今日はちょっと心のお話ということで、「やり残したこと」について語ってみましょうか。
少し前に、ちょっと思うところがあって「人生でやり残したことリスト」みたいなのを作って、実行してみたんですよ。
すると、すっごい自由さを感じられるようになったんですよね。
何というか、こだわりを捨てるという感じですかね。
言い換えると、「過去にけりをつける」とも言えるかもしれません。
私たちって不安や心配事を持つものじゃないですか。
なら「なぜ不安を持つのか」を考えた場合、「もっと生きたいから」という理由だと思うんですよ。
すると、「なぜもっと生きたいのか」と問いかけてみると、その答えに「やり残したことがあるから」と来ると思うんですよね。
だから、やり残したことをやり尽くすと、人生から不安が消えるわけです。
そりゃそうですよね、全部やっちゃったら、いつ死んでもいい感じになりますし(笑
だから、今を楽しんで、そして未来を自由に作り出せるようになるわけです。
逆を言うと、過去に引きずられて、やり残したことがあればあるほど、人は不安を持ち、死ぬことにおびえるわけです。
そもそも考えてもみてくださいよ。
世の中を見渡しても、「自分の命に価値なんかない」みたいに言っている人ほど、不安におびえているんですよ。
普通は、「自分の命に価値はない」みたいに言う人ほど、価値はないと思っているから、不安とかには恐れはないと思うじゃないですか。
でも現実は逆で、ニュースで人を不安にさせることに敏感に反応して、批判にもろくて、そして同時に人の批判をする、そういう人ほど不安におびえている……つまり、不安に対して脆弱に生きているわけです。
逆に、「生きていてよかった。豊かだ」みたいな豊かさや愛情を味わって、それを広められる人ほど、不安を持たずに、積極的に今と未来のために生きられるわけです。
なら何の違いがあるのかというと、そこに「抑圧」が絡んでくるわけですね。
抑圧とは、言うなれば「癒すのを忘れて、やり残したこと」とも言えるでしょう。
過去に泣きたいことがあった。
でも、その感情を押し殺して、哀しい感情に向き合うことを未来に保留したわけです。
なぜなら、そのときに感情を出してしまったら、生き延びられなかった可能性があったからですね。
例えば小さい頃に、親から「あんたなんかいなければよかった」と明にも暗にも言われてしまう子どもがいます。
実はこれはとても多くいるんですよ。
例えば、親が「仕事が嫌だ。でも子どものために、嫌な仕事をしなきゃいけない」とかいうメッセージを発していると、子どもは「自分のために、親が苦しんでいる」……つまり「自分がいなければ、親は自由に好きな仕事ができるのに」と思ってしまうわけです。
つまり、子どもにとっては「自分はいなければよかったんだ」と思うようになるわけです。
それぐらい、間接的に「子どもがいなければよかった」と気づかずにそういうメッセージを発するのを、今まで本当に多く見てきましたし、私自身もそういう環境で育ったんですよね。
「あんたなんか、いなければよかった」と言われる……それは、子どもにとってはとても哀しい出来事ですよね。
でも、子どもはその哀しみを出すことはできないわけです。
というのも、親は子どもを負担に思っているわけで、子どもに「大人になって自立する」ように強いているわけです。
でも、「哀しみを出す」という行為は、「大人であらずに、子どもである」ということですよね。
だって、泣いたって相手を困らせるだけで、さらに親にとって負担になっちゃうんですから。
子どもにとっては「親から見放されること」は死を意味するので、親の考え方に従うしかありません。
だから、子どもは抑圧するしか術はないわけです。
つまり、「哀しい感情に向き合うことを、未来に保留した」ということです。
本当はそのとき、その場で泣かなきゃいけなかったのに、泣けない事情があった。
だから、「大人になって、一人で生きていけるようになって、その感情に向き合おう」……そう未来の自分を信じて、感情を抑圧したわけです。
なので、未来にそのつけが回ってきて、未来の自分が苦しむわけです。
それは、劣等感を持ったり、フラッシュバックに苦しんだり、批判に弱かったり、幸せを味わえなかったり、喜びを感じられなかったり……といった影響として出てくると。
過去の抑圧は、それはそれでいいと思うんですよ。
当時の力では、その感情を解決できなかったんですから。
自力で生きられるようになったとき、解決すればいいだけなんですよね。
成長して自分一人で生きられるようになったときに、その「当時押し殺してしまった感情」を開き直して、解決すればいいと思うんですよ。
ただし、これはそれなりに勇気がいることで、死に挑むぐらいの覚悟がいることですが、その報酬は「幸せ」なので、メリットは大きいかなとは思います。
そういうこともあって、過去にけりをつける、それが「やり残したことリスト」を処理するということですね。
私は一人で生きていけるようになって、数年前、そういう過去の抑圧を全て開き直して、癒したんですよ。
すると、もう自分を縛り付けていた鎖が、一気に壊れた感じで。
そしてつい最近も「まだまだやり残したことはあったな」と気がついて、処理したんですよ。
で、最近処理したことで一番大きかったのは、「両親との和解」でしたね。
あまりにもコンプレックスが強くて、対立していて、素直になれなかったんですが、そんな両親とようやく和解できたというか。
素直に、「産んでくれてありがとう」、「二人とも大好き」と本人に言えるようになったわけです。
こういうの、なかなかできないものですよね(笑
これは、劣等感を相当解決しないとできないようになっているんですよ。
そうすると、今までの過去の多くを手放すことができたんですよ。
簡単に言うと、自由になれたというか。
「あ、もうこれでほとんど手放して、楽になれた」みたいな。
何十年と続いた便秘がようやく出て、すっきりした感じ(笑
そういう風に身軽になっていくと、こだわることがなくなるんですよね。
それと同時に、「いつ死んでもいいや」みたいなぐらい気楽になれて、だから不安も一気になくなっていくと。
多くの人が、そんな「何十年も続く便秘」に苦しんでいるんですよ(笑
というか、便秘にすら気がついていなくて、「何か幸せを感じられない」っていう感覚なんですよね。
実際、私もすっきりするまで気がつきませんでしたし。
そんなこともあって、最近はなんだかとてもすっきりした毎日を過ごせるようになりました。
ってことで、もし不安体質なら、「やり残したことリスト」を作って実行してみるのもいいんじゃないかと思います。
結構インパクトあるかなと思いますので。
今日のお話はここまで!