今日は、クリエイティブなお話です。

「石を集める」が価値になった例をご紹介してみましょう。

 

「顔のように見える石」を集めた博物館

このブログを読んでくださっている方から、面白い情報をいただいたのでご紹介。

ディープな観光地はお好きですか?『秩父珍石館』はとっても素敵な博物館だった(NAVERまとめ)

 

この博物館は珍しい石を展示しているようなんですが、それが普通の石じゃないんですよ。

何を集めているのかというと、「顔のように見える石」だという(笑

 

「価値ある石」は、宝石や鉱石だけじゃない

実際に上記サイトを見たら分かりますが、ホラーとかじゃなくて、ぷっと笑い出せるような展示になっているわけです。

ほら、ネットでもよくあるでしょ、「この画像でボケて!」みたいな。

あれと同じで、「この石はこの顔」みたいに、見事なボケが炸裂してると。

例えば、ぶつぶつした石に顔が見えるなら、その石に「ブラマヨ吉田」と銘打って展示していたり(笑

アイシャドーがあるような目の形をしていたら、「デーモン小暮」と銘打っていたり。

 

普通、「価値ある石」というのは、美しい宝石だったり、きれいに輝く鉱石とかを思い浮かべますよね。

でも、この博物館では「顔のように見える石」っていう、もうただの趣味としか思えないニッチなもので。

それでも、面白さを加えて伸ばせば、ちゃんと価値として成り立つんですよね。

 

才能を掛け合わせたから、圧倒的になった

おそらくこの館長さんは、石を集めるのが好きだったと思うんですよ。

で、なおかつお笑いのボケセンスもあったんだと思います。

石を集めるきっかけとなるエピソードもあって、それが「拾った石が夢の中で出てきて、『人面石を集めなさい』とお告げをした」とか、もうすごくネタでしょ(笑

そういうノリで圧倒的に仕上げると、「顔のように見える石」だけでも、博物館にまでなっちゃうという。

 

おそらく、ただ「顔のように見える石」だけを展示するだけでは、ここまで有名にならなかったでしょう。

それが館長のボケセンスと組み合わさることで、ここまで広がったんだと。

 

「顔のように見える石」の面白さの本質とは?

で、面白いのが、「以前は館内を撮影禁止にしていたのに、撮影許可を出すようになった」ということですね。

これが、「面白さの本質」が見えてきた証かなと思います。

 

今のお客は、「情報」を求めているのではなくて、「体験」を求めています

「面白い情報」なんて、ネットを見ればいくらでも無料であります。

だから、情報にはもう価値がないんですよ。

「ブラマヨ吉田と銘打った、こういう面白い石がある」という「情報」には価値はありません。

 

石に価値があるのではなくて、「一緒に笑い合う」という体験に価値がある

そうではなくて、今の人は「ブラマヨ吉田と銘打った石を友達や家族と一緒に見て、わいわい言い合う」とか「一緒に笑い合う」みたいな、そういう「体験」を求めているわけです。

特に世の中の8割ぐらいの人たちは、映画でもゲームでも、「みんなが見たものを自分も見て、一緒に感想を語り合うため」に見ているようなものです。

「その監督だから見る」とか、「その会社のゲームだから買う」みたいに「ファンだから見る」という人は、全体の2割に過ぎません。

 

すなわち、こういう「顔のように見える石の博物館」の価値の本質は、「珍しい石」ではなくて、「わいわい言い合う」ところにあるわけですね。

石そのもの(情報)に価値があるんじゃなくて、石をきっかけにコミュニケーション(体験)できることに価値があると。

「この博物館は、そういう笑いとコミュニケーションのきっかけを提供する、エンターテインメントの場なんだ」と分かれば、いろんな施策がしやすくなると分かりますよね。

すると、この博物館が売り上げを伸ばすのに必要なのは、「石を増やす」のではなくて、「コミュニケーションを増やす」ことなんだと分かります。

 

これからは「情報」の価値は低くなる

これからの時代は、メジャーを目指す人の場合、特にこれは意識しておくといいかと思います。

例えば漫画でも、情報だけを与えるのでは、価値は低くなります。

だって、それなりに面白い漫画なんて、ネットを探せば山ほど無料で落ちてますからね。

 

でも、例えばそこに「友達や仲間と一緒に感想を言い合える」とかいう楽しみを設定できれば、状況は全く変わってきます。

一緒に「あれがよかったよね」とか「あれはひどいよね」と語り合うことができれば、それだけで面白いですからね。

それはある意味、作品や漫画クオリティが低かったとしても、わいわい楽しく言い合うことができれば、それでOKなわけです。

 

だいたい、「顔のように見える石」とか、「似てる似てない」で言うと、もうクオリティとか度外視でしょ(笑

「なんかそれっぽい」程度の低いクオリティでも、笑えて楽しく言い合うことができれば、人は喜んで400円を払って、その博物館に入ると。

人々が求める面白さが、情報から体験に変わってきた、ということです。

 

まとめ

そんな風に、「顔のように見える石」だけでも、別の才能と掛け合わせれば、これぐらい面白くなるといういい例かなと思います。

で、価値の本質を見極めると、「顔のように見える石」という情報ではなくて、「石をきっかけに笑い合える」という体験に価値の本質があると分かります。

 

これからは、そういう「価値の本質」のありかが見えるほど、うまくいくんじゃないかなと思います。

 

ということで、今日は「石を集める」が価値になった例をご紹介してみました。

今日はここまで~。

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