今日は、心についてお話ししてみましょうか。

私なりの「欲」との付き合い方、というお話です。

 

私は、欲は強い方です

まぁ最近の私は「分かち合いが大切」とか「戦わない道が好き」、「身の丈に合ったものがいい」とか言ってますよね。

人によっては、私がなんか無欲な人に見えてしまうかもしれません。

でも実際にところは、私はすっごい欲を持つ人なんですよ(笑

欲まみれ、みたいな(笑

 

逆に、普通の人よりも欲は強いかと思います。

普通の人がサラリーマンで我慢できていたとしても、私は我慢できませんからね。

普通の人は「大きめの方がいい」と我慢できたとしても、私は「ぴったりじゃなきゃ嫌」となっているわけで。

それは、「自由に生きたい」、「大好きなことをして生きたい」、「自分にぴったりと合うものの方がいい」という欲が強い、とも言えるでしょう。

だから、無欲ではなくて、欲が強い方ですよ、ということです。

 

当然、私にも高望みとかも、あるものです。

「年収100億円欲しい」とか、「お城のような豪邸に住んでみたい」とか、あるにはあるんですよ。

でも、高望みを言い出したらきりがない、ということを知っているだけかな、とも思います。

 

「結局のところ、何が欲しいの?」

「結局のところ、何が欲しいの?」

最終的には、これだと思うんですよ。

結局は、自分は何が欲しいのか。

それが分かっていないから、「とりあえず年収1億」、「とりあえず億万長者」、「とりあえず有名なポジション」、「とりあえず小説家」、「とりあえずビール」になってしまうと。

「みんなが評価しているもの」を、「自分が欲しいもの」と勘違いしてしまうわけですね。

 

で、実際にそれを手に入れても、幸せになれないと。

そして多くの人が、自分は何が欲しかったのか分からないまま、タイムリミットを迎えて人生を終えてしまうんですが。

イギリスの首相でウィンストン・チャーチルという人がいたんですよ。

彼はイギリス首相になって、戦争にも勝って、歴史にも名を残して、膨大な資産も作って、何もかもを手に入れたかのように見えますよね。

でも、彼の死に際の言葉は、「何もかもに、うんざりしちゃったよ」なんですよ。

「結局のところ何が欲しいのか」が分からないと、こうなっちゃうと。

 

私の場合、その「結局のところ、何が欲しいのか」を幼い頃からしっかりと考える機会があった、ということでしょうか。

だから、あんまり「みんなが評価しているもの」には左右されないと。

 

「本当に欲しいもの」は、それほど仰々しいものではない

で、実際のところ、「結局は、何が欲しいのか」を突き詰めていくと、実はそんなにたいしたことではないと分かるんですよ。

人は、基本的な部分が満たされれば、十分に幸せを感じられるものなんですよね。

安心して食べられるものがあること、安全があること、夜に心地よく眠れること、好きなことができること、無駄なストレスがないこと、人生に意味を感じて、目的を持てること、そんな程度のことなんですよ。

それ以上のことは、「オマケの豊かさ」みたいなものですね。

「競争に打ち勝って、戦争に勝って、首相になって、歴史に名を残して、膨大な資産を作って」みたいな必要なんて、全然ないと分かるものです。

 

よく、「未来のために、今を耐える」というのがありますが、私は欲深いので、そういうのはしません。

「今がよくて、未来もよくなりそうなこと」しか選ばないわけですね(笑

それが一番いいでしょ(笑

 

で、「今がよくて、未来もよくなりそうなこと」っていう手段は、もう山ほどあるものです。

だって、「基本的な部分が満たされれば、十分に幸せを感じられる」からですね。

その程度を満たす方法なら、山のようにあるものです。

「年収1億じゃなきゃダメ」、「億万長者じゃなきゃダメ」、「小説家じゃなきゃダメ」、「飲み会の最初はビールじゃなきゃダメ」とか言うから、道が制限されてしまうと。

 

欲が「浅い」から、「みんなが評価しているもの」に左右されてしまうんですよ。

欲をしっかりと「深く」とらえると、周囲に左右されることはなくなります。

 

「人生をやり直したい」なんて、ありえない

「人生をやり直せるなら、こうしたい」とか言う人がいますが、それも欲の浅さから来るものだと思います。

私の場合、絶対にこの人生をやり直したいとは思いませんからね。

今までのしんどい作業をもう一度するとか、考えただけでも嫌ですから(笑

「処女作をもう一度作れ」という時点でも、耐えきれないぐらい(笑

 

たとえ今の知識や経験量のまま、過去に戻ってやり直せるとしても、やり直したいとは思いません。

だって、「それで人生をより豊かにできる」なんて思ってないんですから。

 

例えば、私の場合、過去に多くの失敗をしたものです。

じゃあ、その失敗を全て取り払えていれば、私は幸せになれたでしょうか?

たぶん、そんな失敗を全くせずに、幼い頃から大成功したら、私は自分への評価として「自分はなんて最低最悪のクソ野郎だ」という思いを持っていることでしょう。

だって、「今の私」というのは、多くの失敗があるからこそ、形作られているんですから。

もし失敗がなくて成功し続けたら、「失敗はダメなこと」、「人生なんて簡単なもの」、「できない奴はクズだ」みたいな感覚になっていたことでしょうからね。

 

私は、人生のどんな段階からでも、人は人生を変えて、成功できると思っているんですよ。

なのに、そんな私が「過去に戻ってやり直す」みたいなチート(反則技)を使うと、説得力ないでしょ(笑

「過去に戻ってやり直したい」は、裏を返すと「反則技を使ってでも、人を出し抜きたい」、「反則技を使っても、自分をやめたい」ですからね。

それは、「ありのままの自分を受け入れられない」、「競争で勝ちさえすればいい」、「出し抜きさえすればいい」という、自己否定的な考え方ですよね。

 

そんな考えなら、もし過去に戻れたとしても、大成功したとしても、その人生はまた後悔しますよ、ということです。

だって、「自分の人生」を生きていないからですね。

チャーチルと同じです。

 

まとめ

欲を深く持って、自分の人生を生き始めると、基本的なことで自分を満たせるようになります

これが、一番手っ取り早い、「年収1億や億万長者と同等の豊かさを得る方法」じゃないかと思います。

 

そして、今をしっかりと大切に生きて、同時に未来に希望を持って進めるようになります。

欲が深ければ深いほど、実は「これがあれば満足」というのをちゃんと把握できると。

で、実際にそれらを作り出せると、満足できるんですよ。

そして「今を楽しみつつ、未来もよくなりそう」な道を選べると。

 

「満足できない」、「面白くない」というのは、欲が浅くて、どうでもいいことを追いかけているからじゃないかと思います。

しょーもない見栄を張るためにブランドものを持ったり、好きでもない人にへつらうために時間を費やしたりとか、そういうのが多いんじゃないかなと。

 

それに気づけると、結構すぐにでも、満足できるようになれるんじゃないかと思います。

 

ってことで、今日は私なりの「欲」との付き合い方について、お話ししてみました。

今日はここまで~。

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