今日は、心のお話をしてみましょうか。
「ダメ」じゃなくて、「イヤ」と言えると楽になれる、というお話です。
子「ママ、おかし買って」、母「いや」という対応
いい記事を見つけたので、ご紹介~。
意外な結論!将来「子供を不幸にする親」「幸せにする親」の違いココにあり
記事の内容を簡単に言うと、「愛情を奪うと脅して子どもを動かす」か、「よくできたね、偉いね、と受け入れることで子どもを動かす」かで、大きく子どもの幸福度が変わる、ということです。
それはそれでいいんですが、この記事の一番下に、記事を書いた人の著書の表紙があって、それが素晴らしかったんですよ。
それが、この本の表紙です。
ここでは、母親と、3歳ぐらいの子が自転車に乗っています。
で、子が「ママ、おかし買って帰ろー」と言うんですが、母親が返した言葉が素晴らしいんですよ。
母親はどう答えたかというと、
「いや」
と答えているわけです。
「ダメ」じゃないんですよ。
「ダメ」で動かしていると、子は完璧主義になる
普通、「ダメ」って言いたくなりますよね。
なぜかというと、そっちの方が「正しい」と言い張れるからです。
「正しい」ことには、反論は許されませんよね。
だいたい、子どもがいくらへりくつを言ったって、親ならいくらでも言いくるめられるんですから。
だから、親は「ダメ」と、あたかも支配者のように子に命令することができるわけです。
でも、実はこれには落とし穴があって、「いい、ダメ」で行動を促していると、子は「正しいか悪いか」で動くようになります。
「楽しいか楽しくないか」とか、「好きか嫌いか」では動けなくなるんですよ。
しかも、その「正しいか悪いか」というのは、「母親にとって正しいか悪いか」ということで、ずーっとその価値観に縛られて生きるようになります。
そうして、子は次第に、自分にとっての好きなことや、楽しいことを見つけられなくなります。
だから、大人になっても大好きなことができずに、幸せを得られません。
そして完璧主義になり、自分にも他人にも間違いを許せなくなり、不寛容になり、怒りっぽくなり、人生で何をしたいのかが分からなくなります。
そういう子は自然と人から嫌われるので、必然的に不幸になってゆきます。
でも、母親が「イヤ」と言えると、子は「好き嫌いで決めていいんだ」と分かります。
だって、母親が「イヤ」と言えるということは、母親が「私は完璧ではないですよ。母親でも好き嫌いを持つ、一人の不完全な人間ですよ」と認めてるってことですからね。
すると、子も「大人であっても、完璧でなくていいんだ」と完璧主義にならずに、間違いや欠点にも寛容になって、人を許せるようになり、人の長所を見ることができる、そんな子になります。
そういう子は自然と好かれるので、必然的に幸せになってゆきます。
この原理は、以前の記事(「「好き嫌い」をすると、やりたいことが見つかる」)に書いたので、そちらをご覧ください。
今からでも、「いい、ダメ」よりも「好き、嫌い」で答える
これは大人になってからでも、できることだと思います。
何か断る時でも、「ダメだから」で答えるのではなくて、「イヤだから」とか「嫌いだから」で答えるといいでしょう。
これ、勇気がいるでしょ。
だって、大人が「イヤだから」って言うなんて、相手を思いやる気持ちがなくて、わがままで、幼稚で、社会人として失格のように見えますよね。
それこそが、「完璧でなければならない」、「劣っていてはいけない」という劣等感から来ているものだと気づくことですね。
「いい、ダメ」で答えていると、いつまで経っても好きなことはできないんですよ。
逆に、「好き、嫌い」で答えるから、相手がわざわざ「あの人はこれが好きだから、これを持ちかけよう」としてくれるわけです。
そして、好きなことをしている人たちほど、「好き嫌い」で動いています。
逆に、やりたくないことをしている人たちほど、「いいか悪いか」で動いています。
実際、SNSとかでも見てみると、よく分かります。
例えばFPSゲームのコミュニティだと、「この武器が好き」、「このマップが好き」みたいに、完全に好き嫌いで話してますから。
そして、それで好みが違っても、全く構わないんですよ。
それで、みんなでわいわいと楽しくできるんですから。
で、その武器やマップに詳しい人は、「こうやって使うといいよ」とか、「このマップはここで戦うといいよ」とか、持っている技術とか知識をどんどん分かち合えるんですよね。
好き嫌いで動いているコミュニティほど、技術や知識を分かち合って、レベルが上がっていくわけです。
そして、例えば「エラーが出てゲームができない」とか困った人がいると、助けてあげたくなると。
それは、一緒に楽しさを味わいたいからですね。
一方で、愚痴の掃きだめのような場所を見てみると分かるでしょう。
「~べき」とか、「~ねばならない」の論理で話していますから。
そういう人たちは、自分がどう優れているのかを見せることばかり考えてますからね。
だから、技術や知識を分かち合うことなんか絶対にせずに、むしろ隠して、人をこき下ろすことで自分をよく見せようとします。
そして、困った人がいても、「お前が無知なだけだ」と批難するだけで、手助けなんかしませんから。
どちらのコミュニティに属するかで、全く違うでしょ。
これがそのまま、人生にも当てはまるということです。
まとめ
そんな風に、「いい、悪い」じゃなくて、「好き、嫌い」で相手に伝える方が、実は相手はすんなりと受け入れてくれて、好きなことばかりを持ってきてくれて、しかも好かれて、気楽になれるんですよ。
最初に「私、これやりたくない。こういうことをしたい」と表明すると。
でも、「それでもやらなきゃいけない」と言われたら、それで初めてやればいいわけです。
何度でも好き嫌いを表明する方が、周囲は「あの人にはこれを持って行こう」と、自然と動くようになります。
同時に、周囲の人も「貴方が好き嫌いを言うのなら、私も言う!」となって、自然と周囲が好き嫌いで動けるようになります。
すると、技術や知識の分かち合いも生まれて、完璧主義もなくなって、人を許せるようになって、困った人を助けて、長所を生かして、楽しく協調できる、そんな環境が生まれると。
自分発で、環境を変えることができるんですよね。
そのためにも、「ダメ」じゃなくて、「イヤ」と言えると、どんどん楽になれますよ、というお話でした。
ってことで、今日はここまで~。