今日は、ちょっと時代の流れについてお話ししてみましょうか。

この記事「失業率40%なのに「世界一長生きで幸せな島」の秘密とは? ドキュメンタリー映画『ハッピー・リトル・アイランド 長寿で豊かなギリシャの島で』」」を見たんですよ。

で、これからの時代のキーワードとして、「サステイナブル」という言葉があると思うんですよ。

これは、言うなれば今までの「大量生産、大量消費」への反省と反発として生まれた、「環境に調和した、身の丈にあった生き方」みたいな感じですかね。

こういう考え方が、これから少しずつもてはやされるだろうな~という実感があるので、これについてお話ししてみましょう。

 

情報革命で、価値観が変わった

情報革命が起こったことで、私たちは便利になりましたよね。

で、あまりにも便利になったことで、価値の逆転現象が起きているんですよ。

例えば、今までは自転車旅行とかは、ヒッピーとか金がない層の旅行手段でしたよね。

でも、今ではLCC(格安航空会社)が出てきたことによって、お金のない層ほど飛行機に乗ってせわしなく旅行して、逆に金持ち層ほど、自転車とか使ってゆったりと旅を楽しんでるんですよ。

他にも、農作業、特に「自分で作ったものを自分で食べる」っていうのは、今までは貧しい層がやることだったじゃないですか。

でも、今では半径100マイル以内の食材だけを使って食べるとか、自分で収穫して、自分で調理する、そういうローカルで「大地を感じられる」ものが、豊かさの証やステータスになってきたんですよ。

貧乏人ほど、遠くの食材を使って、添加物がいっぱい使われた加工食品を使って、保存も利くもので、誰かに作ってもらったものを食べているわけです。

一方で金持ちほど、無農薬、無化学肥料のオーガニック栽培で、地元の畑で作った野菜を、素材の風味を生かした地元独特の食べ方で、新鮮で、その場その場で食べているわけです。

また、昔は給仕をたくさん使ってパーティーをするのが金持ちの特権でしたが、今では貧乏人ほど給仕のいる居酒屋とかを使って、金持ちは自分で作って振る舞うホームパーティーをしているわけです。

こんな風にもう全く逆になっていて、一時期の貧しさの象徴が、今では豊かさの象徴になっているわけです。

 

こういう動きは当然と言えば当然で、インターネットの出現で、「情報」の価値が一気に落ちたわけです。

「情報」なんて、誰でも手に入れられるわけです。

すると、金持ち層が追い求める「豊かさ」というのは、「情報」から「体験」へと変わってきたんですよ。

バーチャルなものではなく、リアルを味わう。

ディスプレイで見るものではなく、実際に体験する。

「どれだけ知っているか」よりも、「どれだけ味わっているか」ですね。

すると、豊かさは「大勢の人に奉仕してもらう」から、「自分で楽しんでする」という方向に移ってゆくわけです。

貧乏人ほど、食事は外食で、洗濯もクリーニングで、掃除もルンバとか使って、何もかもを「発注」しています。

なら金持ちは逆に、「自分のことは自分で、楽しんでする」ということこそ、新時代の豊かさになってくるわけです。

金持ちの豊かな世代が、そういうことをどんどん楽しむような時代になったわけですね。

 

すると、例えば「静かで平和な島で、日中は畑仕事をして、体を適度に動かして心地よく疲れて、夕暮れをゆったり眺めて、地元で取れた食材でみんなと一緒にホームパーティーでもして、ストレスなくゆったりと、だけどしっかりと生きる」みたいなことが、新たな豊かさのシンボルとして出てきます。

今もやってるかは知りませんが、「鉄腕DASH」という番組がありますが、あのDASH村みたいな良さですね。

これは、今の「経済至上主義」的な生き方からすると、こういう人は「失業者」、「非生産的」、「GDPを増やさない」などと、劣ったものとして扱われます

でも、どっちが豊かなのですか?ということですね。

経済至上主義の中で、その経済的な勝者ほど、その「劣ったもの」に喜んで飛びついているわけです。

そしてそれを楽しんでいると。

実際に、私たちの中にも、そういう生活へのあこがれってあるでしょ。

で、今では経済的な敗者ほど、ストレスのある都会で、携帯電話やスマホを何台も持って、ディスプレイから離れられず、ストレスまみれで、それこそ「経済の歯車」として組み込まれてしまっていると。

そういう経済至上主義的な生き方や価値観が、既に崩壊しつつある時代だということが、少しずつ広まってきているわけですね。

 

「サステイナブルな生き方」という新たな価値観

そこで新たな時代のキーワードが、「サステイナブル」です。

今までは、資源を使えば使うほどよくて、大きければ大きいほど優れている、という価値観でした。

でも、みんな、少しずつその矛盾に気がつき始めていると思うんですよ。

 

今までの価値観というのは、こんなものでした。

勝て。勝ち馬に乗れ。負けるな。

大きければ大きいほどいい。力があればあるほどいい。大志を抱け。世界を支配しろ。自然を支配しろ。人を支配しろ。

ポジティブでいろ。ネガティブになるな。頑張れ。弱音を吐くな。ありのままでいてはいけない。弱みを見せるな。

寝ることは非生産的だ。風邪を引いてはならない。うつになってはならない。ネガティブな要素は戦って排除せよ。

戦え。少しでも多くを奪え。たとえ相手が弱者であろうと、奪え。他者から奪うことで勝て。たたきつぶせ。

……こういうのが、もてはやされていたでしょ。

実際に日本でも、高度経済成長期から、こういう思想にどっぷりつかって、イケイケドンドンでやってきたわけです。

 

でも、私たちはこの生き方に、既に疑問を持ち始めているわけです。

「勝て」、「奪え」、「負ける方が悪い」という考え方が、年間3万人を越す自殺率(この数値はごまかしがあって、「不審死」を含む世界標準のWHO基準では11万人)とか、うつ病を作ったんじゃないかと。

もちろん、最初の動機はよかったんですよ。

「豊かになりたい」、これは、ものがなかった時代には、当然の動機です。

でも、今では十分にものがあふれた状態なわけです。

果てのない成長を求めて、どこまでも肥大化する欲望を求めて、いったい何になりたいというのか

 

子どもから大人に成長した私たちには、新たな考え方が必要

それは言うなれば、「ずっと成長し続けることこそ、素晴らしい」という幻想から覚めつつあるような、そんな気がするんですよ。

例えば、私たちだって、「身長がずっと伸び続けるほどいい」なんて思わないでしょ(笑

伸び続けるのは子ども時代だけで、大人になったら伸びなくなって、そして衰えて、死んでゆくわけです。

でも、「永遠に成長し続けたい」というのは、自然から反しているじゃないかと。

本当に大切なのは、「衰える時は衰えて、死ぬ時は死ぬ」という、それを受け入れる生き方なんじゃないかと。

 

だけど、「衰える」ことや「死」に恐怖を感じているから、「ずっと成長していなければならない」と言い聞かせているわけです。

以前の「なぜ老後を心配するのか」でも言いましたが、私たちは「ずっと大きくなり続けていたい」わけではないと思うんですよ。

本当は、「自分らしく生きたい」と思っていると。

でも、今、自分らしく生きていないから、だから「もっと豊かになったら、自分らしく生きよう」などと、問題を先送りにしているだけじゃないかと。

でも、大人になっても子ども時代と同じように身長を伸ばそうとすると、必ず破綻しますよね。

それと同じで、世の中は本当は「自分らしく生きたい」と思っているのに、「いつか豊かになったら、好きに生きよう」などと思い込んで、豊かさを得ることばかりを追い求めて、今を生きることから目をそらし続けているわけです。

そして、老後(豊かにならない未来)の心配ばかりしていると。

今、世の中はその矛盾に気がつき始めている、そういう状態にさしかかっているんじゃないかと思います。

 

じゃあ、これからはどういう価値観になってゆくのか。

それは、次のような言葉に象徴されるんじゃないかと思います。

自分なりの生き方をせよ。納得できる生き方をせよ。今を生きよ。

身の丈に合うぐらいがよい。多すぎず、少なすぎず。

まずは自分自身を幸せにせよ。世界と調和せよ。自然と調和せよ。人と調和せよ。

長所を使え。弱音を吐いてもいい。弱みを見せてもいい。長所を使い合って、助け合いなさい。

ポジティブもネガティブも受け入れよ。ありのままでいなさい。

寝ることは、生きることの一部だ。休むことも、私たちの豊かさの一部だ。

風邪を引いたら休め。うつになったら休め。ネガティブを受け入れて、共存せよ。

……こういう考え方が、次第に大きくなっていくかなと。

 

まとめ

これは、今までの経済至上主義的な生き方から脱する、新たな生き方なわけですね。

それこそが、今の時代に生まれつつある、新たな「豊かさ」なわけです。

実際、「いつか沖縄で、のんびり夕暮れでも見ながら、好きな人や仲間と共に、潮騒の音を聞きつつお酒でも飲みたいな」とか思うでしょ(笑

今は私も田舎で、そんな情報端末を一切身につけずに、テレビもネットもほとんどやめて、ウォーキングや料理を楽しみ、自然を楽しみ、疲れた時は休み、元気な時は活動的に作る、そういう生き方をしているわけです。

そして今は、無理に稼ごうとはせずに、自分の内面をいじりながら、豊かさの器を広げている……そんなところなんですが、今までの「怒濤のごとく作り、稼ぐ」という時代に比べると、はるかに豊かさを感じてますから。

もちろん、好きで都会の満員電車に乗っている人は、それもいいでしょう。

私はそれが嫌なタイプだったので、独立して今のようなスタイルを実現しただけですからね。

 

貨幣経済から少し距離を置いた場所にも、豊かさはありますよ、ということで、今日はサステイナブルな生き方について説明してみました。

今日はここまで~。

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