人生そのものを失敗してもいい、というお話

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人生そのものを失敗してもいい、というお話

なんだか過激なタイトルですが(笑

今日は精神的なお話です。

「人生そのものを失敗してもいい」、というお話をしてみましょう。

 

「人生そのものを失敗してもいい」という考え方

「こっちに行ってみたいけど、なかなか動き出せない」ってこと、ありますよね。

もしくは、「挑戦してみたいけど、勇気がない」みたいな。

 

そういう場合、「人生そのものを失敗してもいい」と考えてみるのもいいんじゃないかと思います。

すると、意外と気が楽になって、動けたりするんですよ。

 

私たちの命は、ちっぽけなもの

当然ですが、私たちにとっては、自分の命や人生が大切ですよね。

でも、宇宙規模で見ると、人間の命なんかちっぽけなものでしかありません

以前(「動けない人は、自分の命を大切にしすぎないぐらいでいい、というお話」)にも語りましたが、この宇宙は地球だけでなく、太陽とか太陽系とか銀河系とかあって、なんかアホほど大きい世界です。

宇宙から見ると、地球人の一人なんて、何十億もいるうちの一匹でしかないと。

そういう大きな視点から見ると、自分の命なんて小さなものだと分かります。

 

なら、「人生で失敗してもいいんじゃないかな」と、おおらかに思えますよね。

1匹ぐらい、新たな世界に挑戦したけどダメだった個体があったとしても、それも自然のように思います。

そしてそういう気楽な方が、実は行動しやすいようにも思います。

 

「失敗」とは何をさすのか

で、「そもそも、失敗って何?」って話ですよね。

上手くできないことなのか、他者から笑われることなのか、収入額が減ってしまうことなのか、ストレスを感じることなのか。

 

私の場合、失敗を「自分の価値観で動けなかったこと」としています。

というのも、自分の価値観で動けなかった場合、成功しても失敗しても苦しいだけだからですね。

逆に、自分の価値観で動けた場合、今すぐにでも満足が得られるようになります。

 

他人の価値観だと、成功しても満足は得られない

例えば私の場合、高校時代に猛勉強して市内一の進学校で校内ナンバーワンを取って、一流大学に入りました。

じゃあ一流大学に入ったら満足できたのかというと、全然そうではないんですよ。

大学内でも競争があって、いい研究室に入るために勉強しなくちゃいけなくて。

で、いい研究室に入っても、次は就職でいい会社に入らなきゃいけなくて。

そして、私は日本人なら誰でも知っているような大手企業の本社に推薦で入って、しかもエリートの幹部育成コースに配属されて。

 

普通の人から見たら、すごい成功のように見えるかもしれません。

でも、喜べたのは「合格したとき」とか「認められた時」という一瞬だけで、後はずーっと競争で苦しいばっかりだったんですよね。

そこには「喜び」はあっても、「満足」はなかったと。

しかもその喜びは刹那的なものでしかなくて、数日もすれば喜びは消えます。

逆に追い立てられるようなプレッシャーはずっと続いて、どんなに上の世界に行っても、満足なんて味わえませんでした。

 

その上、失敗したら痛くて、苦しくて。

だから、自分の価値観でないことだと、成功しても満足がなくて、失敗すると痛いだけだったと。

そういうのが向いている人もいるでしょうが、私には向いていなかったわけですね。

 

自分の価値観だと、最初から満足を与えてくれる

一方で大学時代にやっていたゲーム制作は、最初からとても大きな満足を与えてくれました

熱中して作れるので楽しくて、しかも買ってくれて喜んでくれて、ファンになってくれて。

当時は本当にレベルが低いものでしたが、仲間もいて、ファンもいて、今と変わらず楽しく作れていたんですよね。

 

そういう場合、失敗してもさほど痛くないんですよ。

というか、「失敗」という概念すらなくなります

それは、方向性が自分に合っているから、「修正すればいい」という感覚になるからですね。

 

例えばゲームや本を作る場合でも、バグや誤字脱字が出ることは山ほどありますが、それを「失敗した」とは思わないものです。

それは修正すればいいだけで、修正すればどんどんクオリティが上がるものです。

なら、どんどん修正すれば、自分の望む形にできますよね。

「こっちに行きたい」という方向性が定まっているから、行き止まりになっても、違う道を選べるわけです。

 

逆に、失敗して涙を流したのは、必ず「評価されたい」とか、「他者から成功者だと思われたい」というような、他人の価値観が入っていた時でした。

すなわち、他人の価値観を実現できなかった時、大きな痛みが襲ってきたんだと。

 

「他人の価値観を実現しなくていい」と思ったこと

そういうのをいろいろ味わってくると、「ああ、満足を得るには、自分の価値観で動かなきゃいけないんだ」と分かってくるんですよね。

どんなに他人の価値観を実現しても、刹那的な喜びはあっても、満足はありえないんだと。

 

なら、「成功」を「他人の価値観を実現すること」とするならば、成功はいらないな、と思ったわけです。

すなわち、失敗してもいいんだと。

「刹那的な喜びを得られなくても、自分の満足度を高めて生きればいい」というスタイルですね。

 

方向性の違う人の幸せは、その人に任せればいい

言うなればこれは、「方向性の違う人と、どう付き合うか」、ということになります。

そして私の場合、「方向性の違う人に対しては、その人の幸せはその人に任せよう。生きる方向性が違う人の幸せを、わざわざ私が実現してあげる必要はない」と決めたわけです。

そして、「自分の進みたい方向で、その方向に進むことで喜ぶ人の幸せを、手伝ってあげよう」というスタイルにしました。

 

それは、「ほとんどの人から評価されない」という道になります。

だって、同じ方向性を持つ人なんて、ごくわずかしかいないんですから。

 

でも、そういう少数の人たちを優先するスタイルも、いいように思います。

少なくとも私には、大きな満足を与えてくれました。

 

まとめ

そんな風に、動き出せない場合、「人生で失敗してもいいや」と考えてみるのもいいかもしれません。

宇宙の中では、私たちの命なんてちっぽけなものですからね。

 

で、自分の価値観で生き始めたら、その瞬間から大きな満足が得られます。

少なくとも、自分の価値観で動き始めたら、大きなエネルギーが得られますからね。

そのエネルギーで、困難を乗り越えてゆく、というスタイルです。

そういう満足を積み重ねて生きるのも、いいんじゃないかと思います。

 

ということで今日は、「人生そのものを失敗してもいい」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

By |2017-12-11T20:36:01+00:002017年 12月11日(月)|スピリチュアル|