さて、まず最初に(私だけに)嬉しいお知らせ。
フラッシュバックを完全制圧しました。
ついに丸一日、フラッシュバックが起きないという状態になり、あれだけ苦しんでいたのが、まるで嘘のようになりました。
その嬉しさもあって、もう少しだけ抑圧対策キャンペーンをやります(笑
今日は、意欲についてお話しましょう。
自信がない、失敗が怖い、エネルギーが出ない、工夫できない、やりたいことが分からない……そういう人向けに、何が原因だったのか、そしてどうすればその抑圧を克服できるのか、そのお話をしましょう。
「自発性」という抑圧
抑圧(というか幼児的な成長)には、二本の柱があります。
- ひとつは、親子間の情緒的なつながり。
- もうひとつは、自発性(意欲)。
親子間の情緒的なつながりというのは、言い換えると「愛される、理解してもらえる」ということですね。
これが欠乏すると、不安になったり、生きている意味が分からなかったり、自分には価値がないと思ったりするようになります。
この原因と対策は、以前の「劣等感を解決する、ひとつの考え方(続・インナーチャイルドと劣等感のお話)」記事をご覧ください。
で、子どもが正常に発達するには、もうひとつの「自発性」という柱が重要になります。
これが満たされることで、私たちに生きる意欲とか、エネルギー、面白さ、工夫をもたらしてくれるわけです。
つまり、「親子間の情緒的なつながり」が、安心や不安のない生き方、受容感、そういう「世の中に受け入れられている」という「安心」という幸せをもたらしてくれます。
一方で、「自発性」が、楽しさとか、嬉しさ、工夫、情熱、元気という幸せをもたらしてくれると。
「情緒的なつながり」が「マイナスにならない幸せ」で、「自発性」が「プラスにしてゆく幸せ」だと思えばいいでしょう。
私の周囲にも、無気力で何をしたらよいのか分からずに、元気が出ない……という人は、結構いるものです。
それは、「自発性」という要素を幼い頃に育てることができなかったからですね。
なぜ「自発性」は抑圧されたのか
なら、この「自発性」は、どのようにすれば伸びるのか。
実はこれは、幼い頃に、親が子どもに「自由にさせる」ことで、その自発性が伸びます。
つまり、「貴方の好きなようにしなさい」と任せれば、自発性は伸びるわけです。
逆に「こうしなさい、ああしなさい」と指示され続けたり、「それ見なさい、だから私(親)が言った通りになったでしょう」と言われ続けていた子は、自発性が伸びないと。
自発性が抑圧されると、親にとっては自分のいいなりになる「扱いやすい子」、「いい子」、「おとなしい子」、「物分かりのいい子」になります。
だから、親にとってはこれ以上「楽」なことはないわけです。
ですが、子どもにとっては「自発性を奪われた子」、「無気力な子」、「自分では決められない子」、「自分では動けない子」になってしまうわけです。
特に、長男長女の人ほど、自発性が奪われる傾向が強いものです。
それは、最初の子なので、それだけ失敗を恐れて「ああしなさい、こうしなさい。あれはだめ、これもだめ」と、幼い頃にがんじがらめにされてしまって、身動きできなくなる傾向が強いからですね。
子どもって、好奇心の塊で、しかも興味があることにはすごい集中力を発揮するものなんですよ。
例えばアリの行列だって、30分とか平気でじっと眺めることができるわけです。
なのに、「せっかく大きな公園に来たのに、そんなことしてないで、いろんな遊具で遊んできなさい」と言って、無理矢理「大人の価値観」を押しつけるわけです。
「貴方には、この遊具が一番面白いのよ」と、感性を押しつけて。
でも、子どもにとっては、そこにある「アリの行列」に最も好奇心を抱いていて、集中して見ていたい、そういう「子どもなりの価値観」があるんですよね。
せっかく最高の研究心や探求心、とてつもない集中力が発揮できるのに、それをことあるごとに「大人の価値観」でその機会を奪われてしまうわけです。
「遊ぶのはダメです。この勉強しなさい」
「それはこうしなさい」
「これをしてはいけません。あれもダメです」
すると子どもは、何にも集中できずに、楽しいこともできずに、「どうせ、楽しいことなんかできないんだ」とあきらめるようになります。
実はこの「人生へのあきらめ」は、小さな赤ん坊でも起きます。
普通は赤ん坊は、泣くことで親に世話を要求するわけです。
ですが、泣いても親から放って置かれると、次第に泣かない赤ん坊になります。
それは親にとっては「楽」ですが、その子は感情を表に出せなくなり、自発性も失われて、「この世界は、自分が何を叫んでも、無駄な世界だ。誰も自分を愛してくれる人などいない。誰も助けてくれない。何をしたって、満足できることなど、何もない」と思うようになります。
赤ん坊の頃から、着実に「生きる意欲」が失われてしまうわけですね。
他にも、親が「そんな危ないことをしてはいけません」とか、「そうすれば失敗するから、やってはダメよ」などと言って、子どもから失敗を取り上げることがあります。
普通は、子どもは挑戦と失敗を繰り返して、工夫をして、そして「やった、できた!」という過程を経ます。
「失敗を乗り越えた後の成功」という、最高の心地よさを知るわけです。
そうして、失敗を恐れずに、行動できるようになるわけですね。
でも、それらの経験を取り除かれてしまうと、「失敗してはいけない」と思い込むようになって、結果として行動できなくなってしまいます。
私は末っ子で、しかも三人兄弟の一番下で、歳も離れていたので、親も「自由にさせよう」っていうノリで、自由だけは山ほど得られたわけです(笑
だから、私は「親との情緒的な結びつき」は欠けていましたが、自由は多くあったので、「自発性」は十分に得られたわけですね。
そういうこともあって、エネルギッシュに毎日ブログを書いたり、制作をしたり、挑戦をしたり、情熱的にやりたい放題で物事にぶつかることができているわけです。
大人になった今から「自発性」を得る方法
なので、自信がない、失敗が怖い、エネルギーが出ない、工夫できない、やりたいことが分からない……そういう人の根本原因には、「幼い頃に自由を得られなかった」ことがあるわけです。
すると、その対策は見えてきますよね。
それは、大人になった今から、自分に自由を与えて、ひとりで好きにしてゆくことを許すことです。
これも、退行催眠法(仮)を用いることができるでしょう。
幼い頃に、自由にできなかったことを思い出してみて、今から自由に決めてみる、ということです。
例えば学校帰りに、塾があったので寄り道できなかった。
なら、今から寄り道をするわけです。
アリの行列を眺めていたかったのに、親が我慢できずに引きはがされたら、今からアリの行列を眺めることです。
例えば私とか、最近、川に足をつけて本を読むとかフリーダムなことをしてますが、すると、足下に何匹もメダカがいるんですよ。
で、興味がわいたら、本を読むのをやめて、そのメダカをじーっと眺めるわけです。
すると、10分とか眺め続けていても、これが面白いんですよ!
ただメダカを眺めているだけなのに、これが最高に面白いわけです。
そして、足を少し動かすと、水の中で砂埃が舞いますよね。
すると、周囲にいるメダカが一斉に、すーっと私の足下に寄ってくるんですよ。
たぶん、砂埃と一緒に舞い上がったエサを食べに来るのかなと。
だったら、足下がメダカの天国になって、「もっと呼び寄せてやろう」と適度な砂埃を上げて、じっと動かずにいると、どんどん多くのメダカが来て、その「成功」がもう最高に心地よくて、楽しいと。
そういう小さな発見をしながら、メダカとか、ゴリ(川魚)の子を見ていると、もう本そっちのけで楽しめるわけです。
すると、「メダカって面白い!」、「川って面白い!」、「もっと見ていたい!」、「もっと知りたい!」と思うようになって、集中力がついて、好奇心がわいて、エネルギーも出て、楽しくなって、もっと行動を起こしたくなるわけです。
また、「メダカを集めようと試してみたら、できた」という風に、「こうやってみよう」、「できた!」という挑戦と結果ができるので、次第に自信がついて、「やればできるんだ」と思うようになると。
それが、次の「これって面白そう」という感性と動機付け、行動につながってゆくんですよ。
好奇心も、自信も、エネルギーも、情熱も、行動力も、全てつながっているわけです。
そういう風に、エネルギーがエネルギーを、好奇心が好奇心を生んで、次々と「面白いこと」が見つかるようになるわけです。
そして十分にそれらが見つけられるようになると、「この世界って、面白いことがいっぱい!」、「自分にも、できる楽しいことがいっぱいある!」という、あの子ども時代の心を、大人になっても持ち続けられるんですよね。
だったら、「他の人にも教えてあげよう」という気持ちもわいてきて、自分が楽しめたことなので、他の人も楽しめる形にできて、喜んでもらえると。
私も、ゲーム制作をするようになって今まで、「暇だ」という日は一日たりともなくなりましたが、そういう好奇心に満ちあふれた毎日を送ることができるようになると。
大切なのは、最初は「ひとりでする」ことです。
他の人がいたら、どうしても「自分で決める」ことができなくなるからですね。
特に自発性がない人は、他の人といると、人に決めてもらいがちですしね。
そして、自分に自由を与えると、必ず最初は何をしたらよいのか分からず、途方に暮れると思います。
でも、それで構いません。
思う存分、途方に暮れてください。
ですが、その自由を、ずっと自分に与え続けます。
すると、子どもでも1ヶ月程度、大人なら2週間~2ヶ月もすれば、次第に自発的な「これをしよう」という思いが出てきます。
一度そういう自発性が生まれると、後はすぐです。
エネルギーがエネルギーを呼んで、どんどん面白いことを見つけてゆけるでしょう。
また、最初はお金を使うことで得られる好奇心は遠ざけることです。
寄り道とか、アリの行列を眺めたり、雲が変化してゆくのを眺めたり、メダカを眺めるのなんて、タダでできますよね。
最初はそんな風に、お金をかけない好奇心を満たしてゆくといいでしょう。
そして、最初は人工物よりも、自然に興味を向ける方がいいでしょう。
自然の奥深さは、人工物の比になりませんからね。
それに、人間社会にある競争とか、見栄とか、そういうものが入りにくいものなので、自然に注意を向けてみるといいでしょう。
小さな花をじっと見てみるとか、昆虫とか、雲や空、川や魚、草木、土、いっぱいありますよね。
すると、「もっと知りたい」と思うようになるので、そこで初めて図鑑を買ったり、博物館に行ったり、水族館に行ったりするわけです。
そして子どものように、べったりとひとつの水槽に張り付くといいでしょう(笑
知的好奇心が旺盛な子ほど、「これ大好き」と、ひとつのお気に入りの水槽にべったりできるものです。
で、満足したらそれは卒業して、新しい興味に移ってゆくわけですね。
ひとつのことに集中する必要はありません。
楽しいことを、どんどん移り変わるぐらいで、ちょうどいいんです。
まとめ
とにかく、自信がない、失敗が怖い、エネルギーが出ない、工夫できない、やりたいことが分からない……という人は、自発性を育てれば、それらの情熱は生まれるわけです。
だったら、過去に自由にできなかったことを思い出して、「本当はこうしたかった」を今からやってみましょう。
それを何度もやっていると、次第に好奇心も情熱も、生まれてきます。
そしていつしか、「この世界って、面白いことがいっぱい!」、「自分にも、できる楽しいことがいっぱいある!」という感覚を身につけることができるでしょう。
前回説明した「親との情緒的な結びつき」と、今回の「自発性」のふたつを克服できれば、全ての抑圧を解放できて、安心して、そして情熱的に生きることができるでしょう。
劣等感を何とかしたい人には、オススメです。
ってことで、今日はここまで!