今日は、劣等感についてお話してみましょうか。

Twitterとかでも、まれに自分のことを「ゴミ」だとか「クズ」だとか自虐的に紹介している人がいますよね。
なぜそういう風に思うようになったのか、その根底にはどういう心理があるのか、改めて説明してみましょうか。

今日は久しぶりに、真面目な心理についてのお話です。

 

自分をどう思っているかは、「セルフイメージ」で決まる

先にも触れたように、自分のことを「ゴミ」、「クズ」だと言ってしまう人がいるものです。

「ゴミ」「クズ」ってのは、まぁ分かると思いますが、「役に立たないもの」、「いらなくなったもの」の象徴ですよね。
彼らは自分のことを「自分は役に立たない」、「自分は必要とされていない」と思っているわけです。

心理的に健康な人から見たら、「そんなの自分の行動次第でしょ」とか思いますよね。
困っている人なんか世の中にいくらでもいるわけで、その人たちに手をさしのべて手助けすれば、いくらでも喜んでもらえるわけです。
役に立つかどうかなんて、「今」の行動で、自分の気持ち次第で変えられるわけです。

ところで、自分が自分をどう思っているのか、というのを「セルフイメージ」と言います。
「自分はできる」と思っている人は「セルフイメージが高い」と表現できます。
逆に「自分はダメな奴だ」と思っている人は、「セルフイメージが低い」と言えます。

これは、自分が自分をどう認識しているのか、という問題ですね。
つまり、「思い込み」なわけです。

「自分はできる」と思っている人も、ただの思い込みなんですよ。
「自分はダメな奴だ」というのも、同じく思い込みで、どっちにしろ根拠なんてないんですよ。

 

愛情を受けて育つと、人を許せて、人に愛情を与えられるようになる

なら、なぜそのような思い込みを持つようになったのか。

例えば一つの流れとして、「子ども時代、親からそう扱われた」というのがあるでしょう。

というのも、子どもというのは、親にとっては基本的に「迷惑な存在」なわけです。
小さい頃は自分で食べられないし、おむつも替えなきゃいけない。
服も着せなきゃいけないし、育ってくると教育費とか、山ほどお金がかかってくるわけです。

つまり、子どもというのは、100%迷惑な存在で、子どもを作ると親にとっては100%足を引っ張るし、親にとっては不幸になるものなわけです。

でも、愛情のある親というのは、他人の迷惑を受け入れられる人なんですよ。
子どもだって他人ですからね。
「迷惑を受け入れること」とは、裏返すと「奉仕」でもあったりします。

愛情を与えるというのは、奉仕をするということでもあると。

そういう環境で育った子は、「自分は人に迷惑をかけてもいい存在なんだ」と許しを得ます。
すると、他人にも「人は、迷惑をかけてもいい」と許せるようになります。

だから、愛情を受けて育った子は、人に奉仕できるようになる、すなわち「愛情を与える」ことができるようになるわけです。

 

愛情のない環境で育つと、人を許せず、愛情を与えられなくなる

一方で、愛情のない親にしたら、子どもは親にとって、「自分の幸せを奪う者」になってしまうわけです。

子どもがいなければ、自分はもっと楽ができて、幸せになれる。
嫌な仕事をこんなにしなくても済む。
休日や仕事後でも、もっと休むことができる。
子どもさえいなければ、自分はもっと幸せになれるのに――

そういうメッセージを受け続けて育った子は、「自分は迷惑をかける存在なんだ」と思うようになります
子どもだからすぐにできなくて当然なんですが、親から「できなければ落胆される」という心理的な脅迫を受けると、子どもは「すぐにできるようにならなきゃいけない」とか「完璧にこなせるようにならなきゃいけない」などと思うようになります。

というのも、親に見放されるのは、子にとって死を意味しますからね。

だから、愛情のない環境で育った子は、「自分は人に迷惑をかける存在で、迷惑をかけてはいけない」と、迷惑を許せなくなります。
すると、他人にも「人はみんな、迷惑をかけて生きてはいけない」と思うようになります。

なので、愛情のない環境に育った子は、人に奉仕ができずに、愛情を与えることができなくなるわけです。

実際のところ、迷惑をかけずに生きることなどできないので、この強迫観念が強くなればなるほど、最後には「死ぬ」しか道はなくなってしまうわけですね。

セルフイメージは変えられる

人は、自分が信じているような姿になります。
それは、「セルフイメージ通りの人になる」ということです。

「自分はダメな人だ」と思っていたら、間違いなくそうなってゆきます。
逆に「自分はできる人だ」と思っていたら、間違いなくそうなってゆきます。

だからこそ、セルフイメージの状態がその人の運命を左右するわけですが。

こういう風に説明すると、「自分は愛情を与えられなかった。だから親が悪いんだ」と思いがちなんですが、実はそうではないんですよ。
セルフイメージは、自分で変えられます

というのも、セルフイメージというのは、ただ単純に「習慣」だからですね。

「私は毎日、パン食です」というのに慣れている人は、朝食にパンを食べ続けるものですよね。
「幼い頃から朝食がパンだったから、大人になってもパンを食べる」という程度でしかないと。

それを、ご飯にすることも、習慣次第でできますよ、ということですね。

 

私はこうして習慣を変えた

例えば私は、あまり愛情のない環境に育ったので、ずっと劣等感に支配されていたわけです。
親が頻繁に「お前はいない方がいい子だったんだ」というメッセージを発するものだから、高校時代とか、親の出す食事には「毒が入っている」という強迫観念まで持ってました。

でも、食べないといけないので、吐き気を抑えながら無理矢理胃に詰め込んでいたわけです。

それに、家でも精神的に安らげる場所はなかったので、常に護身用のナイフを身につけているような少年でした。
それだけ、「自分は殺される」という強迫観念を持っていたわけですね。

当時、「ナイフを持つ少年」みたいなのが騒がれてましたが、私の家族の三兄弟はみんなナイフをそれぞれ持っていたんですよ。
それぐらい安らげる場所がなくて、家の中でもおびえながら暮らしていたと。
実質、破綻していた家族だったわけですね。

実はこれを告白するのは初なんですが、危なっかしい少年時代でしょ。

 

実は魅力があるのに、自分で信じられていないだけ

まぁそれは裏を返すと、危なっかしい少年だけれども、それはそれで女性には魅力的に映ったのかもしれません。
というのも、「世界中の全てを敵に回しても、生き抜ける力を」みたいな精神的な自立心は当時からあったので、今思い返せば、そういう点を見ていたのかなと。

ただ、そういう魅力があったことは、自分を許せるようにならないと気がつかないんですよ。
私も最近になって、「あ、自分って魅力的だったんだ。だから当時から、興味を持って近づいてくれる人がいたんだ」とようやく理解できたぐらいで(笑
それまでは、「自分には魅力がない」としか思えなかったわけで、だからこそ近づいてくる多くの人を拒絶していたんですよね。
今思えば、もったいない限りですが(笑

だから私は、そういう子の気持ちがすごく分かるんですよ。
本当はそれはそれで魅力があるのに、自分で自分の魅力に気づけないでいるわけです。

で、私の場合は大学時代に心理学と出会って、その劣等感を解決しようとして動き始めたわけです。

そして思考の習慣を変えて、今では(*´д`)←こんな状態になってしまってますが(笑

それはただ単純に、習慣の問題なわけですね。

 

まとめ:セルフイメージを変え始めると、十年後が楽になる

もちろん、ずっと自分を「ゴミ」「クズ」と思っていてもいいんですが、それって結構しんどいですよね。
できることなら、自分の魅力に気づいて、やりたい放題やって生きたいものじゃないですか。

「あの人は、なんであんなに幸せそうなんだろう」っていうのはよくありますよね。
そしてそれはまるで遠い世界で、自分のいる世界とは全く違った世界のように見えたりとか。

でも実はそれは幻想で、普通に変えることができるんですよ。

それは、セルフイメージを変えればいいだけです。

それは一気に変えるものではなくて、ゆっくりゆっくりと「自分はこれでいい」と許すことを習慣にしてゆけば、十年もすれば全く違った生き方ができるようになります。

すると、いつの間にか人を許せるようになっていて、優しくできるようになるわけですね。
そして、「ゴミ」「クズ」だと思っている状態でも、実は魅力があったんだと気づけるようになります。

だから、十年後を楽しみにしながら、ゆっくりと自分を許すことを意識してゆければいいんじゃないかな、と思ったりもします。
このブログでもそういう「自分を許す」ことは多く触れていくので、ずっと読んでいれば、十年後はそれなりに変わっているんじゃないかな、とも思ったりもしますが。

 

まぁそんな風に、今日は「ゴミ」「クズ」の考え方について説明してみました。

今日はここまで~。

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