」で返せるんですよ。

すると、その人は相手にとっての嫌なことをせずに、相手もその人を嫌いにならずにいられて、両方が満足できると。

 

すなわち、「あの人には、こうすると嫌われる。こうすると、好かれる」という条件が分かってくるので、素直に好かれる手段を選べるようになると。

言われてみると、シンプルで単純なことですよね。

でも、「私は愛されない」と信じ込んでいる人は、愛されていても「愛されているはずがない、あの人は私に嘘をついている。私がそれを証明してやろう」としてしまうわけです。

こうして、全ての人から嫌われてしまう現実を作り出してしまうと。

 

だから、「外の世界は、自分の内面を映し出す鏡」ということですね。

これは愛情だけでなく、お金でも人間関係でも、幸せでも同じです。

「私は愛されない」という思いが「人から嫌われる行動」を生み出すのと同じように、「私は裕福にはなれない」という思いが「お金から嫌われる行動」を生み出す、ということになります。

 

まとめ

だから、豊かになりたければ、「私は豊かになれない」という勝手な思い込みがあることに気づいて、「そういやこれって、勝手な思い込みだよな」と分かればいいだけです。

すると、豊かさから愛されていることに気づけるようになって、自分の周囲にある豊かさにアクセスできるようになる、ということです。

楽しいことも見つかりますし、お金になることも見つかるようになります。

 

こういう風に考えると、自分の思い込みに対処しやすくなるんじゃないかな、と思います。

 

ってことで、今日は「目の前で起こる現実は、心の内面を映し出す鏡」を説明してみました。

今日はここまで~。