今日はちょっと、「自力」と「他力」についてお話ししましょうか。

題して、「『頑張る』ことに疲れた人のための、『他力』のお話」です。

 

「自力」で道は切り開ける、という一般的な価値観

私はサミュエル・スマイルズの「自助論」が大好きなんですよ。
大学時代から、もう何回読んだか分からないぐらい繰り返し読んで。

ここで書かれているのは、「自分の人生は自力でしか切り開けない」ということで。
誰かにお膳立てしてもらうのを待つのではなくて、自分で食べ物を盛ろう、というお話ですね。

これは分かりますよね。
「努力をして、道を切り開きなさい」ということで、こういう考え方が広く出回っていますよね。

 

「他力」という価値観もある

で、実は「他力」も好きなんですよ(笑

五木寛之氏の思想は、言うなれば仏教の親鸞(しんらん)というお坊さんの考えと同じですね。
で、その親鸞は、言うなれば「変に苦しまずに、阿弥陀様(仏様)に丸投げしちゃいなさい」という教えなわけです。

で、自助が好きな人は、「他力本願」と聞くと、すごくネガティブなイメージがありますよね。
でも、実はそうではなくて、実は自力の「努力しなさい」と、他力の「努力をやめなさい」、一見矛盾しているように見えますが、実はこの両者は同じものなんですよ。

この「他力」というのは、言うなれば「人事を尽くして天命を待つ」の「天命を待ちなさい」と言っているのと同じで。

 

「頑張ればできる」は幻想

例えば、「俺は頑張ればできる」と言っている人がいたとしましょうか。
「俺が頑張ったら、これぐらいのパフォーマンスは発揮できるんだ」と、彼は言っています。
実際、一ヶ月に一日ぐらいはその力を発揮します。

でも、普段はその力を出していないわけじゃないですか。
ってことは、「一ヶ月に一日程度、パフォーマンスが高くなる、その程度の実力」と言えますよね。

つまり、彼は常に全力を出しているわけです。
「一ヶ月に一日しか、高パフォーマンスの日が出せない」、それが実力であり、彼の全力なんですよ。
「毎日高パフォーマンスでできる」というのは、ただの幻想なわけです。
実際、実現できてないんですから。

2割2分しか打てない野球選手が、「俺はもっと頑張ればできる」って言っても、誰も信じませんよね。
厳然と数値で出ているわけで。
同じように、日々の数値として厳然と出ているなら、それがその人の実力なわけです。

 

「人は常に全力を出している」という見方

それと同じで、「頑張ればできる」というのは、全て幻想なわけです。
現実では、普段からその成果が出せてないんですから。

そう考えると、「人は常に努力している」、「人は常に全力でいる」と捉えられますよね。
一日に数時間だけ無理をすることができる、それが「全力」なんだと。
一日に数時間怠けてしまう、それが「全力」なんだと。

 

「努力が実った」は本当?

さらに別の角度から見てみましょうか。

例えばオリンピックで優勝して、金メダルを取った人がいたとしましょう。
彼は「努力が実った」と言っています。
それは本当ですか?と。

見方を変えると、「他の選手が、その人よりも『努力してくれなかったおかげ』で、その人は金メダルを取れた」わけじゃないですか。
それを、金メダルを取った人は、「自分が取った」と思い込んでいるわけです。

 

王子様は、本当に「自力」でお金持ちになれたのか

これはこういうたとえ話で見てみると分かると思います。

ある国に、王子様がいました。
彼は、石油が出る国で、世界一の豊かさを持っている国の、世界一豊かな王族に生まれました。
その彼が、「私が豊かなのは、自分の努力のたまものだ」と言っています。

でも、私たちから見ると、「石油があるおかげでしょ」と言いたくなりますよね。

他の例で言ってみましょうか。
ある学校で、いつも徒競走で一番になる子がいました。
実はその子だけが走ることができて、他の子は全員車椅子だったわけですね。
その子が、「私の足が速いのは、自分の努力のたまものだ」と言っています。

これも、私たちから見ると、おかしいですよね。
「他の人が、車椅子だったおかげでしょ」と。

 

自力を包み込むのが、「他力」の考え方

すると、オリンピックで一番になった人は、本当に「その人が自力で取ったこと」なのか。
健康な体に生んでくれたおかげもあるでしょうし、幼い頃から食べるものがあったおかげもあるでしょうし、運動できる環境があったおかげでもあるでしょう。
走ったら「すごい!」とモチベーションを上げてくれる師がいたおかげもあるかもしれません。
他の国では、幼い子でも働かなくちゃいけない地域もあったり、難民として移動しながら生活しなきゃいけない子もいるわけですから。

他にも、他の人が、たまたまその人よりも、怠けてくれたおかげだったりするでしょう。

それを、「おかげさま」、つまり「他力」というわけですね。

 

何のために「頑張る」のか

そもそも、「何のために頑張るのですか?」、「何のために努力をするのですか?」って話ですよね。
お金持ちになりたいのは、何のため?
世界一になりたいのは、何のため?
夢を叶えたいのは、何のため?

すると、その先に行き着くのは、「幸せになりたいから」、もしくは「人々を幸せにしたいから」ですよね。

だったら、「その頑張りや努力は、幸せになるために、人々を幸せにするために、必要なことですか?」と。

 

単純に幸せになりたいなら、頑張らなくてもなれる

最近はよく言いますが、「幸せになるのは簡単で、あるものを数えればすぐに幸せになれる。ないものを数えれば、すぐに不幸になれる」ってことなんですよ。

オリンピックで銀メダルになって悔し涙を流している選手とか見ると、「この人は地獄に生きているんだな」と思うんですよね。
世界第二位のお金持ちになって、「こんなんじゃ足りない」って言っているのと同じですから。

これは言い換えると、「自分にないものを見ている」ってことですよね。
そして、周囲の人に「自分には足りない」というメッセージを広めている……つまり、「周囲の人を不幸にしている」ってことなんですよ。
銀メダル分の希望を与えられるのに、その価値すら捨ててしまっているわけです。

 

「おかげさま」を知れば、その場で花が開く

逆に、「おかげさま」を知っている人は、見ていて心地よくて、「この人は幸せに生きているな」と感じるんですよ。
これは、「自分にあるものを見ている」ということですね。

銀メダルになって、自分の周囲の子どもたちには金メダル分の希望を与えられなかったかもしれない。
でも、金メダルは他の国の選手が取って、その選手は他の国の子どもたちに希望を与えたわけですよね。
すなわち、「自分が負けたおかげで、その国の子どもたちは希望を得た」とも見ることができるわけです。

すると、それだけで幸せになれますよね。
そして、自分は銀メダルを誇って、銀メダル分の希望を周囲に与えられるわけで。

だったら、「与えられた場所で花開く」ことが可能になるわけです。
努力も必要なく、頑張りも必要なく、今の自分にできることで自分を、そして周囲を幸せにできるわけです。

 

まとめ:「自力」に加えて「他力」を知れば、「幸せになれない自力」から解放される

だから、「自力」も「他力」も、一つのことを別の側面から見た同じものだということです。

そして、「幸せを考えない自力」が蔓延しているように思えます。
その「自力」は、本来の「自力」ではありませんよ、スマイルズの「自助論」で言っている「自力」とは違うものですよ、ということです。

多くの人が、「頑張って、不幸になっている」ように感じるんですよ。
「頑張らなきゃ」って言っている人は、ほとんどが幸せではなさそうに見えるわけで。
本当に幸せな人は、頑張らなくても、極めて高いパフォーマンスを発揮できているんですよね。

頑張らなくても幸せになれますよ、と。
そのためにも、「自力」だけではなく、「他力」も知るといいかなと思います。

この「自力」と「他力」の交わる場所が理解できれば、「頑張って、不幸になる」ということがなくなるんじゃないかなーと思います。

 

ってことで、今日は自力と他力についてお話してみました。

今日のお話はここまで!

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