今日は、自分らしく生きることについてお話ししてみましょうか。
なぜ「自分が分からない」という現象が起きるのかについてお話してみましょう。
「ありのままに生きたい」のに、「平均」と比べてしまう矛盾
「ありのままに生きたい」とか「自分らしく生きたい」って、ありますよね。
多くの場合、「ありのままにさせないこと」とか「自分らしくさせないこと」っていうのは、「世間一般での標準的な考え方」ですよね。
実際、「みんながこうしているんだから、お前もこうしろ」みたいなことを言われると、すっごいストレスでしょ(笑
「私には、私なりの考え方とかやりたいことがあるんだから、押しつけないでよ!」とか言いたくなるものです。
でも、それなのに、自分を考える場合に「平均」から見てしまいがちなものなんですよね。
平均年収とか、平均身長とか、平均体重とか、もうみんな平均が大好きですよね。
おそらくその背景には、「他者と比べないと、自分らしさを定義できない」っていう性質があるからだと思います。
実際、「違い」というのは、「比べる対象」があって初めて生まれるものですから。
ただ、その「自分らしく」というのは、ちょっとはき違えた「自分らしさ」だと思うんですよ。
というのも、そもそもなぜそんな「違い」を知る必要があるんでしょうか。
「私はあの人とは違う」、「私はあの人とも違う」……そんな風に違いをどんどん極めたところで、それは自分らしく生きることにはなりませんよね。
すなわち、「違いを知る」ことと「ありのままになる」ことは、全く違う次元のことなわけです。
ありのままになるってことは、「自分そのままを、嘘をつかずに出す」ってことですよね。
じゃあ、嘘をつかずに、無理をせずに出せばいいわけです。
でも、それができないから比較して決めようとするわけですね。
自我ができていないから、「違い」を知りたくなる
「違いを知りたい」という状態は、言い換えると「自分が分からない」という根源的な問題を抱えているように思えます。
「自分」すなわち「自我」とは価値観でできているんですが、自分のやりたいことが、それが自分の価値観なのか、他者の価値観なのか、ごっちゃになって分からなくなってるんですよ。
例えば、親から「貴方はサラリーマンがいいよ」と言われたとしましょう。
でも、自分は「雇われは嫌だ」と思っている。
もし自分が分かっていれば、すんなり独立するんですよ。
自分が分からないから、「こんなにサラリーマンとして頑張っているのに、苦しい」となってしまうわけです。
これは別の表現で言うと、「自我の境界線がうまくできていない」とも言えるでしょう。
自分と他者との違いが、明確についていないと。
だから、「ありのままの自分」になれないわけです。
そもそも、「ありのままの自分」が何なのか分からないんですから、「ありのまま」なんて出しようがありませんよね。
血液型診断とか、性格診断とかありますよね。
「動物占い」とか、果てはツイッターでは「診断メーカー」みたいな、「完全に根拠のないもの決めつけやん!」みたいなものまであるわけです(笑
これらは「貴方はこういう人です」って言うんですが、全く根拠のカケラもないのに、大人気でしょ。
それぐらい、人は「自分が誰だか分からない」んですよ。
だから、「貴方はこういう人です」と言われると、安心するわけです。
自分の定義ができるからですね。
たとえそれが全くのでっち上げだったとしても、自我ができていない人にとっては、「貴方はこういう人です」と言われると、自我が作られたような気がして、安心するわけです。
また、それが見当違いなことであったとしても、「ありえんだろう」とツッコミを入れることで、自分で自分が分かると。
実際、多くの人が「貴方はこういうタイプの人だから、こうするとありのままに生きられますよ」とか言われると、安心するものなんですよ。
それぐらい、現代人は自我を作り切れていないんですよね。
なぜ、自我が育たなかったのか
本来は、自我は成長と共に、自然に育つものです。
子どもの頃に、「私はこうしたい」と言うようになりますよね。
反抗期だってそうですし、自我、すなわち価値観を表明するようになるものです。
そうして自我を出すことで、他者の自我も出て、衝突が起きて、「他の人とは違う自分」、すなわち自我が形成されていくわけです。
簡単に言うと、ケンカや対立を通して自我が形成される、ってことですね。
でも、親から命令されて動かざるを得なかった場合とか、子どもでもケンカを許されない場合があります。
すると、どうしても自我を出せなくなって、自我の境界が分からなくなるんですよ。
そして結果的に、大人になっても「自分が誰だか分からない」という問題を抱えるようになります。
自分が誰だか分からないから、「自分らしく生きたい」、「ありのままに生きたい」と思っても、それができないと。
だから、自我が形成できていない人ほど、血液型診断とか、性格診断、診断メーカーなどを好むようになります。
これは特に、思春期の頃に起きやすいものです。
思春期の頃は、精神的に社会性を帯びるために、自我が一度再構成されるんですよね。
だから、その時期によく「自分探しの旅」とかしたくなるんですよ。
私自身、大学時代とかは、性格診断にすっごいはまってましたから(笑
ただ、その「貴方はこういう人です」といくら言われたとしても、それはただの錯覚でしかなくて、本当の自分ではないんですよね。
自我とは、自我を出すことで形成されるんですから。
だから、自我を出さない限り、自我は形成されませんよ、ということです。
まとめ
簡単に言うと、「わがままを言わないと、自分らしく生きられませんよ」ってことですね。
言われてみると、当然でしょ。
「自分らしく」とは、「わがまま」なことなんですから。
我慢しない。
苦しいことに自分から飛び込まない。
自分にとって、楽しいことに飛び込んでゆく。
そして対立を通して上手く現実を対処する方法を見つけて、楽しいことを広げようとする。
それらをすっ飛ばして、「ありのままに生きる」とか、「自分らしく生きる」なんてできませんよ、ということですね。
どんどん自分の自我を出していけばいいんですよ。
出せば出すほど、自我が形成されて、楽しく、しかも周囲と調和して生きられるようになります。
そしてこれは、早いうちにやっておく方がいいものです。
子どもの頃のケンカは可愛らしいものですが、大人になってケンカすると殺し合いになりますし、権力を持ってからケンカすると戦争になりますからね。
そういう風に考えると、「もっと自分を出していいんだ」と分かり、気楽に生きられるようになるんじゃないかと思います。
もっと自分を出して生きていい、もっと自分を表現して生きていい、ということですね。
ってことで、今日は「なぜ、自分が分からないという現象が起きるのか」についてお話ししてみました。
今日はここまで~。