今日は、人間心理のお話です。
SNSでの「嫌ならフォローを外せよ!」というツッコミが、なぜ起きるのかを説明してみることにしましょう。
「嫌ならフォローを外せよ!」というツッコミ
TwitterみたいなSNSでも、「嫌ならフォローを外せよ!」みたいなツッコミって、ありますよね。
これは特に、自由に好きなことをしている人やグループに対して、第三者の「嫌な気になった」というクレームや批判を向けられる時に起きやすいように思います。
だいたいSNSは自由な空間なので、好きなことをしている人たちが、好きに集まれるものです。
だから「嫌ならフォローを外して、好きなグループに移って、楽しめばいい」という感覚ですよね。
なのに、わざわざ嫌なアカウントを見て、時間をかけて「私は嫌な気になった」と文章を書いて、相手を嫌な気にさせる種の人がいるわけです(笑
そして驚くことに、嫌なアカウントはフォロー解除すればいいのに、なぜかフォローをし続けると。
(ここでは「かまって欲しい」というこじれについては、除外するとします)
好きなことをしている側からすると、頭を抱えたくなる
だから、好きなことをしているグループからすると、頭を抱えたくなるような状態です。
だって、好きで集まっているサークルなのに、「批判するだけの人」が来てしまうんですから。
しかもフォローを外さないので、そのユーザーをブロックできない限り、延々とクレームが紛れ込んでしまう状態になります。
実際に、例えば堀江貴文氏のTwitterだって、そういうクレームとか批判中傷、山ほどあるんじゃないかと思います。
いや、私は彼のアカウントは見ていないので、想像ですが(笑
このブログでは自由大好き人間が多いと思うので、そういう「嫌ならフォローを外せばいいのに」という感覚を持ったことって、あるんじゃないかと思います。
これも性質別で起きている現象
でも最近分かったのが、これも性質別の違いでしかなかったんですね。
なので今日は、そういう「嫌な情報を流すSNSアカウントなのに、なぜそのフォローを解除しない人がいるのか」というお話をしてみましょう。
結論を言っておくと、「それが社会維持型の人たちにとって、社会維持になる」ということですね。
「社会の価値観とは違うことを言う人たち」は、彼らにとっては「社会の危険人物」です。
だから一度彼らの監視網に入ると、監視対象となってしまって、「嫌なアカウントだから、フォローを外さない」という現象が起きると言えます。
いつもの「4つの性質分類」
それを説明するために、今回もいつもの4つの性質分類(外向型と、3つの内向型タイプ)を使います。
↑ いつものこれです。
今回は、左右の軸(社会維持型と境地開拓型)を使います。
- 社会維持型: 社会でしか生きられない。だから同じ社会に変な人がいると、フォローして監視して、時に攻撃することで自分と社会の安定を保とうとする。
- 境地開拓型: 興味ある新たなことをして、新境地を開拓したい。だから興味あるものをフォローして、興味ないものはフォローから外す。
境地開拓型は、興味で動く
境地開拓型になるほど、行動要因が「興味があるか」になります。
だから「興味があればフォローするし、興味がなければフォローを外す」ができます。
まぁ相互フォローをしていたり、知り合いのフォローを外すのは難しいでしょうけどね(笑
でも、「相手が有名人で、相手はこちらを知りもしないような有名アカウント」は、嫌なら楽にフォロー解除できるものです。
社会維持型は、社会の安定を重視する
一方で社会維持型ほど、「自分の属する社会で、何が起きているのか」でフォローすると言えます。
そして「自分の属する社会」とは、「周囲の人が話題にしている人」です。
興味があるかどうかではなく、話題になっているかどうかだけで決めてしまうんですよね。
だから「興味がなくても、自分や社会にとって危害を加えうる存在は、監視する」という行動になります。
そして不安分子がいれば、攻撃するなりして、社会から排除しようとします。
で、「常識とは違うことを言う人」や「社会とは違うことを言う人」は、不安分子になります。
新境地が社会に変化してゆく時に起こる現象
これは、新境地だった場所が、社会に変化してゆく時に起こりやすいように思います。
元々自由だったSNSで、少しずつそういう社会維持型の人が入るから、そういう「嫌ならフォローを外せよ!」という言葉が出てくるように思います。
例えばインターネットやSNSは、元々は自由が好きな人が集まる、自由な空間でした。
だから、「興味がある人だけが集まって、楽しいことをしようよ」と、いろんな新境地が発展していったわけです。
ですがそうやって新境地が発展してくると、当然「最近、こういうのがブームらしいよ」と聞きつけて、社会維持型が押し寄せ始めます。
社会維持型は、奪い合いの世界ですからね。
なのでネットやSNSを、奪い合いのために使い始めてしまうわけです。
新しいものが、奪い合いのために使われるようになる
これは新技術が生まれると、どれでも起こることです。
ノーベルがダイナマイトを発明したとき、彼はそれを道路工事の効率化として使うことを考えていました。
ですが社会維持型がそれに目をつけて、奪い合いのために使うことで、戦争の道具にしてしまったわけです。
動画配信でも同じで、最初は「好きなことを表現しようよ!」と、趣味の内容を楽しく配信していました。
ですが社会維持型が入ってくると、それを奪い合いのために使うことで、迷惑系の配信者が多く出ることになったと。
こうして境地が社会になってゆく
すると、次第に「自由だった新境地」が「問題を引き起こす社会の一部」になってきて、「規制が必要だ!」となります。
こうして新境地が社会に組み込まれてゆき、新たな「広がった社会」ができると。
同時に、今まで境地開拓をしていた人が、そういう規制社会で「こういう新たなことをしようよ!」と言うと、当然「社会を混乱させるな!」という反発が来ます。
だからそうなると、境地開拓が好きな人は、より新たな境地に移ってゆくと。
これはいい悪いではなく、そういう「社会が広がる流れ」だということですね。
「ダイナマイトの発明はいいことなのか、悪いことなのか」、「インターネットの発明は、いいことなのか、悪いことなのか」と言われても、私にはよく分かりません。
それは「技術が発達することは、いいことなのか」という哲学的な問題になるでしょう。
ただ、人々はそうやって発展してきた、ということです。
発明をして、広がって、戦争に流用して、互いに失敗して痛い目を見て、規制をして、正しい使い方を知って、そういう模索で進化しつつあるように思います。
私にとっては、それは自然の一部分のようにも感じます。
境地開拓型は、追い出されるのでいい
そして境地開拓型は、追い出されるので自然なようにも思います。
というのも、境地開拓というのは、それを安定した社会に仕上げて、初めて意味を持つんですから。
もちろん、自分が切り開いた大地から追い出されるのは、哀しいものです。
ですが、「自分が出ることが、境地開拓の仕上げだ」と分かると、納得して「新境地ではなくなった社会」から出られるように思います。
そして新たな境地を開拓することで、生き生きとできて、楽しく使命を全うできるんじゃないかな、と。
境地開拓型にとっては、天の使命を果たすことって、そういう「我慢ではなく、生き生きとする方向に向かうこと」のように感じます。
逆に社会の奪い合いに巻き込まれるほど、たとえそれで多少の地位やお金を得られたとしても、トータルではしんどくなるんじゃないかな、と思ったりもします。
まとめ
まぁそんな風に、「嫌ならフォローを外せよ!」というのは、性質の違いによってできているように思います。
そしてそれは、境地開拓型にとっては成果でもあると。
で、その批判や苦情への対処が嫌になったり、面倒くさくなったら、さらなる新境地へ向かうタイミングだろうと思います。
境地開拓型でも共感性が高いタイプは、最も社会から距離を取り、長期的で安定的に生きる道を模索する種です。
だからそういうタイプほど、批判や苦情が来たら、早めに出ることで、より新たな可能性を見つけられて、「種の発展と繁栄」を実現できるかと思います。
そして境地開拓型でも共感性が低い側は、「社会を変える」という使命も持ちます。
だから批判や苦情にも強く、社会を変革してゆけます。
スタイルは違えど、どちらも「種の発展と繁栄」を実現する一部分だということですね。
なら、「嫌ならフォローを外せよ!」と言いたくなったとき、「これは成果が出てきた証だ。より新境地に向かうタイミングだ」と分かって、納得して行動できるかもしれません。
ということで今日は、SNSでの「嫌ならフォローを外せよ!」というツッコミが、なぜ起きるのかを説明してみました。
今日はここまで~。