今日は心理学なお話です。
「苦しんだだけ報いがある」から抜け出せば、本当の豊かさが分かる、というお話です。
嫉妬はなぜ生まれるのか
時々、ツイッターやウェブの検索結果とかでも、嫉妬の声を目にすることがあるんですよ。
最近の私は嫉妬からだいぶ解放されてきたんですが、ようやく嫉妬の本質が分かってきたように思います。
じゃあ、嫉妬はなぜ起こるのか。
それが、「苦しんだだけ報いがある」という間違った思い込みがあるからですね。
ほら、小学校の頃とかでも、よくあったでしょ。
「苦しくても頑張りなさい。すると、これだけの栄誉や地位、お金、成績が得られますよ」とか。
「我慢してやりなさい。すると、これだけいいことがありますよ。やらなければ、こんなにもひどいことになりますよ」とか。
これは、成功への方法論が乏しかった高度成長期以前なら、確かに多くの場合に当てはまっていました。
ですが、成功への道筋が山のように生まれた現在では、完全に時代に合わない考え方になっています。
嫉妬の根源は、「苦しんだ量と報いに対する不公平感」
なぜ嫉妬を起こすのかというと、その根底には「苦しんだ量と報いに対する不公平感」があります。
例えば、ある人とある人が、同じように鞭で打たれて苦しんだとしましょうか。
鞭で打たれることで、二人は同じように、報酬となる食べ物を得られるようにします。
ですがそこで、あるとき同じ量を鞭で打たれて苦しんだのに、その報酬として、片方は豪勢な食事を与えられて、片方は粗末な食事だったらどうでしょう。
そりゃー不公平感を感じて、怒りますよね。
実はこの不公平感はサルでも同様に感じることで、サルに何らかの同一の仕事をさせて、報酬量を途中から不公平に変えると、サルは怒り始めるんですよ。
これは見方を変えると、「苦しめば苦しむほど、報いがある」という間違った思い込みになります。
例えば、ある女性が他の美人女性を嫉妬しているとします。
なぜ嫉妬しているのかというと、「私はこんなにも顔が醜くて苦しんだ。一方であの人は、生まれながらに顔がよくて、チヤホヤされている。私は苦しんだのに報いが得られない。あの人は苦しんでいないのに報いを得ている」と感じるからですね。
お金持ちに対する嫉妬も同じです。
「私はこれだけ仕事をして苦しんだ。それでこれっぽっちの給料でしかない。一方であの人は楽に不労所得を得て、大金を得ている。私は苦しんだのに報いが得られない。あの人は苦しんでいないのに報いを得ている」と。
現実は、「価値を与えて人を喜ばせるほど、人からの報いがある」
これは、完全に現実を間違って把握している、ただの思い込みです。
「苦しめば苦しむほど、人からの報いがある」ではありません。
現実は、「価値を与えて人を喜ばせるほど、人からの報いがある」です。
これは似ているようでいて、全く違うことです。
これをはき違えているから、苦しんで、嫉妬をして、しかも喜ばれなくて、貧しくなってしまっているわけですね。
逆を言うと、これが分かれば、楽しんで、周囲の幸せを共に喜んで、しかも喜ばれて、豊かになることができます。
人を喜ばせるというのは、他の人にとっての価値を与えることです。
昔は価値観が画一的だったので、確かにどうしても「自分の好きなこと」イコール「他者が価値を感じること」ではないことがほとんどでした。
ですが、今のように価値観がきわめて多様化した時代では、「自分の好きなこと」イコール「他者が価値を感じること」になることは、ほぼ確実にあります。
「鞭で打つのが好き」というドSの人がいれば、「鞭で打たれるのが好き」というドMの人もいるんですよね(笑
「プロットを作るのが好き」というクリエイターもいれば、「プロットを作ってもらいたい」というクリエイターもいると。
もし価値を感じる人がいなかったとしても、「こういう生き方ってすてきだよ!」と教えれば、周囲は「それが価値なんだ」と思うようになります。
すると、自分の生き方を価値として与えられるようになります。
価値観を教えることで、「自分の好きなこと」を価値として与えることもできるわけですね。
一つの「価値を与える方法論」にしがみつくのは、時代遅れ
こんな時代で、一つの「価値を与える方法論」にしがみつくのは、時代遅れだと分かります。
それは、500年前に「一生懸命、鍬(くわ)で畑を耕すことが、豊かになる道だ」というのを、現代で適用するようなものです。
現代では、耕耘(こううん)機を使ってもいいんですし、農業でなくても工業に入ってもいいし、情報産業やサービス業に入ってもいいわけです。
同じように、「いい中学に入り、いい高校に入り、いい大学に入り、いい会社に入るのが成功法則だ」というのを、現代で当てはめるのもアホらしいですよね。
今はむしろ、大企業の方が危ないぐらいですから。
大企業の本体は残っていても、実際の中身はどんどん分社化されて切り捨てられている状況です。
見た目の「大企業」は残っていますが、見えないところで、中身はがっつり切り捨てられてますから。
私の大学時代の友人たちも、多くがNECとか東芝、パナソニック、キャノンのような大企業に入りましたが、安心なのはキャノンに入った人ぐらいです。
価値に目を向ければ、豊かさが分かるようになる
これが分かれば、「価値を与える」ということに目を向けられます。
すると、「価値って何だろう?」と考えれば、「価値とは、ものの見方だ」と分かります。
どんなことでもいい風に解釈できれば、どこからでも価値を作り出せます。
すると、自分の周囲にも価値が山ほどあると分かります。
また、自分自身も「欠点だらけの自分」から、一転して「長所だらけの自分」だと分かります。
たとえ顔が醜かったとしても、「笑顔には、美人である以上の価値がある」と気づけるんですよね。
苦しみではなく、価値に着目することで、本来の豊かさが分かるようになる、ということですね。
まとめ
だから、「苦しんだだけ報いがある」という思い込みから抜け出せば、本当の豊かさが分かるようになります。
現代で、もうこれ以上苦しんで何かを得ようとする必要はありませんよと。
好きなことをして、楽しんで得られることができますよと。
価値観がきわめて多様化している現代では、それがようやく可能になりました。
その恩恵に気づいた人から、楽に、幸せに、そして豊かになっていけます。
嫉妬や苦しみを手放して、豊かになることができる、ということですね。
ということで、今日は「苦しんだだけ報いがある」から抜け出せば、本当の豊かさが分かる、というお話をしてみました。
今日はここまで~。