今日は、人に手を貸したい時、どういう風に言えばよいのか、というちょっとしたお話をしてみましょうか。
人に手を貸したい場合、どう伝える?
人に手を貸したい時って、ありますよね。
「こうすれば、うまくいくのに!」とか、教えたくなる時ってあるものです。
でも、例えば「大丈夫?」とか、「手伝おうか?」とか言っても、相手が強がって「いらないよ!」とか、「大丈夫なの!」とか言う場合もあるわけです。
こちらがどう見ても、それじゃうまくいきそうにないのに、相手は強がって突っぱねるわけで。
「何でそんなに強情なのよ!」って思うようになって、善意で手助けしようとしたのが、逆に腹が立つ結果にもなりかねないわけです(笑
なら、どうすればいいのか。
人に手を貸したい場合、こう言うといいでしょう。
「何か私に力になれることはある?」
これですね。
すると、相手は必要だと思えば、素直に助力をお願いするようになります。
言葉の裏には、隠された心理的なメッセージがある
というのも、「大丈夫?」とか「手伝おうか?」っていう言葉の裏には、「貴方にはできないんじゃないの?」とか、「まだ早いんじゃないの?」みたいな、そういう否定的なメッセージが含まれるんですよ。
これは、心配と同じですね。
「心配」っていうのは、「その人に、その問題を乗り越える力がない」って思っているってことですから。
だから、親から心配ばかりされている子は、劣等感を持つようになります。
だって、いつも「お前にはできない」っていうメッセージを浴びてるんですからね。
それで子が「自分でやる」と言ってできなかったら、親は「それみなさい、できないでしょ」と、「私(親)が正しい」と子に植え付けます。
これは、子に「親の言うことが正しい。だから、貴方には問題を乗り越える力はないのよ」と洗脳していることになるわけです。
逆に、劣等感のない子は、親から「あんたならできるよ。もしできなければ、言ってね」というスタンスで子と接しています。
「心配」するのではなくて、「信頼」しているわけですね。
だから、子は自信を持って挑戦できて、もしできなければ、素直に助力を求めることができると。
そういう親は、子ができなくて助力を求められても、「今回はできなかったね。でも、またやってみよう」とメッセージを与えます。
すなわち、これは「いつかできるようになる」と子を洗脳していることになるわけです。
どうせ洗脳されるなら、こっちの方がいいでしょ(笑
まとめ
それと同じ原理で、人に助力を申し出る場合は、「心配だから」という動機で動くと、うまくいかないわけです。
それは、「あんたは能なしだから、私が代わりにやってあげるわ。この能なしの役立たず!」って暗に言ってるのと同じなんですよね。
そりゃ、相手は強情になって当然ですよね。
逆に、「貴方にはできるだろうけど、助けて欲しいなら手を貸すよ」という動機であれば、うまくその辺の障害を乗り越えられるわけです。
相手も素直に、必要な部分だけの助力を求めるでしょう。
ま、そんな風に、助力についてお話ししてみました。
今日はここまで~。