自分の心を癒したい場合、自分に厳しくするよりも、自分に優しくする方が効果がある。
保育園の事例
保育研究者の本吉圓子氏の実践例で、このような事例がある。
本吉さんの保育園で、かみつきグセのある一歳児が入ってきた。
「どう対応しようか」と職員会議をしていると、タイミングよく他の保育園からも「かみつきグセのある子が入ってきて、困っている」という連絡があった。
そこで、本吉さんは「貴方の保育園では、徹底的に可愛がってみてください。こちらは、叱ってみます」と伝えた。
しばらくすると、可愛がった方の園から、「かみつきが止まった」と連絡があった。
しかし本吉さんの園では、かみつきは止まらなかった。
そこで、可愛がるように方法を変えたら、かみつきは止まった。
小児科医の平井信義氏は、このような事例があった。
盗みをする子、夜中に無意識に徘徊をする子、おしっこを部屋中にしてしまう子、保育園で他の子をいじめる子、それらの問題行動が起こった時に、母親にその子へのスキンシップを増やして、甘えさせた。
すると、それらの問題行動がぐんと減った。
平井氏は言う。
スキンシップや愛情面では、十分に「甘えさせる」と、子は満足すると自立しやすくなる。
十分に甘えさせることで、心に基地ができて、「私は大丈夫なんだ」と情緒が安定し、問題行動もなくなり、親離れができる。
しかし「もう小学生なんだから」、「もう大きくなったんだから」と「甘えさせる」ことを拒むと、情緒が安定せず、なかなか子の自立や親離れができなくなる。
ある写真家が言っていたことだが、パプアニューギニアの子は、小学生ぐらいでも、日本とは比べものにならないほど大人であるという。
しかし、そのパプアニューギニアの子は、5歳ぐらいまでは「赤ん坊か」と思うほど、日本以上に母親にべったりで「幼い」のだ。
つまり、十分に甘えさせることを満たすことで、それが満たされたらぐっと大人になるということだ。
「甘えたい」、「守られたい」、「世話をして欲しい」といった幼児的願望は、満たせば消える。
しかし日本では、早く自立を求めるが上に、まだ満たされていないのに「もう○歳なんだか、自立しなさい」と突き放し、結果として「満たされないまま大人になった子」が多くいるのだ。
「甘やかす」と「甘えさせる」は異なる
「甘えさせる」と「甘やかす」は異なる。
「甘えさせる」は、前述したように、愛情面やスキンシップを十分に与えることだ。
一方で、「甘やかす」は、物質的・金銭的な要求をすぐに叶えること。
この「甘やかす」をすると、欲望を制御できなくなる子ができあがる。
私たちは、私たち自身にどのような対応をしているだろうか。
いつも「甘えちゃだめ」とスキンシップや愛情面の優しさを拒絶して、「頑張った自分へのご褒美」などと言って物質的・金銭的な報酬を与えてはいないだろうか。
そんな場合、それは自分をより不幸にするような行動なのだ。
次第に欲望を制御できなくなり、劣等感は強まり、情緒は安定しなくなり、人生は苦しみに満ちてゆく。
一方で、「甘えていい」とスキンシップを求めたり、自分への愛情面を許すと、情緒は安定して、心は穏やかになり、幸せ感を満たしてゆくことができる。
多くの人が、間違った報酬を自分に与えていて、そして苦しんでいるのだ。
「体罰」形式と、「甘えを許す」形式のメリットとデメリット
「体罰」も同じだ。
例えば、いじめ問題があって、「いじめた方が悪い」ということで、いじめる方を叱り、罰を与えたとしよう。
実際に体罰は、いじめ抑止や、問題行動の抑止には効果がある。
小学校や中学校レベルでは、問題行動は確実に減る。
しかしそれは見方を変えると、「問題行動を抑圧している」と表現できる。
抑圧したものは、思春期や大人になって、さらに大きなエネルギーとなって、排出される。
だから、幼い子の問題行動に対する体罰や罰則は、「問題の先送り」に過ぎない。
小学校の先生が体罰をした結果、問題を生む子の問題行動は抑圧され、小学校はめでたく平穏になる。
しかし、そのツケを、中学教師や警察、刑務所、大人向けカウンセラー、精神病院などが受けていることになる。
その上、小学校の頃よりも、さらに凶悪に、大きな規模の問題を引き起こすようになるのだ。
一方で、「体罰をなくす」という場合、同時に「甘えさせることを許す」ことをしなければ意味がない。
小学校二年生ぐらいで、小学校の先生が、生徒の一人を抱っこしながら授業を進めていることがある。
明らかに異様な光景で、しかも「一人だけ」抱っこしているので不公平に見えて、さらには授業進行にも弊害があるように見える。
これも本吉氏の実例で、保育園の年中や年長であるにもかかわらず、赤ん坊のように抱っこを求める子がいるという。
しかし、1~2ヶ月と十分にスキンシップを与えると、満たされた子は自発的に抱っこをやめて、協調性を持つようになるという。
「今日はこの子」、「今日はこの子」と、要求に応じて順番精度を作り、抱っこをすることで、不公平もなくなる。
これらの対処は、小学生レベルでも十分に効果があるという。
もちろん、これらの対処は、先生やカウンセラーではなく、母親がするのが最もよいのには変わりない。
「体罰」の場合は、実質は問題の先送りで、将来により大きなツケが回ってくるが、即効性があり、誰にでも楽にできる。
一方で「甘えを許す」場合は、効果の発揮には時間がかかり、専門的な人材が必要になるが、根本的な癒しになる。
日本の場合は、しばらくは若い世代へは「問題行動は、体罰的な対応で対処せよ」という論調が続くだろう。
すると、若い世代への「甘えを許す」というサービスは、既に成熟しきっている早期教育と対極となる、これからの新しい産業になりうるだろう。
また、今後はますます「うつ」や「無気力」などの症状を抱える大人は多くなると予想されるため、「大人向けのカウンセリング」や「劣等感や抑圧への解決」といったニーズは深まるであろう。
まとめ
それらを踏まえて、自分への接し方をも考えるとよい。
もし楽に生きてゆきたい場合、自分のダメな部分を「体罰」形式で厳しく対応するのは、局地的・短期的なものに限るようにしよう。
もし本気で癒したいのであれば、それらの体罰形式は一切やめることだ。
そして、「甘えを許す」をスタンスで自分と接すると、癒しを得て、充実して生きられるようになるだろう。
「体罰」形式にも、「甘えさせる」形式にも、共にメリットはある。
ただし、多くの人が間違った使い方をしているだけなんだ。
特に日本では、「頑張れば何でもできる」、「努力こそが大切」などと「体罰」形式がもてはやされているので、「甘えさせる」のを組み込むと、ぐっと楽に生きられるようになるだろう。