今日も大絶賛スピリチュアルなお話を進めていきましょう。

今日は豊かさのお話で、「余裕がある側が与えればいい」、というお話です。

 

客観的に見ることができると、怒りはなくなる

昨日「我がなくなると、客観的に自分の立場を俯瞰できるようになる」って説明しましたよね。

実際にこれを象徴するようないい出来事があったので、お話ししてみましょう。

 

私はもうずっと遊んで暮らしているような状態なので、平日の朝9時とか10時とかに、趣味のウォーキングついでにスーパーに買い物に出かける、みたいな生活をしてるんですよ。

すると、周囲はおじいさんおばあさん、もしくは主婦ばかりなわけです。

同年代の、いわゆる「同年代の働いている人たち」はほとんど見かけないような、そんな状態です。

 

で、そんなときに、スーパーとかでも「この人は周囲が見えてないな」とか思うことがあるんですよ。

たとえばレジ待ちの列でも、割り込むおばさんとかいますよね。

後は、スーパーの出入り口の前に、邪魔なのに一人だけ堂々と自転車を置くおばさんとか。

 

そういう人を見ると、以前は「なんて周囲のことを考えない人だ」って思っていたんですよ。

でも今では、そういう人を見ると「私って豊かなんだな」と、豊かさを味わえるようになりました

 

客観的に見ると、豊かさに気づける

というのも、自分の立場を客観的に見るようになると、私はすごい豊かな状態にあるんですよ。

朝から気持ちよく散歩をして、買い物とかをして、24時間遊んで暮らせる状態で。

しかも、私はそういう人たちよりも、「より周囲のことを考えることができる」ってことですよね。

 

実際にそういう時間帯に歩いてみると、世の中には「貧しい人」や「弱い人」というのが驚くほど多くいると分かるんですよ。

たとえば私は若くて体力もありますが、周囲の老人たちは弱々しくて、ゆっくりでないと動けなかったり。

それと同じで、私は周囲に気を配ることができますが、ある種の人たちは視野がとても狭くて、周囲に気を配れないんですよ。

ADHD(注意欠陥多動性障害)という障害がありますが、これは注意力が散漫になる障害のようなものです。

その逆バージョンで、「周囲に気を配ることができない」というのは、「一つのことに意識が向くと、そこに集中しすぎる」という一種の障害のように感じるんですよ。

 

だから、ウォーキングをしていると、中年のおじさんおばさんが夫婦で歩いている人を見かけるんですが、時折奥さんが旦那さんの腕をしっかりとつかんでいたりする夫婦がいるんですよ。

ラブラブでそうならいいんですが、別にすっごい仲がいい様子ではないのに、ですよ。

で、「なんであんなに腕をしっかりとつかむんだろう?」と思って観察していたら、旦那さんがまさに「周囲に注意を払えない」という状態なんですよね。

だから、旦那さんは車が後ろから来ても、全然気づかないわけです。

鳥に意識が向いたら、もうそれしか見えなくなって、鳥の方に向かって車道に出てしまう、みたいな。

なので奥さんは、旦那さんの腕をしっかりとつかんでいたと。

 

割り込むおばさんとか、スーパーの出入り口前に自転車を置く人とかも、同じようなものです。

こういう風に客観的に見ることができれば、怒りとか出ませんよね。

むしろ、「私はすごく恵まれているなぁ。若いうちから自由に暮らせて、豊かで、五体満足で健康で、知性もあって、安全な先進国にいて」みたいに感じると。

 

すると、「豊かな人が、貧しい人に分かち合えばいいんだ」と感じるようになるんですよ。

そういう列に割り込むおばさんは、私に豊かさを教えてくれる存在です。

だから私は、おばさんに怒るどころか、感謝をするぐらいなんですよね。

「豊かさに気づかせてくれて、ありがとう」みたいな。

で、「私は豊かだから、お先にどうぞ」とできるわけです。

 

「先にどうぞ」ができる人ほど、豊かになる

そして世の中というのは、「お先にどうぞ」ができる人ほど、豊かになる、という感覚になるんですよ。

「列に割り込む人」は、まず間違いなく「時間に貧しい人」です。

その人は時間がないから、少しでも時間を浮かせたいわけです。

だから、時間を与えてあげればいいんですよ。

 

一方で、1分、2分という時間を「お先にどうぞ」と人に与えることで、私はより大きな時間を得ようと知恵を働かせるようになります。

すると、私は「24時間遊んで暮らす」、「一生を遊んで暮らす」という大きな時間を得られるわけです。

「お先にどうぞ」をしたら、逆に豊かさが舞い込んできた、ということですね。

 

この感覚かなと思います。

「お先にどうぞ」と譲ったら、天が私をより豊かな場所に連れて行ってくれる、みたいな。

人が争う世界というのは、競争の世界ですよね。

で、分かち合うというのは、仮想的に言うと「天が喜ぶ世界」になります。

そして天を喜ばせると、天が「いいことをしたな。ならもっと豊かさを与えてやろう」と、さらに豊かさを与えてくれるようなイメージです。

そういう感覚になる、ということですね。

 

人の世界(競争の世界)で分かち合っても、「正直者が馬鹿を見る」となるだけです。

でも、天の世界(我のない世界)で分かち合うと、天が味方をしてくれて、豊かになると。

 

意味不明なことを言ってるでしょ(笑

これを理解できる人はほとんどいないでしょうし、2年前の私にこれを言っても、理解できないでしょう。

なので、まあ「そういう感覚になることもあるもんだ」という程度で聞くといいでしょう。

 

まとめ

まあそんな風に、余裕がある側が、与えればいいんですよね。

すると、自分の豊かさに気づけるようになります。

1分、2分という目先の時間でも、「私は豊かなんだから」と分かち合うと、天がもっと大きな豊かさを与えてくれる、という感じです。

 

分かち合えば分かち合うほど、より大きな豊かさを得られるようになります。

すると、どんどんと豊かさが増えていきます。

だから、分かち合うのをやめられなくなってしまう、という感じですね。

そんな感覚で生きてみるのも、いいかもしれません。

 

ってことで、今日は「余裕がある側が与えればいい」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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