今日は、もう少し「自発性」についてお話ししてみましょうか。
一昨日の記事(「自信がない、失敗が怖い、エネルギーが出ない、工夫できない、やりたいことが分からない、それらの根本原因と対策」)で、意欲についてお話しましたが、再度これをまとめてみましょう。
今回は、よりその原因を突き詰めて説明してみようかと思います。
「自発性」を育てられなかったから、自分から行動できない
自信が持てなかったり、失敗が怖かったり、元気が出なかったり、やりたいことが分からなかったり、そういう傾向が強い人は結構いるものです。
なら、なぜそうなってしまうのか。
それは、幼い頃に「自発性」という性質を育ててもらえなかったからですね。
子どもは、幼児期はさすがに親におしめを替えてもらったり、食べさせてもらったりするなど手助けが必要です。
ですが、1歳ぐらいから自然と子どもは「自分でできるようになりたい」という願望を持つようになります。
自分で服を着たり、食べたり、排泄したりしたいと思うようになるんですよ。
他にも、この世界について何も知らないので、世界について知りたいと思うようになります。
だから、ハイハイをして移動していろんなものを触ったり、「これ、食べられるのかな」とか、「これ何だろう」と、研究心を持って世の中を探索するわけです。
そして周囲の世界に興味を持つ、すなわち好奇心を持ち始めて、歳を重ねて力を得るごとに、少しずつ自立してゆけるようになるわけです。
「自発性」が奪われた、2つのタイプ
ですが、親の育て方によって、その「自分でできるようになりたい」という願望が抑圧されることがあります。
その主な原因が、「支配・服従」タイプもしくは「過干渉」タイプになります。
「支配・服従」タイプというのは、「子どもはこうすべきだ」という親からの強制が多くあった場合ですね。
「こうしなさい、ああしなさい」、「これをしてはいけません」、「こうすべきだ」、「ああすべきだった」という命令ばかりされていて、子どもが自分の生き方や希望を自分で決める裁量がほとんどない場合です。
そんな、自分で選ぶことができない場合が、この「支配・服従」タイプになります。
親の価値観で洗脳されていると言ってもいいでしょう。
これは、言うなれば、目の前に遊び道具のルービックキューブがあったとしても、「子どもはそんなもので遊ぶな。勉強しなさい」とか、他にやりたいことがあるのに「子どもはこれで遊ぶべきだ」などと言われるような状況ですね。
一方で、「過干渉」タイプというのは、親から手助けをされすぎる状態です。
「これもしてあげる」、「あれもしてあげる」と、親が何でもしてあげていると、子は「自分でやりたいのに……」という願望を実現できなくなります。
これは、言うなれば、ルービックキューブで遊ぼうとしているのに、親が「これ、難しいから全面揃えてあげるね」と既に解決してもらっているようなものなんですよ。
「それを解くのが面白いんだろう!」って言いたくなりますよね(笑
でも、そんな風に何でも手出しをされていると、「自分で解きたいのに、できない……」となってしまいます。
どちらにしても、何度も「自分で決めたい!」、「自分でやりたい!」と子ども時代に表明しているはずなんですが、親がそれを許可しなかったわけです。
すると、「自分で自分の意志を決めてゆく」、「自分で自分の生き方を決めてゆく」、「自分で自分の望む環境を作り出してゆく」という経験が全くできずに育つことになります。
ただただ、操り人形のように、動かされるだけ。
「自発性」が乏しく大人になると、どうなるのか
そうして育っていくと、大きくなるにつれて、恐怖が増してきます。
だって、自分だけ「自分の力で生きる」という能力が育っていないんですから。
周囲の子は、普通の子は、自分でいろんなことができるわけです。
いろんな遊びのルールを知っていたり、人付き合いを知っていたり、親の力がなかったとしても、工夫をこらして困難を乗り越え、自由に世界を満喫できるわけです。
でも、「支配・服従」タイプの子は、「親から与えられたこと」以外の遊びのルールも知らないし、柔軟に付き合うことができないわけです。
「過干渉」タイプの子は、同年代の子ができることも、手助けなしでは、自力ではできないことが多いんですよ。
すると、周囲の自発的レベルについてゆけなくなり、周囲から「あいつがいたら、面白くない」と落胆されたり、疎外されたりするようになります。
そして疎外されるのが恐ろしいので、積極的な人付き合いができなくなります。
表面的で、心の底から付き合うことなどできず、自分に都合が悪い、未知なることの場合、すぐに逃げ出すようになってしまいます。
こういう子の特徴として、「君はどうしたいの?」と問われると、自分の意志を出せない、ということがあるでしょう。
だって、今まで自分の意志では決められなかったんですからね。
どのみち、疎外されるのが怖くて、失敗を恐れるようになります。
自分が「できない」という現実を直視したくないので、口先だけが達者になり、行動をしない人になってゆきます。
で、「ならお前、やってみろ」と言われると、言い訳ばかりをして逃げ出すわけです。
これが重度の場合、ある年齢にさしかかったら「引きこもり」になります。
自分はひとりで生きる能力がないから、何もできないから、それが周囲にばれるのが怖いわけですね。
周囲の人は、みんな自分の力で生きてゆけるだけの力を持っている。
でも、自分だけ、そんな力がない。「自発性」の力が備わっていない。
これは中学生で出ることもありますし、高校でも、もちろん社会人になって出ることもあります。
また、幼稚園児にも、「登校拒否」ならぬ「登園拒否」まであるって言うんですよ。
自由を取り戻すと、自発性は芽生える
そんな風に、子どもは「自分でできるようになりたい」という願望を持っているものなんですが、自由を奪われることで、抑圧されるわけですね。
すると、自信が持てなかったり、失敗が怖かったり、元気が出なかったり、やりたいことが分からない、そんな人になってしまうと。
解決策については、一昨日の記事がやはり有効かな、と思います。
幼い頃に得られなかった自由を思い出してみて、今から決めることですね。
もしくは、「建設的な引きこもり」もいいかもしれません。
抑圧を産む存在(大抵は親)から少し離れて、ひとりで時間を過ごすというものです。
できれば周囲に誰も知らないような場所で、スマホや携帯も持たずにネットから離れた状態で、何か自然に触れてみるのがいいかと思います。
川を眺めるのでも、地面や草を眺めるのでも、構いません。
公園には、雑草でも小さな小さな花を咲かせているものがあって、「世の中にはこんなに小さな花があるのか」とか見つけると、それだけでもすっごい味わい深いんですよ。
そういう「引きこもり」の時間を作るわけですね。
家には親がいるので、抑圧にさらされてしまうので、外がオススメです。
そうしてひとりでいると、自分の判断で行動できますし、自然を相手なら社会の見栄とか劣等感も入りにくいですしね。
すると、次第に楽しみを見つけ始めるでしょう。
まとめ
そんな風に、実は「今起こっている問題」というのは、元を正すと幼い頃に受けた抑圧が問題だった……ということは、往々にしてあるんですよ。
いや、実を言うと、「幸せ」という感覚に関わる問題のほとんどが、抑圧によるものなんですよね。
そういうこともあって、「幸せ」を考える場合、どうしても「抑圧」や「劣等感」がとても重要な要因になるんですよね。
もちろん、これらをオブラートにくるんで概念を仮想化した「スピリチュアル」という世界もあるんですが、まぁそっちに入る前に、こういう話もいいかなと(笑
ということで、今日は「自発性」の原因についてお話ししてみました。
今日はここまで~。