今日は、ワクワクについてお話ししてみましょうか。
「心から望むもの」への可能性を知ったら、ワクワクせざるを得ない、というお話です。
なぜ、ワクワクに従っていれば、未来が開けるのか
私は「ワクワク」という感覚は、「心から望むものへの可能性」だと思うんですよ。
人に限らず、生命には快楽と苦痛があるわけです。
で、生命にとって栄養になったり力をつけたりするような、益となるものは、快楽として感じます。
逆に生命にとって傷を負ったり、生きられなくなるようなことは、苦痛として感じます。
だから、生命は「快楽と苦痛に従う」ことで生き延びられるわけですね。
なので、ワクワクに従っていれば、いいことがどんどん起こる、ということです。
シンプルですよね。
まあ現代では、自然界にはない「人工的に錯覚する快楽」があるので、「全ての快楽がいい」とは言えないんですが。
でもまぁ、それを智恵で判別できさえすれば、「ワクワク」という感情は、快楽の中でも結構安全な感情かなと思います。
で、「心から望むもの」への可能性を感じると、もうそのワクワクからは逃れられないように思えます。
これを、私の経験から語ってみましょうか。
私がワクワクから逃れられなくなったお話
私が独立する前は、会社勤めをしていたんですよ。
当時の私は、「好きなゲーム制作ばかりして生きられたら、最高だよなぁ」と思っていたわけです。
ただ、そのときの私は、「ゲーム制作で生きていくには、商業流通網に乗せならなきゃいけない」と思い込んでいたんですよね。
いわゆる、「同人では稼げない。商業なら稼げる。だから商業に移行しなきゃいけない」と思い込んでいたわけです。
出版業界で言うと、「出版社に属さなければならない」、「本屋に商品を並べてもらわないと稼げない」、「新人賞を取らないと作家になれない」という思いと同じです。
で、私にはそんな能力がなくて、結局、どこからも声がかかることはありませんでした。
一つだけつてはあったんですが、それも結局ダメでした。
周囲はどんどん商業で、プロとして活躍しているわけです。
そんな中で私は、「自分には才能がない」と落ち込んで、「これから嫌なサラリーマン生活をずっと続けなきゃいけないのか」と、目の前が真っ暗になっていたんですよ。
でもそんなとき、ちょっとしたひらめきが、私の人生を大きく変えることになりました。
それが、「自分で稼げばええやん」という、本当にシンプルなアイデアでした。
当時の私は、同人で既に多少の売り上げは上げていたんですよ。
なら、「今の『たった』10倍ほど売り上げを増やせばいいだけやん」と気づいたんですよね。
その瞬間、強烈なワクワクに襲われたんですよ。
もう、灰色だった世界が、一瞬で色とりどりの世界になったかのような、そんなインパクトで。
「売り上げを10倍にする」のは、難しいことなのか
「売り上げを10倍にする」というのは、ひょっとすると難しいのかもしれません。
でも、私にはそれが全然難しいようには感じられなかったんですよ。
だって、売り上げを10倍どころか100倍とか1000倍にする人だって、ごろごろいますからね。
自力で年収1000万を稼いでいる人とか、当たり前のようにいるものです。
「その人たちにできて、自分にできないはずはない」と、何となくそう感じたんですよ。
もちろん、そうなる方法なんて、当時の私には全く分かりません。
でも、「学べば何とかなる」ということだけは分かっていました。
そういうノウハウは、書店に行けば山ほどあるのを知ってましたからね。
そして、私はそういう「大好きなことをして、自由に生きること」を心から望んでいました。
すると、そのわずかな可能性でも見えた瞬間、もう誰にも私を止められなくなりました。
もう、止まらないし、自分でも止められないんですよ(笑
ワクワクが私を連れて行く、みたいな感じで。
そこから全てが動き出して、全ての生活が「独立する」という一点に集約されるようになりました。
結果として、運良く1年9ヶ月で成果を出せて、独立を果たすわけですが。
このシンプルなひらめきだと思うんですよ。
「ゲーム制作ばかりして生きられたらなぁ」と思っている時は、お先真っ暗だったわけです。
でも、「自力でそうすればいいだけやん」と気づいた瞬間に、全てが変わったわけです。
「他の人に認められる」ことを手放すと、自力でできるようになる
他の人に認めてもらおうとするから、自力ではできなくなるわけです。
でも、「可能性」とは、常に「自力でできること」が増える瞬間にもたらされます。
だから、「自力でできること」を増やせば増やすほど、人は可能性を得ることになります。
裏を返すと、「他人に認めてもらう部分を、大きな部分から、早めに手放す」、ということですね。
すると、どんどん新たな可能性が見えてきます。
私が体験したのは、まさにそれでした。
「商業流通網に受け入れられる」ということを手放した瞬間に、ふと「自力で売り上げを10倍にすればええやん」と思いついたわけです。
他者への依存を捨てた瞬間、私は強烈な可能性、強烈なワクワクを得たわけですね。
これは、感覚として分かるんじゃないかと思います。
他の人に依存していればいるほど、「自分でできること」は少なくなりますからね。
逆を言うと、それだけ「他人のためではなく、自分のためになること」の実力をつければいいんですよ。
これは、「他の人に認められるため」のことではないので、学べば学ぶほど、ダイレクトに自分に返ってきます。
売り上げなんか、面白いほど上がっていきます。
だから、学べば学ぶほど成果として実るので、楽しくてしょうがなくなるんですよ(笑
私は何度も今までの売り上げを全て捨てて、全く新しいことを始めてますが、それはこの自信と能力があるからですね。
だから新しい分野に移行しても、短期間で成果を出して、ファンを作り、やっていけているわけです。
「受け入れられる」を手放す、という道
商業流通網に認めてもらうことを、さっさと手放す。
出版社に認められることや、新人賞をさっさと手放す。
お客に受け入れられてもらうことを、さっさと手放す。
こういう「他人に認められる」という部分を手放すほど、後は何でも自力でできるようになって、可能性が見えるようになるんですよ。
(余談ですが、「お客に受け入れられないと、売れない」というのは、大量生産大量消費時代の常識で、今ではそれに縛られない道が新たにできています。
これは今までも何度も語ってきましたが、まぁまた機会があれば語ることにしましょう)
だから、今が月に500円ほど売り上げがあるなら、月10万円にするには、それをたった200倍にすればいいだけです。
大手企業の200倍はさすがに難しいでしょうが、個人とか小さなチームでは、はるかに簡単に実現できます。
だいたい、世の中に自営業をしている人なんて星の数ほどいるんですよ。
世の中の8人に1人が「社長さん」ですからね。
むしろ、一冊の本を書き上げたり、一本のゲームを仕上げられる人の方が圧倒的に少ないわけです。
それを実現する難しさに比べたら、スタートアップの「売り上げ200倍」なんか、はるかに簡単です。
そういう意味でも、できるだけ早めに「種となるお金」を得ておくことが大切でしょう。
月500円でも、100円でもいいので、「認められる」ことを完全に手放した部分で、お金を得ていることです。
すると、それは完全に自力でできる部分なので、他者に影響されません。
その「0から1を作り出す部分」ができさえすれば、後はそれほど難しいことではありません。
すると、その種が、ワクワクを見せてくれることでしょう。
どんどんと「他者に依存する」部分を手放せば手放すほど、可能性は見えてきます。
そんな可能性さえ見えれば、後はワクワクが連れて行ってくれます。
苦しくて難しい道か、楽しくて簡単な道か
おそらくこの方法は、「嫌いなことを我慢して、お客に受け入れられる」という方法よりも心地よい道なんじゃないかと思います。
メジャーでは、よく「お客に受け入れられないと、ダメだ。自分の好きなことは置いておいても、お客を喜ばせなければならない」とか言いますよね。
「それがプロだ」とか胸を張って言っているような人もいるわけです。
でも、私から見ると、それは「現在では時代遅れになった過去の常識に縛られて、見当違いの方向に走っているな」と思うんですよ。
もっといい道は、「自分が一切妥協せず、最高に楽しくできることで、お客に喜んでもらうクオリティを出す」ことですよね。
それを目指せばいいだけですよね。
もうちょい目指すレベルを上げればいいんですよ。
多くの人が、「それは難しい」と思い込んでいるんですよ。
でも実は、今では「妥協せずに、自分が楽しむことで、人に楽しんでもらうこと」の方が、簡単になっています。
私は商業には行けないほど、流通会社からは認められないほど、実力はありませんでした。
今でもそんな実力はありません。
その程度の実力でも、24時間大好きなことだけをして、遊んで暮らせるわけです。
今、私は嫌なことをほぼしていません。
それでもファンがいて、素敵な仲間に囲まれて、満足して生きるには十分なお金も得られて、楽しく生きられることができているわけですね。
「嫌なことをして、苦しんで、しかも難しいことをして成功する」のか、「好きなことをして、楽しんで、しかも簡単なことで成功する」のか、その違いでしょう。
多くの人が前者を選んでいるんですが、私は後者を選んでいる、ということです。
多くの人が、「前者ほど素晴らしい」と賞賛して、「後者ほどアホだ」と言っているような気がします。
そう考えると、普通の人から見れば、私は相当アホな道を突っ走っているのかもしれませんが(笑
ただし、私が立っている場所から眺めると、現実はそれとは全く正反対のように見える、ということです。
まとめ
そういう風に、「実現の可能性を上げる」というのは、「できるだけ自力でコントロールできる部分を増やすこと」じゃないかな、とも思います。
で、「認められること」を手放すと、後は「自分が認めること」しか残りませんからね。
だったら、評価を気にせずに、好きなことができるわけです。
すると、ワクワクが目覚めます。
「心から望むもの」への可能性を知ったら、ワクワクせざるを得ないと。
そんな風に、「認められる」という思い込みから抜け出したときに、道は開けるんじゃないかな、と思います。
ということで、今日は「心から望むもの」への可能性を知ったら、ワクワクせざるを得ない、というお話をしてみました。
今日はここまで~。