今日はタイトルのようなお話です。
よく、「みんなと一緒がいい」ってことと、「みんなとは違う方がいい」っていう二つの相反する欲求がありますよね。
「お前、どっちが欲しいねん!」とか言いたくなるものですが(笑
それはどういう違いがあるのか、ちょっと解説してみましょう。
「みんなと一緒の方がいい」、「みんなと違う方がいい」はどう違うのか
私たちは、「集団」と「個」という、二つの安心する要素があるんですよ。
「集団」においては、私たちって「みんなと一緒だ」って思うと安心するものですよね。
これは、「同じだから味方だ。同じだから、私を攻撃しない」って感じるから、安心するんですよ。
同じ出身地とか、同じ国とか、同じ趣味だと、「同類だ」って感じて安心しますよね。
悩みだって、自分だけの悩みだと思っていたら、他の人も「私もそれで悩んでたわ」とか言われると、それだけでほっとしますよね。
だから、家族でもケンカが絶えないような不安定な場所だったり、安全を脅かされているような場所で育つと、「みんなと一緒がいい」という風に、「同じ」を求めるようになります。
特に女性は横のつながりを求める欲求が強いので、同じであることを重視しますよね。
一方で、「個」においては、「私はみんなと違って、この分野で優れている」と思うと、自尊心が満たされますよね。
「私は狩りは苦手だけど、武器作りが得意だ」っていう長所があると、武器作りで喜んでもらって、人々に貢献できると。
すると、「私は社会から必要とされている」、「私には、できることがある」と感じて、喜びを得られるわけです。
なので、家族でも「お前は必要ない」と言われるような、そんな個性を認められない環境で育つと、「みんなと違う方がいい」という風に、「違い」を求めるようになります。
これはどちらかというと、縦社会で生きる男性の方が、より強く持ちやすい欲求です。
「同じがいい」っていうのは、安全を求めるためで、「違うのがいい」っていうのは、喜びを得るためですね。
人生の満足感に欠けている人っていうのは、このどちらかが欠けているものなんですよ。
そう考えると、人を理解できるようになるんじゃないかなと思います。
「安心や受容が欲しくて悩んでいる人」か、「個性を発揮したくて悩んでいる人」か。
「同じがいい」っていうのは、「自分は違う」っていう個性を認めてるってことですし、もう一方の「個性が欲しい」っていうのは、「自分は他の人と同じだ」って受容を認めているってことですからね。
マズローの欲求階層説から言うと、「同じがいい(安心)」がベースで、「個性を発揮したい(自尊心)」が高度な欲求になるんですが、ちょっとここではそれは当てはまらない感じがします。
解決策は、タイプ別に考えてみるといい
自分、もしくは誰かにアドバイスを与えたい場合、相手がどちらのタイプなのかを考えてみると、解決の糸口にできるかもしれません。
「同じ」を求める人は、同種の業界に行くといいでしょう。
武器を作るのが好きで得意な人がいたとして、狩りの場では疎まれていたとしたら、武器職人の交流の場にでも行ってみるわけです。
すると、「みんな、自分と一緒だ!」と感じて、「私もやろう!」と行動に許可が出て、新たな可能性が開けるわけです。
こういう人は、まずは似たような人が集まる大手とか、集団に属する方がいいでしょう。
逆に、「違い」を求める人は、異種の業界に行くといいでしょう。
武器作りが好きなのに、武器職人の場では頭角を現せないと思ったら、狩りの場に行ってみるわけです。
狩りの現場では武器を整備したり、修理や調整をする人って珍しいので、重宝されるんですよ。
すると、「私はここで力を発揮できる!」と感じて、やりがいが生まれると。
こういう人は、「牛後よりも鶏口」の方が生き生きとするわけですね。
ちなみに私の場合は、「個性を発揮したい」という違いを求めているタイプです(笑
「それだけ個性があるのに、まだ個性が欲しいのか!」とか言われそうですが(笑
どちらにしても、「自分らしさ」っていうのは、「どれだけ他の人と価値観が違うか」ってことですからね。
違いはあっていいんですよ。
自分の価値観を周囲に合わせるのではなくて、自分の価値観が周囲に合う「場」を求める方がいいかなと思います。
まとめ
なので、「同じがいい」か「個性(違い)が欲しい」っていうタイプ別で、行動を変えてみるといいかなと思います。
私はずっと「牛後より鶏口」と思っていたんですが、人によっては「牛後の方がいい」ということもあるんですよね。
ひょっとすると、牛後で安心したら、次第に「鶏口になりたい」と思うようになるのかもしれませんが。
ってことで、今日は「みんなと一緒がいい」、「みんなとは違う方がいい」という違いについてお話してみました。
今日はここまで~。