今読んでいる本で、こういう内容があったんですよ。

ヒューマン・リソーシーズのマスターコースで教えていたときのことだ。
あるとき、「どんな人の中にも輝くダイヤモンドがある」という私のコメントに、一人の生徒が「汚れた黒炭のような人間もいるのではないですか」と反論してきた。

その言葉そのものよりも印象的だったのが、彼の険しい表情と鋭い声だ。
(中略)この学生は、自分自身のことを言っていたのだと思う。

——マリオ・アロンソ・ブッチ(著書「ハーバード流 自分の潜在能力を発揮させる技術」より)

 

まさにこれが象徴的なことで、私たちの中には、過去に周囲の人から言われてきたことが積み重なって、「自分」ができているんですよ。

この「自分が思っている自分像」のことを、「アイデンティティ」と言うんですが。

例えば、幼い頃から親や周囲の人から疎んじられていれば、次第にその人は「自分には価値がない」と信じてしまうようになります。
それが真実であるかどうかに関係なく、自分が「自分は価値がない」と思ってしまうと、「それが自分だ」と信じてしまうんですよ。

そこで他の人から「君は価値があるよ」と言われたら、「自分が思っている自己像が否定される」わけです。

すると、彼は「自分には価値が欲しい」と切に願っているはずなのに、「黒炭のような人間もいるじゃないですか」と反論してしまうわけです
本当は彼は、「自分には価値が欲しい」と心から願っているのに、人から「君は価値があるよ」と言われたとしても、それを受け入れられず、自ら拒絶してしまうんですよ。

だから、自分が世の中に受け入れられているという証を欲しくても欲しくても、永遠に手に届かないと。
そして、「自分を完全に受け入れてくれる、愛してくれる人がいつか現れる」というのは、永遠にありえないと。
というのも、そういう人が現れたとしても、自ら拒否してしまうためですね。

とてもショッキングな内容ですよね。

 

ではなぜこんなことが起こるのかというと、それだけ人は自分の思っている自己像を崩されるのを恐れるわけです。

だって、自己像が崩されたら、「なら自分はいったい誰なの?」ってなりますよね。
自分で自分が分からなくなるってことですから。

それはとてつもない恐怖でしょ。

だから、愛情を受け入れられなくて、救いを受け入れられないわけです。
「自分には価値がある」と受け入れたいのに、受け入れられない。
その背後には、自己像に問題があるわけですね。

でも、この自己像が悪さをしていると分かれば、変化できますよね。
だって、「今の私は自分に価値がないという自己像を持っていた。だけど、これからは自分に価値があるという自己像を持つこともできる」と理解できれば、自己像そのものを変化できるわけですから。

だから、「価値が欲しい」とか「生きる意味が欲しい」というように答えを求めるのではなくて、自己像を、「自分が自分をどう思っているかを変える」のが大切なわけです。

つまり、与えてもらおうとする限り、変化できないわけです。
それは自動的に拒絶してしまいますからね。
自分が自分をどんな風に思っているのかを変えることで、変化が生まれると。

 

これは最近私がよく言うことですが、「ダメな自分を受け入れられたら、世界が変わる」というのがあるんですよ。

それはなぜかというと、「価値を与えてもらう」のではなくて、「自己像を変える」風にアプローチを変えるということでもあります。
だから、結果として「あ、ダメな自分でいいんだ」となって、変化ができて、劣等感を捨てられるわけです。

「ダメじゃいけない」という自己像をずーっと持ち続けるから、結果として変化できないんですよ。

そういう人は、たぶん「自分はダメな人だ」と受け入れたら、そのまま奈落の底に落ちてしまって、永遠にダメなままになってしまうと恐怖を感じているから、受け入れられないんだと思います。

でも、そうじゃないんですよ。

実際に私が見た小説家志望の人で、こういう人がいたんですよ。

その人は「ダメな自分じゃいけない」と思い込んでいて、「私は小説家でなければならない」と思い込んでいるんですよ。
「本を出版して、多くの人から賞賛される人でなければならない」と。

でも、その人は、はっきり言って文章の基礎も全くできていない人だったんですよ。
だから、どこの新人賞に応募しても、まるっきりだめで。

基礎も何もできていないのに「私はプロでなければならない」と、高等な技術を使おうとしているんですよ。
考えてもみてくださいよ、基礎もできていない人が、応用どころか高等技術を使えるわけがないですよね。
そんな素人が使う高等技術とか、見ている側にとってはもう無残なものなんですよ。

それはまるで、格闘技を知らないどころか、筋肉もついていないひょろくて力のない人が、みっともない回し蹴りで、プロの格闘技のレスラーを倒そうとしているような、そんな哀れな姿で。

でも本人は、「私は基礎を学ぶような人間ではない。ダメな人間ではいけないから」と思い込んでいて、ずーっと無残な姿をさらしているわけです。

私たちみたいに外から見ると、その人に実際に必要なのは、自分の現状を認めて、基礎から学ぶことですよね。
そして着実に筋肉をつけて、技術を高めていくことが大切なわけです。

ですが、その小説家志望の人は、その自己像である「私はダメであってはいけない」を受け入れられない。
だから変化できずに、永遠に哀れな姿で踊り続けているわけです。

 

それと同じで、本当に大切なのは、「自分が自分をどう思っているのかを変える」ことなんですよ。

そして、「自分はダメな人間だ。そしてダメでいいんだ」と許すことですね。
具体的には、「自分はダメでいいんだ」とことあるごとに言ってみることです。

そうすることで初めて、変化が生まれるんですよ。
つまり、自己像を変えるということですね。

すると、以前のこの記事で紹介したように、劣等感を手放すことができるようになるわけです。

ということで、もし劣等感に苦しんでいて、自分に変化を起こしたい場合、「自分が自分をどう思っているんだろう」と問いかけてみることをオススメします。

そして、「ダメな自分を受け入れる」ということを考えてみるのも、いいんじゃないかなと思います。
決して奈落に落ちることでもなく、永遠にダメな状態になり続けることでもないと分かるかなと。

ということで、今日のお話はここまで。(=▽=)

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