今日はタイトルの通り、ネガティブな人をポジティブにさせる方法についてお話してみましょうか。
ネガティブな人って、いますよね。
そういう人の周りにいたら、疲れますよね。
自分はポジティブでいたいのに、周囲がネガティブだと、やっぱり引きずられちゃうものですからね。
それについて、どう考えればいいのか。
お花畑を見るか、ゴミ山を見るか
昨日も触れましたが、長所と欠点って同じものなんですよ。
ただ、表から見るか、裏から見るか違うだけ。
なので、ポジティブもネガティブも、同時に存在しているものです。
たとえて言うなら、私たちがある道を歩いていたとしましょうか。
道の片側には、お花畑が広がっています。
もう片側には、ゴミの山があります。
で、お花畑とゴミの山は表裏一体なので、その現実は変えられません。
なら、右と左、どちらを見ながら生きるのか、という話ですね。
ポジティブな人なら、一人きりだったら、もうお花畑ばかり見るでしょ(笑
でも、周囲に人がいたら、その人のためにどうするか。
例えば他の人がゴミの山を見ていて、「あのゴミ、嫌になっちゃう」とか言っていたら、どうするのか。
ここで、二つの道があります。
一つは、相手のためにゴミを見つつ同調して、「そうだね。でもね、ゴミじゃなくて、お花畑を見ようよ」と言うか。
もう一つは、自分はお花畑だけ見て相手を見捨てて、「ゴミなんてないじゃん。お花畑、綺麗!」と言うか。
で、私がこういう言い回しをする場合は、やっぱり答えは「相手を見捨てる方」なんですよ(笑
相手に同調しないことですね。
本当の欲求は、「私の気持ちを分かって欲しい」
これは、ネガティブなことを言う人の心理を考えることで、分かります。
なぜ、「ゴミばかりで、嫌になっちゃう」と言われた場合、「そうだね」とか同調する答えをしてはいけないのか。
それは、相手の本当の欲求は、「私の気持ちを分かって欲しい」、「構って欲しい」という欲求だからですね。
もしそれで一度でも構ってしまうと、「ネガティブになれば、構ってくれる」と学習してしまいます。
ネガティブな状態で、「そうだね」と同調して構ってしまうと、その人は「ネガティブになったら、私の気持ちを分かってくれる。なら、もっとネガティブになろう!」と勢いに乗り始めちゃうんですよ。
そして、どんどんゴミのひどさを語り始めるようになります。
もうこうなると、もう止められません。
ネガティブへの同調を繰り返していると、結果として相手はネガティブ全開になって、ゴミの中にまで飛び込んじゃうぐらいですから(笑
実際、人の愚痴を聞き始めたら、途中で私たちがどんなに「こういういいこともあるよね」とか「そのおかげで、こういい具合になれたんじゃない」とかプラスの解釈を促したとしても、ネガティブ思考はほぼ間違いなく止まらないでしょ。
「でもね」とか、「そうなんだけどね」と、必ず相手は逆接の接続詞を使って、ネガティブを続けますから。
相手をポジティブにさせたい場合、大切なのは、相手の言うことなんかさっぱり分からないほど、お花畑の美しさにのめり込むことです。
すると、相手は構って欲しいので、自然と「お花畑って、そんなに綺麗なの?」と、お花畑の方を見るようになります。
そのときに、相手が「お花畑、綺麗かも」とぽそりと言うと、そこで初めて「うん、綺麗だね」と同調してあげるわけです。
つまり、ポジティブになった時に気持ちを分かってあげて、構ってあげればいいわけです。
すると、相手は「ポジティブになれば、構ってくれる」と学習して、ポジティブになります。
だから、もう勝負は最初なんですよ。
ネガティブには一切同調しないし、構わない。
つけいる隙すら見せない。
相手を見捨てて、お花畑で楽しみまくりなさいと。
すると、相手も「私もそっちに行きたい」と思うようになって、自発的にお花畑にやってきます。
そして構ってあげると、ポジティブな場所で一緒にいられます。
実のところ、その人にとって「ネガティブになる」っていうのは、ただの手段でしかないんですよ。
目的は、「気持ちを分かってもらう」、「構ってもらう」ことですから。
ただ、ネガティブになった方が、周囲から「どうしたの?」とか、「何かあったの?」と言われるんですよね。
すると、「心配してもらえる!」とか、「構ってもらえる!」って学習しちゃうから、どんどんネガティブを表現するようになったってだけです。
本人にしたら、構ってもらえるのなら、ポジティブでもネガティブでもどっちでもいいんですよ。
まとめ
そんな風に、ネガティブな人をポジティブにしたい場合、ネガティブには一切同調しないと。
そして、ポジティブな世界で楽しんでいる姿を見せると。
すると、勝手に相手は貴方の方にやってきますから。
そこで愛情を持って接すると、ポジティブになってもらえます。
時々来ない人もいますが、それはそれで、その人の決断だから、無理に変えなくていいんですよ。
ゴミを見たいのであれば、十分見させてあげるといいでしょう。
そして十分に学んだ時、「一度きりの人生で、ゴミを見続けても無駄なだけだった」と悟り、行動を変えますから。
無理に変えようとしなくても、いいんです。
それも、その人の人生ですから。
私たちは、自分自身の人生を、精一杯花咲かせることですね。
ってことで、今日はネガティブな人の変え方についてお話してみました。
今日はここまで~。