今日は、可能性についてお話しましょうか。
「できる」と思えばできる。「できない」と思えばできない。
どちらにしても、その人の考えは正しい。
――ヘンリー・フォード
まぁこんな風に言われているわけですが、「それって本当?」ってことですよね。
これに、少し深く踏み込んでみましょう。
「私はできる」、「私はダメな奴」、どちらも勝手に信じてるだけ
夢がどんどん叶ってゆく人がいる一方で、ぜーんぜん進歩しない人がいるわけです。
私は運良く夢をどんどん実現できるタイプなんですが、5年前に「私も2年後に独立する!」と言いながら、今でも「今、準備していて……」と、全然何もしていない人もいるわけです。
なぜ、私たちは「望んだ状態になれる」「なれない」と違うように思ってしまうのか。
これは、ただ単に、どちらを信じているか、その違いなんですよね。
「なれない」と思っている人は、親や周囲の環境から、「お前には無理だ」と言われて、それを信じた場合で。
一方で「なれる」と思っている人は、そういう「お前には無理だ」という制約がなかったり、もしくは「お前にはできるよ」と信頼してもらえた場合なんですよね。
「教育」っていうのは、一種の洗脳のようなものだと思うんですが、「何を信じるか」なんですよね。
そして、私たちが信じているものというのは、ほとんどが根拠のないものなんですよ。
いわば、宗教のようなものですね。
宗教というのは、「真だと証明できないことを真だと仮定して、論理を発展させた体系」ですから。
「私は自由に、自分の人生を作れる」と思っているとか、「私はクズでゴミだ」と思っているとか、全部そんなの「真」だとは証明できませんよね。
「私は誰なのか」、「私にはどんな可能性があるのか」なんて、真や偽の世界、いわば科学的な「計測できるもの」なんかじゃありませんよね。
私たちのほとんどは、「私ってすごい人」、「俺はダメな奴だ」みたいな、いわば宗教的思想を「自分で勝手に」信じ込んで生きているわけです。
「できると思えばできる」って言うけど、60歳でプロ野球選手になれるの?
例えば、60歳なのに、プロ野球選手になりたい人がいたとしましょうか。
普通、常識で考えれば、60歳でプロ野球選手になれるわけないでしょ。
ここで、「なれる」と信じるか、「なれない」と信じるか。
どっちも宗教で、どっちでもいいんですよ。
「なれる」と信じた人は、トライアウトでも受けてみるでしょう。
「前例がない」のであれば、「初の事例」になればいいだけですからね。
でも、トライアウトでは書類ではねられます。
それでも、「なれる」と信じています。
その人は、「なれる」と思っているのに、現実で「ダメ」と拒絶されるわけです。
「だめだったか」……って落ち込むのは、心の中に「なれない」という思いが少しでもあるから、起こるわけです。
でも、100%「なれる」と思っていたら、思想と現実との食い違いは「失敗」じゃなくなるんですよ。
それは、一種のフィードバックですね。
すると、その人は次のような二つのアプローチでフィードバックを元に、行動を修正していきます。
- 一つは、「目的」を変えること。
- もう一つは、「手段」を変えること。
一つ目の「目的」を変えるというのは、「そもそも、なんで私はプロ野球選手になりたいの?」と、自分の目的設定が適正かを考えるようになるんですよ。
それは、見栄のためなのか。大勢の観客の中で、野球をしたいだけなのか。プロに混じってプレイしたいだけなのか。子どもに父親の勇姿を見せたいからなのか。スタジアムのグラウンドに立ちたいだけなのか。
すると、フィードバックによって、より適切な「目的」を見つけられるようになります。
だったら、スタジアムのグラウンドに立ちたいだけなら、球場を借りることもできるでしょうし、他のイベントや機会で立つこともできるでしょう。
プロの選手に混じって野球をしたいのであれば、「始球式で一球だけプロになる」ということだってできるでしょう。
二軍で、バッティングピッチャーを手伝わせてもらうことだってできるかもしれません。
そんな風に、フィードバックによって、より「根源的な目的」を実現できるようになるんですよ。
これは、元々の「プロ野球選手になる」と同等の欲求になるわけです。
それを元に、二つ目の「手段」を変える、すなわちあれやこれやと試行錯誤をすることで、現実のものにしてゆくわけですね。
でも、もし「なれない」と思っていたら、それっきりでしょ。
本当になれないわけです。
可能性というのは、「なれる」という、いわば根拠のない宗教的信仰から生まれるってことですね。
まあ、「なれない」と思い込んでるのも、宗教的信仰ですが(笑
多くの人が、「なれない」教に属しているわけですね。
「なれる」教も、「なれない」教も、似たようなものなので、どっちを選ぶのかは自分次第です。
まとめ
よくよく考えると、私もこの「より根源的な目的を知る」と「試行錯誤」の二つで、夢を叶えてきたんですよね。
たったこの二つだけで、夢が叶うと。
簡単でしょ。
それに、「ダメだ」という結果は、失敗ではなくてフィードバックなので、(劣等感がなければ)落ち込まないわけです。
まあ、私の場合は、落ち込んだ時に「そもそも、なんで私はこうなりたかったんだろう?」って問いかける場合が多いので、落ち込んでもOKなんですが。
ただ、どちらを根拠もなく信じているか、それだけなんですよね。
勝手に、信じているだけ。
ただの習慣でしかないんですから。
なら、勝手に「できる」と信じてもいいかな、とも思ったりもします。
じゃあ、どうすれば「できない」を「できる」と信じるように変えられるのかは、また今度お話しましょう。
今日はここまで~。