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昨日に「自己啓発系はもう休止する」とか言ったのに、舌の根も乾かないうちに、既に今日のタイトルからしてもうそれっぽいんですが(笑
昨日、「小さな違いを見つけるのが得意なタイプ」と「共通点を見つけるのが得意なタイプ」の二種類があるって触れましたよね。
前者を「分類学者」と呼んで、後者を「統一理論学者」と呼ぶと。
で、人口比で言うと、9:1ぐらいなんだと。
それで、こういう質問があったんですよ。
これは生まれつきのものでしょうか?
また、自分はどっちのタイプなのか、見分ける方法はありますか?可能なら自分も統一理論派(?)になりたい、、、かな? と思うのですが、
なる方法ってありますか?
今日はこのお話をしてみましょうか。
「違いを見る」か「共通点を見る」かは、考え方次第
結論から言うと、これは後天的なもので、「考え方次第」ですね。
人は普通、違いにしか目が行かないんですよ。
というのも、「同じもの」というものは、認識しにくいからですね。
違いがあって、初めて「あ、これとこれは違う」と分かるわけです。
分類学者だけでなく、人間って基本的に、いろいろとタイプ分けをして分類するのが大好きなんですよ。
血液型にしろ、エニアグラムにしろ、性格診断にしろ、「貴方はこういうタイプです」とか、「この人はこういう種類の人です」、「こういう人には、こうしなさい」っていう風に、分類するのが大好きですよね。
分類学者(というか普通の人)は、こんな風に「違いの特徴が重要」という風に捉えて、考えていきます。
でも、ある種の人は、その後にちょっと違った思考をします。
それが、「でも、結局みんな同じだよね」とさらにステップを入れて考えることですね。
これが、統一理論学者の考え方になります。
例えば「あいつだけいつもわがまま言う、嫌な奴だ」っていう人がいたとしましょうか。
分類学者タイプの人、すなわちほとんどの人は、「わがままを言う嫌な奴」というくくりを作るわけです。
そして、「あいつもあのタイプだ。こいつもあのタイプだ」というふうに、分類していくわけですね。
でも、統一理論学者の場合、その後に「でも、結局みんな、同じことをしていることになるよね」と、共通点に目を向けるわけです。
すると、「『わがままを言う奴』と批難している人は、その言葉自体が、自分のわがままを通そうとしていることになるよね」と理解できると。
こうして、「全ての人は、自分の欲求を満たすために動いているよね。人のことは言えないよね」という風に、共通点を導き出すことができるようになります。
統一理論学者は、シンプルにしたがる人
言い換えると、統一理論学者っていうのは、よりシンプルにしたがる人でしょう。
分類って、無限に作り出せますよね。
すると、どんどん複雑になっていくんですよ。
だから分類学者の常識では、「複雑なことを多く知っている人」イコール「専門家」と呼ばれます。
でも一方で、統一理論学者の常識では、「シンプルに考えられる人」イコール「専門家」になるんですよ。
統一理論学者っていうのは、アインシュタインみたいなタイプだと思えばいいでしょう。
彼はe=mc^2という公式を導き出したわけなんですが、これだけでエネルギーの全てを説明できるわけです。
すっごいシンプルでしょ。
「シンプルなのが偉大」っていう考え方なんですよ。
「複雑」だったり、「難しい」というのは、洗練されていないものであって、優れていることでも何でもないと。
一方で分類学者というのは、「こういう場合には、その公式は使えないじゃないか」と言うような人です。
違いに目を向けていて、複雑にしたがりますよね。
これは、「複雑なことを多く知っているほどいい」っていう考え方ですよね。
で、私はアインシュタインタイプだということです。
おそらく、ゲーム制作をしている時に、「感動ってどう作ればいいんだろう?」という風に、必要に迫られて統一理論を考える必要があったのでしょう。
そこから「感動に共通するものは何だろうか」と考えるようになって、こういう思考スタイルが身についたんだと思います。
「たくさん経験する」よりも、「一つのシンプルな原則を見つける」という方が、楽だと思ったのかもしれません(笑
そこから、いろんなものをシンプルにして考えるようになったわけですね。
私の本でも、その内容は公式として表現できますよね。
人間の性格=統合失調度×定数
人間の価値観=狩猟採集的な価値観+農耕的な価値観
「うまくいく人は、こういうタイプ。うまく行かない人は、こういうタイプ」とは言ってませんよね。
違いを説明するのではなくて、「違いを生み出す一つの公式」を考えているわけです。
共通点を見る方が、精神衛生上もいい
これは、精神衛生上もいいと思うんですよ。
「みんな同じだ」って考えれば、違いに対して怒りを持ったりすることはありませんからね。
多くの苦しみは、「違い」から生まれると思うんですよ。
人種の違い、考え方の違い、性格の違い、行動の違い……みたいな。
そういうのに一つ一つ目くじらを立てていたら、疲れますよね。
でも、「みんな同じだ」と思えば、許せるようになるわけで。
だったら、「この世界からこういう人を抹殺する」とか、「この世界からこの思想を持つ人種を消す」みたいな、物騒なことを言わなくなって、穏やかになれると。
そして、「自分にも少なからず同じ要素があるから、仕方ないな」と許せるようになるわけです。
こういうスタイルって、楽ですよね。
まとめ
そんな風に、思考にもう一つステップを付け加えて、「だけど、結局はみんな同じだよね」と思うようになると、統一理論学者になれるかと思います。
結構簡単でしょ。
ただ、そういう思考習慣を身につければいい、ということですね。
「分類学者と統一理論学者がいる」という考え方が、分類学者的思考になると。
一方で、「統一理論学者って、分類学者にもうワンステップ加えたもので、ほとんど同じ」という考え方が、統一理論学者的思考になると。
なんかややこしいかもしれませんが(笑
こういう話も面白いですよね。
ってことで、質問ありがとうございました。
どうせなので、この際、質問をいろいろ受けてみようかと思います。
何か質問とかありましたら、コメントにでもどうぞ。
分かる範囲で答えさせていただきます。
まあ、簡単に言うと「ブログネタください!」ということです(笑
貴方の質問、お待ちしてます~。(*´ω`)ノ