なぜ心理的に不健康な人は、自分から嫌なものを見に行って、批判するのか

>>なぜ心理的に不健康な人は、自分から嫌なものを見に行って、批判するのか

なぜ心理的に不健康な人は、自分から嫌なものを見に行って、批判するのか

今日は、久しぶりに心理のお話をしてみましょう。

「なぜ心理的に不健康な人は、自分から嫌なものを見に行って、批判するのか」ということを、説明してみることにしましょう。

 

なぜ、自分から嫌なものに触れに行って、批判するのか

よく、自分から嫌なものに触れに行って、批判する人がいるじゃないですか。

例えばTwitterでも、嫌な発言をする人はフォローを外せばいいのに、逆にその人のツイートを見に行って批判する人とかいますよね。

それとか、気分が悪くなるツイートは関わるだけ時間の無駄なのに、それに対して長々と、大切な時間をかけて愚痴を言ったりする人がいるんですよ。

 

冷静になって考えたら、こんなの非生産的なものでしかありません。

だって、どうせなら楽しい時間を増やしたいものですからね。

私たちは嫌な気分はできるだけ減らしたくて、そんなのに時間をかけるぐらいなら、できるだけ他の好きなことや楽しいことに時間を割きたいものです。

だいたい、「愚痴を言っている間に一生が終わった」なんてことになったら、それこそもったいないですからね。

 

でも、心理的に不健康な人ほど、この「自分から不快なものに飛び込んでいくこと」をやめられないんですよ。

じゃあなぜそうなるのか、そのメカニズムを説明してみましょう。

 

「代償行動」で考えると、原理が分かる

この原理は、「代償行動」で理解できます。

すごく簡単に言うと、「自分が今の環境で不条理な苦痛を味わっている。だけど今の環境で、目上の人に反論できないから、言っても大丈夫な相手を見つけてたたく」ということですね。

そうやって、憂さ晴らしをしているんだと。

「サラリーマンが会社帰りに居酒屋でくだを巻く」の、お手軽な発展形だと思えばいいでしょう。

 

例えばよくあるのが、親や教師、上司などの目上の人から、「お前はこう生きろ」と、生き方を押しつけられることがあるものです。

自分に自信がなかったり、他の可能性を知らない目上の人ほど、「自分が通った道しか、生きる道はない」と、自分の方法論を押しつけるものです。

親の場合、「私の言うような人間になれ、さもなければ追い出す」と脅しますし、教師は「言うとおりにしなければ、内申点を悪くしてやる」、上司は「言うとおりにしなければ、給料を減らしてやる」と脅します。

それによって、自分らしく生きられなかったりするんですよね。

 

「反論したいのに、できない」という欲求不満

でも実際のところ、彼らの言うことなんて、だいたいが時代遅れなんですよ。

特に今は激動の時代なので、昔の方法論や生き方が全く通用しない時代になりました。

私たちは、新たな生き方を模索しないといけない状態なわけです。

 

だけど、それが分かっていたとしても、反抗できないことがあるものです。

というのも、親の場合は「住む場所を提供してもらっている」という負い目があるし、教師は「内申点」、上司は「給料」という処遇の決定権を持っています。

だから、今すぐに彼らと決別できる豊かさがあるわけでもない。

そして彼らの言うとおりに従わざるを得ないのに、未来はどんどん先細りになっていくわけです。

 

すなわち、「親や教師、上司の言っていることは間違っている! 実際にそれに従っている自分は豊かになっていないじゃないか! お前たちは間違っている!」と叫びたいのに、言えないわけです。

こうして、「ここから離れたいのに、離れられない」と「反論したいのに、できない」という板挟み状態になり、「せめて、何か言い返してやりたい」という欲求不満が生まれます

 

こうして「目下の人だからたたく」という現象が起きる

そういう鬱積がある状態で、「そんな目上の人と似たようなことを言っている、たたいても大丈夫な相手がいる」と分かると、その人をたたくわけですね。

「こいつは正論ぶって言っているけど、お前は間違っている」と、批判をすると。

こうして欲求不満を解決することになります。

 

その場合、そのたたく相手は、自分よりも弱者になります。

たたいても自分には影響ないから、たたくわけで。

それは自分よりも知性や技術を持たない弱者になることもありますし、社会的にたたかれている(みんながたたいている)人になることも、部下や政府、国会議員のように「自分が決定権を持つ相手」になることもあります。

すなわち、親や教師、上司が嫌で嫌でたまらないのに、いつの間にか彼らと同じ「目下の人いびり」をしているわけです。

こうして、気がついたら「目上の強い人にへこへこ頭を下げて、目下の弱い人をたたいている」という不健康な状態になってしまっていると。

 

健康的な人は、豊かなスパイラルに入っている

健康的な人は、そうではないと分かります。

空いた時間で嫌なことに費やすよりも、好きなことや楽しいことに費やすわけです。

すると、そこからできた豊かさが余るので、自分よりも弱者に分かち合うことができます。

なら、分かち合った人たちから対価を得ることができるので、豊かさが増えて、わざわざ目上の人に頭を下げる必要はなくなります。

 

だから健康的な人は、もっと楽しいことをして、もっと豊かになると。

逆に、不健康な人は、もっと上に頭を下げなきゃいけなくなって、弱者をたたいて、そしてどんどん落ちぶれていくわけです。

どちらもそういうスパイラルに入っている、ということです。

それが、上昇のスパイラルか、落ちぶれていくスパイラルかの違いなだけで。

 

じゃあどうすれば、その「落ちぶれるスパイラル」から離れられるのか。

それが、「どこでもいいからスパイラルを断ち切る」ことかなと思います。

言うことそのものをやめたり、Twitterで不快なものになりうるものは全てフォローを外したり、ブックマークも多くを削除したり、いろいろ対策はできるものです。

 

「悔しさ」のエネルギーを、効率的に使おう

私は、目上の人が押しつける不条理に対して、「反論できなくて、悔しい」と思うことは、悪いことではないように思います。

すなわち、自分の無力さを認めるのは、恥ではないと。

むしろその無力さを、歯を食いしばって受け入れて、「今の不条理な環境から決別する」というエネルギーに変える方がいいようにも思います。

 

「悔しさ」っていうのは、ものすごいエネルギーを生むんですよ。

私たちにとって、今いる環境から飛び出るには、私たちの想像以上のエネルギーが必要になるものです。

新たな収益源を作る必要もありますし、引っ越しもする必要もあり、煩雑な手間や雑務も増えます。

当然お金も減って、今までよりも質素に生きなきゃいけなくて、周囲に見栄を張ることもできなくなるでしょう。

周囲からは「逃げた」とか「社会の敗北者」と笑われるかもしれませんし、今までの努力や成果を手放さなければならないかもしれません。

 

でも、悔しさはそういうものを、全部「そんなこと、どうでもいい」と思えるほど、膨大なエネルギーを与えてくれます

少々失敗しようが、質素であろうが、一時的な撤退や再構成だろうが、「全部受け入れてやる」という覚悟ができます。

そして、「それでもこの場所から出てやる」と、集中できるわけですね。

 

無力さを受け入れられる人ほど、後から飛躍する

なので、もしその場から出たい場合、そのエネルギーを手軽な批判で発散させない方がいいかと思います。

そうやって簡単に鬱積を発散させてしまうと、まさに「ぬるま湯状態」になってしまいます。

もしそこで骨を埋めるつもりがあるならそれでいいでしょうが、いつかその環境から出ることを考えるのであれば、鬱積も利用する方がいいでしょう。

それが、どーんと行動させてくれる、原動力になるんですよね。

 

それに、不条理なことがあっても、ぐっと歯を食いしばってこらえて「これは自分が無力だからだ」と受け入れられる人ほど、後ほど飛躍しているように思います。

もちろん、それは自分の内部に暴れるようなエネルギーを抱え込むことになるので、とても苦しいことです。

でも、そういうパワーがある人ほど、現状をぶち破って、思い切って自分なりの道に入ることができます。

そしてその力を制御できるようになると、後からちゃんと、自分よりも弱い人に手を差し出せるようになっているように感じます。

実際に、私もそのエネルギーを利用して、独立しましたからね。

 

まとめ

そんな風に、「自分から嫌なものを見に行って、批判する」というのは、ただの代償行動でしかありません。

もしそこから抜け出したい場合、その悪循環を、どこかで断ち切る方がいいかと思います。

 

そのためにも、その「悔しい」というエネルギーを、手軽には解決させない方がいいでしょう。

そのパワーを、「いつかこの環境から出てやる」という方向に向けるわけです。

現状から出るには、大きなエネルギーが必要になりますからね。

 

最初はそのエネルギーに振り回されるかもしれませんが、慣れれば次第に制御できるようになります。

すると、うまくエネルギーを保って、好きなことで収益を上げる形に持って行けるんじゃないかと思います。

 

ということで、今日は「なぜ心理的に不健康な人は、自分から嫌なものを見に行って、批判するのか」ということを、説明してみました。

今日はここまで~。

By |2017-09-06T20:38:15+00:002017年 9月6日(水)|心理学|