異質なものに触れれば、「異質なものでいい」と感じられる、というお話

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異質なものに触れれば、「異質なものでいい」と感じられる、というお話

今日は、日記っぽい精神的なお話です。

異質なものに触れれば、「異質なものでいい」と感じられる、というお話をしてみましょう。

 

今住んでいる場所は、アメリカ人比率がすごかったり

この家に引っ越してきて、10ヶ月ぐらいになりました。

まぁ何度も言っていることですが、今私が住んでいる場所は米軍基地のすぐ隣、しかも正門付近なんですよ。

いわゆる、日本でも最も外国人(というかアメリカ人)比率が高い地域の一つですね。

部屋の窓から見える景色は全部アメリカ人、いつも通る道(正門前)もアメリカ人だらけなので、実感としてはアメリカン:日本人が6:4ぐらいの感覚です(笑

 

まあ、以前住んでいた場所も基地のすぐ近く(数百メートル離れた程度)だったんですよ。

でも正門付近に引っ越してきてから、もう段違いにアメリカ人比率が高くて笑えるぐらいです(笑

 

こういう場所に住んでいると、異質なものに慣れてきて、小さいことはどうでもよくなりますね。

すなわち、異質なものに触れれば、「異質なものでいい」と感じられるようになる、ということです。

 

最近、「顔の善し悪し」が分からなくなってきました

例えばここでは、白人もいれば黒人もいるんですよ。

すると、最近は「顔の善し悪し」ってよく分からなくなってきました

だって、黒人とかみんな同じような顔に見えますからね(笑

黒人のハンサム顔と不細工顔って、よく分からないんですよ。

 

すると、日本人の顔の善し悪しも、なんか分からなくなってきたり。

だって、アジア系の顔と、ヨーロッパ・アメリカ系の顔と、アフリカ系の顔と、もう形が違いすぎるわけじゃないですか。

なら、顔はただの「違いを表す記号」でしかないように感じられるようになったんですよね。

美男美女とか言いますが、あれは結局「平均的な顔」でしかないわけです。

それは「平均的かどうか」であって、「善し悪し」とは違うわけで。

 

ほら、例えば少女漫画でも、一人の作者が描く男性キャラって、だいたい全部似たような顔立ちになるじゃないですか(笑

なので、新キャラが登場した瞬間は、「顔単体」を見てもそのキャラが格好いいキャラか、地味キャラかはよく分からないでしょ。

でも、キラキラ~と輝いている表現があったり、花が咲き乱れていたり、周囲から「格好いい!」という声が上がることで、初めて「ああ、このキャラは格好いいキャラなんだ」と理解できますよね。

それと同じような感覚です(笑

顔単体を見ても、その人物がハンサムなのか不細工なのかが分からなくなると。

 

正確性なんて、どうでもいい

これは言葉でも同じで、例えば窓から聞こえる会話もほぼ英語ですし、英語で話している人たちとすれ違ったりするわけです。

当然ですが、英語と日本語では、単語も韻もリズムも違います。

すると、日本語のうまさとか、語彙力とか、正確な発音とか、リズムとか、分からなくなるんですよね。

 

なら、「正確な表現とか語彙力なんてどうでもいいから、伝わればいいや」みたいな感覚になると。

何というか、多くの英単語や正確な発音を知っているよりも、「グッモーニン!」と「ハロー!」を心地よく言えるかどうかの方が大切なように感じたりもします。

 

これは、礼儀でも同じです。

私の隣に住んでいる家族はアメリカ人家族なんですが、ふと出会って挨拶をする時に、文化の違いが出るんですよ。

日本人は出会うと無意識にお辞儀をしますが、アメリカ人は無意識に「ハーイ」みたいに手を挙げて挨拶をすると。

で、私は「あ、アメリカ人は手で挨拶するんだ」と気づいて手を挙げ直したり、相手も「あ、日本人はお辞儀だった」と気づいて慌てて頭を下げたりとか、おかしなことになるんですが(笑

それとか、アメリカ人の相手が「オハヨー」と言って、日本人の私が「グッモーニン」と返してしまって、なんかちぐはぐになったりとか(笑

 

形や違いなんて、どうでもいい

なら、形とか違いなんて、どうでもいいですよね。

伝わればいいと。

 

服装もそうですし、考え方も、意思の訴え方も、全然違うと。

そんな違いに触れれば、「違っていいんだな」と分かります。

すると、正確なことなんてどうでもよくて、無理に合わせようとしなくてすんで、独自の道を歩けると。

 

まとめ

そんな風に、異質なものに触れると、なんか小さなことはどうでもよくなるものなんですね。

で、「自分はマイノリティだな」と感じる人ほど、こういう違いの大きい場所の方が合うように思います。

社会が抱える違いが大きければ大きいほど、「自分の違い」が小さくなりますからね。

ある意味、「同じ価値観を持つ個人」や「理解してくれる個人」を探すだけでなく、「全く違うタイプがひしめく環境」を求めることでも、自然体になれるような気がします。

 

私はよく「社会維持型」と「境地開拓型」と言いますが、境地開拓型の人ほど、違いが大きい混沌とした場所の方が生き生きとできるのかもしれません。

それは、思い切って違いを発揮できるから、輝けるんだと。

 

いや~、この場所も結構居心地がよくて、いい刺激になってます。

基地の隣生活も、面白いものですね。

 

ということで、今日は異質なものに触れれば、「異質なものでいい」と感じられる、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

By | 2016-12-10T19:58:53+00:00 2016年 12月10日(土)|スピリチュアル|異質なものに触れれば、「異質なものでいい」と感じられる、というお話 はコメントを受け付けていません。