今日は精神的なお話です。

「大勢の人に与えるのではなく、一人の人に与える方が、手を抜かなくなる」、というお話です。

 

初めて他の人のプロットを作りました

ここ数日、生まれて初めて他の人のストーリープロットを作って、昨日お送りしたんですよ。

いや~、もうね、これがすっごい面白かったんですよ!

「こんなに少ない情報からでも、プロットって作れるんだ!」みたいな驚きもあって。

たった4行の情報から1本のメインプロットを作れるとか、我ながら驚きました。

 

これは、しばらくはまりそうな予感です。

今回の話を持ちかけてくださった方も、喜んでくれたようで何よりです。

 

一人の人に贈るのでも、心地よい充足感を得られる

こういう風に、サイトで公開するだけではなくて、一人一人に個別のものを与える、というのも心地よい充足感を得られるものなんですね。

そういえば、私が知っているとある絵師さんが、その友人に色紙を送ったっていうんですよ。

で、その写真が公開されていたので見てみると、もうすっごいクオリティで、手間暇がかかっているもので。

最初は「仕事用でもなくて、大勢に見せるものでもなくて、たった一人に贈るものなのに、そこまで手をかけるの!?」みたいに思ったんですよね。

 

でも、今ならその気持ちが分かるような気がします。

たった一人に贈って喜んでもらうのも、サイトや出版物で公開して大勢に喜んでもらうのも、得られる喜びは同じようなものなんですよね。

 

一人に贈るからこそ、手を抜けなくなる

むしろ、一人に贈るからこそ、手を抜けなくなるんですよね。

それは、目の前に「自分の作品を手にするリアルの人」がいて、その存在を実感できるからじゃないかと思います。

 

本でも、よく「特定の一人をイメージして書きなさい」、「この人に伝えようとイメージして書きなさい」とか言うじゃないですか。

それとか、西洋では冒頭に「誰々に捧ぐ」みたいに、特定の個人を書きますよね。

それもやっぱり、ある特定の人に贈ることをリアルにイメージすることで、手を抜かずにしっかりと書けるようになるんじゃないかと思います。

むしろ、「不特定多数に与える」とか、「多くの人に与える」というほど、自尊心は得られても、「ちょっとぐらいいいか」という気持ちが入り込みやすいような気もします。

 

まとめ

なので、作品を作る場合、本当に見せたい人を一人イメージするのも効果的かと思います。

私が知っている、とあるメジャーな漫画家さんは、担当編集者がその漫画家さんの熱狂的なファンなんですよ。

で、その漫画家さんも、「一番作品を楽しむのは自分。そして、私は担当が楽しむ姿を見たいために、必死で漫画を描いている」みたいなことを言っていたんですよね。

 

やはり、そういう「誰か一人のファンのため」に作れると、人は大きな力を発揮できるようになるんじゃないかと思います。

「見知らぬ大勢の人に喜んでもらう」というのは、逆に「喜んでもらうという喜び」を減らしかねないな、と思ったり。

 

これからしばらくの間は、他の人のプロット作りにはまりそうな予感です。

 

ということで、今日は「大勢の人に与えるのではなく、一人の人に与える方が、手を抜かなくなる」、というお話でした。

今日はここまで~。

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