今日は、制作心理のお話です。

なぜ健全な人は、下手な段階からでもどんどん作品を出せるのか、というお話をしてみましょう。

 

なぜ劣等感が強い人は、作品を出せなくなるのか

「作品を出したいけど、批判が怖くて出せない」みたいな人って、いると思うんですよ。

特に劣等感が強い人ほど、「他のプロたちと比較してしまって、自分の作品が劣っているように見えて、出せない」という恐怖もあるかと思います。

 

じゃあなぜ劣等感が強い人ほどそういう現象が起きるのか、今回はその心理メカニズムについて説明してみましょう

この全体像が分かると、「こういう思考の罠にはまっていたのか」と分かって、うまく抜け出せるかもしれません。

 

劣等感を持つ人のトリレンマ

これは、次のようなトリレンマに陥っているからですね。

(ちなみに「トリレンマ」とは、3つの選択肢の中で悩むことを意味します。「ジレンマ」が2つの選択肢で悩むことで、トリレンマは3つです)

 

  • 普段の場では、自分の好みを出したいけど、出せない
  • 好みを出せる場では、周囲から「すごい」と言われたくて、周囲と一緒に楽しめない
  • クリエイターの場では、「比較される(自分が比較を気にする)」ので、作品を出せない

 

そんな風に、「普段の場」、「好みを出せる場」、「クリエイターの場」という3つの場で、心理的な「満たされない要因」を刺激されてしまいます。

だから、どの場でも苦しんでしまい、「自分はどこにもいられない」と感じることになります。

 

「普段の場」では、好みを出せずに苦しむ

例えば「プリキュア風なイラストや漫画作りが好きな、成年男性」がいたとしましょうか。

 

その人は、第1の「普段の場」では、自分の好みを出せずに苦しみます

それは当然で、世の中では「プリキュアは小さな女の子が見るもの。大人で、しかも男性が見るものではない」という常識があるからです。

だから、「自分はプリキュアが好きなのに、好みを出したいのに、出せない」と、普通の場で苦しむことになります。

 

「好みを出せる場」では、価値提供で苦しむ

じゃあその人が、第2の「好みを出せる場」、例えばプリキュア好きなSNSグループに入ったとしましょう。

実はここでも、劣等感を持つクリエイターは苦しんでしまいます。

というのも、そういう「好みを出せる場」では、「自分は作る側だ。価値提供する側でなければならない」と、価値を受け取るばかりの側を拒絶したくなるからですね。

 

ある意味、劣等感を持っている人は、「価値を受け取るだけの人たちはダメだ。価値を作る側にならなければならない」という思い込みがあると言えるでしょう。

「楽しませてもらうばかりの人は、ダメな人間である」、「価値を作れて、楽しませる側にならなければならない」という思い込みですね。

だから、彼ら「プリキュアで楽しんでいるだけの人たち」に対してモヤモヤを抱えてしまいます。

そして、「本当にすごいのはプリキュアを作っている側だ。クリエイター側だ」と感じてしまいます。

 

だからそういう場では、「自分はクリエイター側なんだ。お前らのような、受け取ってばかりの側とは違う」と感じて、一緒に楽しめません。

そして、「俺は作る側なんだ」という妙なプライドで、周囲とわいわい騒げなくなるわけです。

 

「クリエイターの場」では、比較で苦しむ

じゃあそういう人が、第3の「クリエイターの場」に入ったらどうなるかというと、今度は比較が気になって、作品を出せなくなります

だって、世の中には優れた絵師やクリエイターなんて、山ほどいますからね。

周囲が比較するよりも前に、むしろ自分自身が優れた絵師たちと比較してしまって、作品を出せなくなることも多いでしょう。

 

こうしてクリエイターの場でも、「自分の作品はレベルが低いから」と出せなくて、ここでも苦しみを抱えてしまいます。

 

結果として、「普段の場」、「好みを出せる場」、「クリエイターの場」という3つのすべての場で、苦しみを抱えてしまいます。

どの場でも心理的な「満たされない要因」を刺激されてしまうことで、どの場にも属せなくなってしまうと。

 

トリレンマの罠から抜け出す

でも、このトリレンマのメカニズムに気づけると、その罠から抜け出しやすくなります

 

まず最初の「普段の場」では、「プリキュアが好きな社会」というものを見つけ出せると分かります。

例えばそういう開発会社だけでなく、おもちゃやグッズの販売店、ショーなどのイベント会社、情報発信のメディア、販促会社なんて、好きな人でなければできませんからね。

つまり、「成人男性でプリキュアが好き」という性質が、異常ではなく、むしろ強みになる、そういう小さな社会がいろいろあるものです。

 

この「普段の場で、自分の好みを出せる場や社会がある」と気づけると、まずは「普段の場」での苦しみを解決できるでしょう。

でもまぁ、これは無理に探さなくても、最初は隠しつつ活動するのでもさして問題はありません。

 

好みを出せる場では、価値を受け取って楽しむこと

2つめの「好みを出せる場」では、「価値を受け取って楽しんでいい」と知ることです。

「自分はクリエイター側だ」と妙なプライドを持って比較するのは、その根底に「楽しませてもらうばかりではダメだ」という思い込みがあるからです。

 

ある意味、子供時代には「価値を受け取るだけの子供でいい」と許されたかったものです。

なのに親や周囲から、「お前は価値を与える大人でなければならない」と強要されてしまったと。

だから、「価値を与える側でなければならない」と思い込んでしまったわけです。

 

ならばプリキュア好きなSNSでは、ある意味「自分は無理に大人にならなくていい。子供に戻っていい」と知ることです。

「ここは子供時代を過ごす場だ。今まで子供として振る舞えなかった分、ここで『価値を受け取るばかりの側』を味わう訓練だ」と思うといいでしょう。

 

もちろん、価値を与えるのは「クリエイター」や「作品」です。

ファンが集まるSNSは、言うなれば「子供たちが集まる場」ですね。

だから、子供たちから受け取るのではなく、「作品から受け取って、子供たちの間で一緒に楽しむ」感覚です。

すると、「より優れたクリエイターから、価値を受け取って、楽しませてもらうばかりでいい」と分かってきて、「大人でなければならない」という劣等感を手放せてゆけるでしょう。

 

クリエイターの場では、価値を与えていいと知ること

最後に「クリエイターの場」では、「自分が、自分よりもできない人たちに、価値を与えて喜んでもらうのでいい」と知ることです。

「ファンから見ると、自分は優れた人である」と気づくことです。

 

ある意味、第2の「好みを出せる場」が「子供でいていい場」だとすると、第3の「クリエイターの場」は「大人として力を発揮していい場」だと理解することですね。

第2の「好みを出せる場」では、「価値を受け取るばかりの、劣った存在でいい。そういう劣った存在になろう」ということです。

一方で第3の「クリエイターの場」では、「価値を与える側、人を導く側でいい。自分は強者でいい。弱者に与えていい」と、自分が強い立場にいることを知り、それを受け入れることです。

 

劣等感を持つ人は、この逆をしてしまうんですよ。

「好みを出せる場」では、「大人でなきゃいけない。価値を受け取ってはいけない。価値を与える側でなきゃいけない」としてしまって。

なのに「クリエイターの場」では、「自分は子供でありたい。誰か、私の力を、存在を認めて」としてしまうと。

このこじれに気づくことです。

 

だから、「自分には創造力があって、自給自足で満たせるけど、それができない人たち」に気づくことです。

すると、例えば「こういうプリキュアのカップリングっていいよね」みたいに妄想してイラストや漫画として出すと、それができない人たちが喜びます。

そういう「自分よりも弱者(創造力を持たない人たち)」が、ファンになると。

そんな風に弱者に目を向けられると、「目上の人と比較する意味はない」と分かって、喜んでもらいつつファンを作ってゆけるかと思います。

 

まとめ

なので、このトリレンマに気づけると、うまく作品を出せてゆけるように思います。

「普段の場」、「好みを出せる場」、「クリエイターの場」という3つの場で、思い違いをしていることに気づくことですね。

 

「普段の場」では、「世の中には、自分の好みが適している社会」があると気づくことです。

「好みを出せる場」では、「価値を受け取るばかりでいい」と気づくことです。

「クリエイターの場」では、「自分の感性を出して、人を導く側に立っていい」ということです。

 

これをうまくできるようになると、素直に価値を受け取り、自分の価値を出せて、喜んでもらいやすくなるかと思います。

すると、「自分はどこにいてもいい。どこでも活躍できる」と分かって、仲間やファンもできるし、満足しつつ作ってゆけるかもしれません。

 

ということで今日は、なぜ健全な人は、下手な段階からでもどんどん作品を出せるのか、というお話でした。

今日はここまで~。

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