今日はちょっと一息ネタということで、「廃墟」のお話でもしてみましょうか。
「廃墟+バイクトライアル」 な動画のご紹介
まずは、こちらをご覧ください。
この動画は、バイクトライアルと言って、いわゆる足を地面につけずに自転車に乗ってパフォーマンスをするというものなんですが、その舞台が「廃墟」なんですよ。
アルゼンチンに、ヴィラ・エペクエンという街がありました。
湖畔の街だったんですが、1985年に湖の水位が急上昇して、街は湖に飲み込まれます。
ですが、つい最近、およそ25年という月日を経て、水位が下がって街が現れたっていうんですよ。
その廃墟を舞台にして、バイクトライアル・アスリートがパフォーマンスをする、という動画です。
私は廃墟フェチではないんですが、こういうのはかっこいいな~と思うんですよ。
廃墟の魅力とは、「社会や文化」の「死」を感じられること
「廃墟」って、好きな人はほんと好きですよね。
で、なぜ廃墟が魅力的に感じるのかというと、そこに「死」があるからだと思うんですよ。
それは、人間の死だけでなく、「社会」や「文化そのもの」の死とも言えるでしょう。
私たちは、いつか死ぬわけですね。
すると、そういう死を目の前にすると、しょーもない競争とか、見下した見下されたとか、自分の方が優れているとか、劣っているとか、そういうのはどうでもよくなりますよね。
「あの人が憎い」って言ったって、100年後には大抵死んでるんですから(笑
憎んで憎んで、そうして死んでゆくか、楽しんで楽しんで、死んでゆくか、どっちも同じなんですよね。
だったら、「楽しく過ごして、死んでゆこう」って、変な競争心を捨てて楽しめますよね。
社会や文化にも死が訪れると知れば、社会や文化のしがらみも解放できる
同じように、それをさらに「社会」や「文化」も死が訪れると考えてみるわけです。
私たちの社会も、いつか死ぬわけです。
文化も、死に絶えます。
日本も死にますし、市町村も死にますし、日本文化もいつかはなくなります。
学校もなくなれば、会社もなくなります。
親類もなくなれば、近所も、過去を知っている人も、何もかもなくなります。
それどころか、地球も死ぬわけです。
すると、私たちは「いったい何に悩んでいるの?」ってことですよね。
個人のしがらみだけでなく、社会や文化のしがらみからも、解放されるわけです。
文化や社会が自分に「こうしろ」「ああしろ」と言っていても、所詮それもいつかは消えてなくなる。
そう思えれば、好き放題できるでしょ。
まとめ:廃墟は「文化や社会のしがらみ」から解放されるので、魅力がある
そういう「文化や社会の死」を感じられるので、「廃墟」は好かれているんじゃないかな~と思います。
すなわち、「文化や社会のしがらみ」から解放されるので、「廃墟」は好かれると。
そして上記の動画では、そういう「文化が死んだ後」の舞台で、ひとりの若者がバイクトライアルを楽しんでいるわけです。
それは自由の象徴でもあり、「全てが滅んでしまっても、楽しい思いは生き続けるんだよ」、というメッセージのような気もします。
最後に、一つのメッセージを添えて、今回の記事のまとめとしましょう。
「もし全てのしがらみから解放されて、自由になれたなら、何をしたいですか?」
それが、廃墟が教えてくれることなんですよね。
ということで、今日は廃墟についてお話ししてみました。
今日はここまで~。