今日は、「自己実現」についてお話ししてみましょうか。

「夢を持っている」という場合でも、夢を叶えても幸せになれる夢と、そうでない夢とがあるんですよね。

夢のように見えて、実は夢でも何でもなかった、みたいな。

「プロの作家になる」みたいな夢は、多くの場合、「自己実現」ではないこともあるんですよね。

その辺を少し、心理学の基礎も交えながら、お話ししてみましょうか。

 

「自己」と「自我」のお話

元々、「自己実現」という考え方は、スイスの心理学者であるユングが考えたことだったりします。

で、まずは「自我」と「自己」について説明しましょうか。

「自我」というのは、私たちが意識で考える領域だと思えばいいでしょう。

頭の中で考えられることですね。

「手元に100円があるから、50円のアイスを2つ買えるな」とか、そういう次元の内容を考えます。

一方で「自己」とは、無意識も含めた思考領域です。

そこには、過去の抑圧とか経験とか、社会常識とか社会通念とか、そういう「なんやよう分からんけど」という領域も含まれています。

 

私たちは自我を中心にして、頭で判断して生きていますが、実は自我の周りには自己という、「なんやよう分からんけど」というものに大きく影響されているわけですね。

最近私がよく説明している、抑圧とか劣等感とか、幼児的願望とかは、まさに「自己」の領域で、普段は認識できないものですよね。

でも、多くの人が、この領域によって行動を影響されているわけです。

で、「なんやよう分からんけど」が積み重なった結果、現状のようになってしまっているわけです。

 

「自我実現」と「自己実現」

で、夢には「自我実現」というレベルと、「自己実現」というレベルがあります。

「自我実現」っていうのは、「目に見えてはっきりと分かる実現」みたいなものです。

お金持ちになって、みんなから褒められて、ちやほやされて、名前が世界中に響き渡る、そんな感じです。

一方で「自己実現」っていうのは、抑圧とか劣等感とか、そういう「目に見えないもの」を含めた「実現」なんですよね。

 

自分が持っている夢で、それが「自我実現」なのか「自己実現」なのかを判断する、ひとつの尺度を紹介してみましょうか。

それは、「その夢に『死』が含まれるか」ということです。

死というのは、誰にでも訪れるもの絶対的なものにもかかわらず、私たちにとっては全く「よう分からん」という概念じゃないですか。

これだけ科学が進歩しても、「死んだ後ってどうなるの?」という簡単な問いには、全ての人が納得できる形では答えられないわけです。

それこそが、「自己」すなわち「なんやよう分からんけど」という領域の象徴ですよね。

そういう死を含めて考えた上で、その夢をとらえているのか、ということです。

 

「死」って、考えただけでもわけ分からないじゃないですか。

それを前にしたら、何もかもが無意味で、むなしくなりそうな、そんな絶対的なものですよね。

その「死」を含めて生きることを受け入れる次元か、それとも「~すべき、~ねばならない」という他人軸で、かつ表面的な次元のものか

「プロの作家になりたい」という夢があったとしても、それが「売れたいなぁ」っていう次元であれば、「自我実現」でしかないと。

でも、「いつか私は死ぬ。なら、限られた時間で、これをやりたい」みたいな、そういうより大きな、言うなればより「魂」に近い領域の要素を含んでいるもの、それが「自己実現」ですね。

 

答えは内側にある

なので、自我実現を追いかけていても、満足はほとんど来ないものだったりします。

「自己実現」こそが大切なわけですね。

その自己実現というのは、世間一般で言われているような、「この資格を取って、プロの○○になって自己実現しよう!」とか、「この車を手に入れて、○○をして楽しもう!」とか、そういうのは違うと思うんですよ。

答えは自分の外にあるんじゃなくて、自分の内側にあるものなんですから。

自己実現とは、自分に何かを「足す」ことで手に入れるものではなくて、むしろ何かを「選ばない」、「切り捨てる」ことで、初めて「この道を選ぶ」、そういうものなんですよね。

それは見方を変えると、「外側に足してゆく」とか「外側を変えてゆく」というよりかは、「内側に折り合いをつける」、「内側を満たしてゆく」という過程になるものです。

 

「プロの作家になる」というのが自我レベルでの実現になりやすいんですよ。

もし自己実現であれば、「文章を通して、自分や人に対して、○○をしたい」とか、「言葉を用いて、自分や人に、○○を実現したい」とか、そういう形になるかと思います。

「なる」とか「手に入れる」ではなくて、「どうありたい」とか、「どうしていたい」とか、そういう次元になるかなと。

 

まとめ

そういう風に考えると、偽りの夢と、本当の夢が分かるんじゃないかなと思います。

「自己実現」って、タダでもできるものなんですよ(笑

自己実現をするのに、お金も必要なければ、学歴も、能力も、才能も、別になくて構わないわけです。

その上、努力も必要ないですし、頑張ることも必要ないと。

だって、「内側を満たすこと」に「努力」や「頑張り」は必要ありませんからね。

ただし、そこには恐怖と向き合う覚悟とか、自分の醜い部分を全てさらし出すような、そんな勇気が必要になるんですが。

それを知っておくと、本当の夢が分かるんじゃないかなと思います。

 

ってことで今日は「自己実現」についてお話してみました。

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