今日は、性格についてお話ししてみましょうか。
「内向的な人は、無理に外向的にならなくていい」、というお話です。
今日のお話は、内向的・外向的な性格についてです
今、「内向型を強みにする」という本を読んでるんですよ。
タイトルを見た瞬間に、久しぶりに「これだ!」と思った、私が好きそうな内容です(笑
「内向的な人」と「外向的な人」っていますよね。
「文化系」と「体育会系」とも言えるかもしれませんが。
普通は、「外向的な方がいい」とか「社交的な人の方がいい」みたいな価値観があるじゃないですか。
でも、実はそうではなくて、内向的な人には、それなりに役割やメリットがありますよ、と。
そして、外向型の人と内向的な人は、社会の75%:25%ぐらいの比率ですよ、という内容です。
「内向型度チェック」の中から、いくつか紹介してみましょうか。
- 人と一緒にいて、「バイバイ」と別れた後に、ちょっとほっとする。
- 大勢の見知らぬ人と騒ぐよりも、数人の親しい人とくつろぐ方が好き。
- 何かをするときは、細切れではなく、まとまった長い期間が欲しい。
- 話をする前に予行演習をよくする。
- 返事をしたり、話をする前には、何を話すか考える。
- 知らない人に電話をかけたり、折り返しの電話をかけるのは緊張する。
- 何かに参加するかどうかを決めるのは、しばらく見学してからにしたい。
- 人に家に来てもらうのは好きだが、長居されるのは好きではない。
- ちょっとした知り合いは、友達とは考えない。
当てはまるほど、内向的な人だということです。
ちなみに私は完全に内向型です(笑
内向型の人はエネルギーを内側に求めて、外向型の人は外側に求める
内向型の人は、エネルギーを自分の内側に求めるらしいです。
自分の内面を見つめることで、生きるエネルギーを得られると。
だから、疲れてエネルギーが枯渇したら、「一人になりたい、外部からの刺激を少なくしたい」と思うようになるわけです。
一方で外向型の人は、エネルギーを自分の外側に求めると。
外から刺激を受けることで、生きるエネルギーを得られるわけです。
だから、疲れてエネルギーが枯渇したら、「みんなと一緒にいたい、遊びたい、外部からの刺激が欲しい」と思うようになると。
これを見て、「まさに!」と思ったんですよ。
この基本性質の違いがあるから、外向型の人と内向型の人とで食い違いが発生するんだと。
で、世の中はだいたい75%を占める外向的な人を基準にできているので、内向的な人は「外向的な価値観の方がいい」と勘違いしてしまうわけです。
そして、内向的な人が外向的な価値観を楽しもうと、自分には全く合わない楽しみをしようとしてしまい、結果、苦しんでいくわけです。
例えば人付き合いにしろ、「友達はたくさんいる方がいい」とか思いますよね。
で、外向的な人って、1~2回しか会ったことなくても、1度でも一緒にプライベートを一緒にすれば、「この人、私の友達だよ」って軽く言えるわけです。
それは、人と一緒に過ごすことが刺激的で、楽しいからですね。
でも、内向的な人って、その程度では「友達だ」とは言わないじゃないですか。
何年も一緒にいて、気持ちを深く理解し合える間柄じゃないと、友達とは呼ばない、みたいな(笑
それは、人と一緒に過ごすのが刺激が強すぎたり、「理解し合えない部分」に対するストレスが強いからなわけです。
種を保存するために、内向性と外向性が生まれる
で、その比率が75%:25%っていうのも面白いですよね。
私はこれを、「種を保存するため」に、こういう比率になるように遺伝子的に組み込まれているんじゃないかと予想したりします。
そして、「内向的」というのは、「単独もしくはチームを組織して遠くまで赴き、新境地を発掘する個体」だと思ってます。
一方で「外向的」というのは、「近場で社会集団を守り、種を保つ個体」と言えるんじゃないかと。
例えばアリでも、働くアリ:普通のアリ:働かないアリ=2:6:2ぐらいになるって言うんですよ。
どんなに働くアリを集めても、そうなっちゃうと。
これはいざという時のリスク対策で、常に予備となる力を確保しておくために、遺伝子的に組み込まれているんだとか何とか予想されているわけですが。
それと同じで、例えばアリでも、近場でエサを探して集団で行列を作るアリと、遠くまで単独行動をするアリとがいますよね。
100%近場だけでエサをとっていた場合、何らかの環境変動で、いざという時に近場でエサがなくなったら、全滅じゃないですか。
一方で、遠くばかりにエサを求めていても、バラバラになっちゃったり、エサを巣まで運べなくなってしまい、種が保たれませんよね。
だから、ある一定数を「近場で種を守り、社会を維持するための個体」に割いて、ある一定数を「単独で遠くまで出て、新たによさそうな環境を見つける個体」に割くんじゃないかと。
それが、遺伝子として組み込まれているわけです。
だから、内向的な人というのは、独りでいることはさほど苦ではないんですよ。
むしろ、積極的に一人になったりするぐらいで(笑
外向的な人って、「みんなとわいわいするのが楽しいから、一緒にいる」わけで、自然とそういう付き合いになるわけです。
自然と一人になるタイプというのは、内向的な人なんですよ。
で、そんな状態で外部から「みんなと一緒にいると、楽しいよ」みたいな外向的な価値観を得ると、なんだか「みんなと一緒にいる方が、今よりも楽しいんじゃないか」っていう錯覚を得てしまうわけです。
内向的な人の世界には、本当はそんなものないのに、そんな「世の中にない幸せ」があると、勝手に思い込んでいるようなものですね。
そして、みんなと一緒に騒ぐのに、なんか楽しくないわけです。
本当は自分は内向型なのに、周囲と同じ外向型だと思い込んでしまい、「これはきっと自分のせいなんだ」と思い込んでしまうと。
人と一緒にいれども、人付き合いがストレスでしかなくて、価値観の違いが目について、苦しくなるだけ、みたいな。
そういう罠にかかっているんじゃないかと思います。
内向的な人には、外向的な素質は必要ない
外向的な人というのは、近場の社会の中にいなければならないので、社交性が必要になるわけです。
そして、社会の中で一緒にいることで、安心するわけですね。
だから、人の違いを楽しんで、それを刺激とすると。
でも、内向的な人って、「単独で新境地を開拓する」というタイプなわけです。
そもそも社会の中にいるタイプではなくて、自由にどんどん突き進むのが向いているんですよ。
アインシュタインとか、ビル・ゲイツとか、スティーブ・ジョブス、ウォズニアック、スティーブン・スピルバーグ、本田宗一郎みたいに、新境地を開拓するようなタイプですね。
私が見ていても、新技術を開発するような経営者とかリーダー、新境地を作り出すクリエイターは、まさに内向的な人ばかりのような気がします。
だから、そもそも内向的な人には、「外向的な人の価値観」なんて必要ないわけです。
内向的な人の使命は、自分の内なるビジョンを見て、「こういう場所に行ってみたい」というような、他の誰もがやってないようなことを願い、社会から出てそこに向かうことなんだと。
それは、「冒険をすること」と言えるかもしれません。
内向型の人は、そういう使命を持っているんだと。
だから、「内向型」、「外向型」と言うんじゃなくて、「境地開拓型」と「社会維持型」と呼ぶのがいいんじゃないかなと思ったりもします。
内向型の人は「境地開拓型」なので、どんどん自分の好きなことを掘り下げていくといいと。
一方で外向型の人は「社会維持型」なので、どんどん社会に関わっていくといいと。
もちろん私みたいに極端な境地開拓型な人だけでなく、「中ぐらい」の人もいるので、それはバランスですね。
まとめ
そう考えると、内向的な人は、内向的でいいんじゃないかと思います。
そういう人には、そういう使命があるわけで。
そういう遺伝子を持っていて、そういう社会的使命がある中で、単独行動をするように求められていると。
実際、内向的な人って、「寂しい」とか言いつつも、実は一人でいることが心地よいものなんですよ(笑
だから、どんどん自分の信じる道を突き進んで、新境地を開拓すればいいんじゃないかと思います。
私もどんどん新境地を見つけて、それで人に喜んでもらってますからね。
外向的な人には、社会を守ってもらうと。
で、内向的な人は、単独ででも、リーダーとしてでも、信じる道を進めばいいんじゃないかと思います。
ってことで、今日は「内向的な人は、無理に外向的にならなくていい」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。
追記(2017年12月15日)
今回の内容をさらに発展させた電子書籍「内向型の生き方戦略」をリリースしました!
この本ではさらに踏み込んで内向型について説明しているので、興味がある方は是非どうぞ。