今日は人間心理のお話で、「性質別コミュニケーション療法」に始まった最終回シリーズもほぼ終盤です。
個性のある人は仮面が邪魔、だけど個性のない人は仮面が必要、というお話です。
宗教の言いなりになるだけの人
最近もニュースになっていますが、世の中では「宗教に盲信して、何もかもを組織の言いなりになって、全財産を寄付してしまう」という人がいますよね。
例えば以前にとある人が殺されたんですが、その犯人の親が、まさにそういう「盲信するタイプ」でした。
するとその場合、ニュースのインタビューでも、真っ先にその親は「宗教団体に迷惑をかけて、申し訳ない」と言っていたんですよ。
被害者を悼(いた)むのではなく、犯罪を犯した息子を思うでもなく、事件に心を痛めるのでもなく、一番最初に言うのが「属する組織に迷惑をかけて、申し訳ない」だと。
それぐらい、「組織」が自分の中心になってしまっているわけですね。
そしてそういう「自分がなく、組織の言いなりになるだけの人」は、宗教だけでなく、ヤクザやマフィアでも、政治でもいるものです。
それも一つの性質
このブログでは自由大好き人間が多いかとは思いますが、そんな私たちからすると、これってとても不可解なものです。
だって、自由を明け渡して「他者の価値観の言いなりになるだけ」なんて、そんなのしんどいだけでしょ(笑
むしろ、そういう「他者の価値観」という仮面を手放す方が、抑圧を手放せて、自分なりに生きられるようになります。
だけど最近分かったのが、この違いも「性質の違い」なんですよね。
つまり、個性のある人は仮面が邪魔、だけど個性のない人は仮面が必要、ということです。
いつもの4つの性質分類
それを説明するために、いつもの4つの性質分類(外向型と、3つの内向型タイプ)を用います。
↑ いつものこれです。
で、今回は左右の軸、すなわち「社会維持型か、境地開拓型か」を用います。
- 社会維持型: 個性がないので、社会の歯車として生きたいタイプ。だから大きな組織に属するほど、安心する。
- 境地開拓型: 個性があるので、自分軸に従って、自由に好きに生きたいタイプ。だから自由にできる環境ほど安心する。
より極端にした症状を見てみる
そして今回は、4つの性質をより極端にした症状を見てみましょう。
すると次図のように、それぞれの軸で「個性がある、ない」という性質で、極端にしたタイプがいると分かります。
↑ 今回注目するのは、これの左右の軸です。
図の上下は、これまでも説明してきたように、共感性が高いか低いかで「統合失調的か、自閉症的か」と言えます。
上に強くなれば統合失調的な、共感性が高すぎる気質になります。
一方で、下に強ければ自閉症的な、共感性の低すぎる気質になります。
それと同じように、左右の軸でも「極端にその気質が強い」というタイプがいます。
それが、「組織特化(自己喪失)的か、自由特化(社会性喪失)的か」、ということです。
組織特化的な人ほど、組織なしでは生きられない
すると、左側に飛び抜けた人ほど、そういう「組織に盲信してしまう」という性質を持つし、組織なしでは生きられなくなります。
右側の自由が好きな人にとって「自由がなければ生きられない」と言うのと同じで、左側の組織特化的な性質を持つ人は、組織なしでは生きられないわけですね。
言うなればこういう人は、「顔がない」と言えます。
いわゆる「のっぺらぼう」で、顔や「自分」がありません。
ある意味、何かしらの「仮面」がなければ、自分が誰なのか、何をすればいいのか、どう生きればいいのか、分からないわけです。
ちなみに私たち自由大好き人間は、しっかりと自分独自の顔があります。
だから「仮面」がぴったりと張り付いて離れないほど、自分と仮面が分からなくなって、苦しくなってしまうものです。
顔がない人ほど、「社会的な役割」を必要とする
ですが、そういう顔がないタイプの人ほど、「社会的な役割」という仮面を必要とします。
ほら、社会維持型の気質が強い人ほど、自分を紹介する時に、職業のような「社会的なポジション」を一緒に出すじゃないですか。
例えば出会った時でも、よく「ご職業は?」と訊きますよね。
それとか名刺でも、名前のすぐ横にあるのは、「代表取締役」とか「社員」みたいな社会的なポジションです。
それは、社会的なポジションを一緒に出さないと、他に顔がないから特徴を出せないからかと思います。
つまり、「社会的なポジションがなければ、自分がどういう人間なのかを説明できない」んだと。
例えば私が知っている人で、動画配信をしている社会維持型の作家さんがいるんですよ。
その彼は、自己紹介する時に「作家の○○です」と、必ず職業名を添えて自己紹介をします。
それは、社会的なポジションがなければのっぺらぼうになるので、そういう職業(社会の位置づけ)を添えないと、自分を定義できないからでしょう。
ちなみに境地開拓型の人ほど、その辺の役職を抜きにして「○○です」と自分の名前だけで自己紹介をします。
それは、特に社会的なポジションを気にしないからだろうな、と思ったりもします。
「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」という象徴
そういう「仮面を必要とする」という象徴として、映画「千と千尋の神隠し」で登場する「カオナシ」(→ピクシブ百科事典)がいます。
有名なキャラクターなので、知っている人も多いかと思います。
これがまさに、「顔がなく、仮面を必要とする」という象徴だと分かります。
こういうタイプは「顔(自分軸)」がないので、自分がどこに行けばいいのか、何をすればいいのか分かりません。
そして誰かから行動を指示してくれなければ、何もできません。
当然、自由は大の苦手なので、自分の行動に責任を取れません。
だからそういう人が自由の中に放り込まれると、カオナシと同じように、ただぼんやりと社会をふらふらと歩くだけの存在になります。
仮面を得ると、その仮面に合わせた行動を取れる
ですがそういうタイプは、良質な仮面を得ると、その仮面に合わせた行動を取れます。
「自分がない」ということは欠点でもありますが、裏を返すと「仮面の価値観を邪魔するものがない」という長所でもありますからね。
だからそういうタイプほど、「社会や組織の構成員として、うまく機能しやすい」タイプだと分かります。
そして社会から適した仮面を得られるほど、そういう人は輝きます。
また、そういう「仮面」を持つことは、自然なことだと言えます。
それは、人間や一部の社会性を持つ動物ほど、こういう「社会の価値観に合わせる性質」が多少なりともあることで、協調して力を発揮できるからですね。
例えばオオカミの場合、群れを作ってそれぞれが役割を担うことで、獲物を追い込み、仕留められます。
単体ではできないことでも、組織で動くことで、種を守り、エサを得やすくなることもあるわけです。
だから自然の立ち位置から見ると、社会では「仮面」が必要なものだと分かります。
そして特に社会の中心になるほど、そういう「のっぺらぼう」の気質が強い人ほど、様々な歯車になれるし、社会の役に立つ存在だと分かります。
仮面の質によって、人生が左右される
ですが当然、そういうタイプの人ほど、仮面の質によって人生が左右されます。
良質な社会から、良質な仮面を得られれば、優れた役職の人として力を発揮できるでしょう。
ですが質の悪い社会から、質の悪い仮面を与えられると、まさにカオナシのように、何もできずに社会をふらふらとうろつくだけの存在になってしまうと。
これは「いい悪い」ではなく、そういう「気質の分散」だということです。
だいたい、「自由が好き」という側でも、極端にすると「社会性が完全に欠如している」という状態になりますからね。
例えば無政府主義者とかは、そういう気質の人が持ちやすい思想かなと予想したりもするんですが。
それもそれで、「いい悪い」ではなく、「そういう気質と分散」だということです。
まとめ
これが分かると、世の中にはそういう「仮面を必要とする」というタイプの人もいると分かります。
そしてそういう人もいることで、社会が成り立っているんだと。
私たちのような自由が好きな人にとっては、「仮面を外すと、人生が変わる」と言えます。
一方で自分がないタイプにとっては、「仮面次第で、人生が変わる」と言えます。
仮面は悪いものではなく、その人の性質に合うかどうか、ということですね。
どちらにしても、いつからでも人生は大きく変えられます。
問題なのは、「自分の性質に合うスタイルで生きられるか」ということです。
こういう性質分類が分かると、より世の中を適切に把握できて、「自分の性質に合う環境で生きればいい」と分かるかと思います。
すると「結構世の中はうまくできているんだな」と分かって、心地よい環境を探しやすくなるかもしれません。
ということで今日は、個性のある人は仮面が邪魔、だけど個性のない人は仮面が必要、というお話でした。
今日はここまで~。