今日は、精神的なお話をしてみましょう。

「ありえない」をすると、自由になれる、というお話です。

 

私が劣等感を解決した、もう一つのきっかけ

私は去年の夏に、劣等感を解決するという結構大きな出来事を経験しました。

そのきっかけとなった直接の本が、幼児教育の本だったんですよ。

私はそれまで心理学とかカウンセリングの本を山ほど読んでいたんですが、実際に心が救われるきっかけになったのは、全く別ジャンルのものだったんですよね。

その辺の体験記は、このブログの2014年8月6日ぐらいから8月31日ぐらいまでの記事か、この本(たった二日で劣等感を解決して~)に詳しく書いてます。(劣等感を解決した決定的な日は、2014年8月13日の記事で詳しく書いてます)

 

ただ、実はもう一つ、劣等感を解決する直前に読んでいた、心理学本があるんですよ。

これが、私が劣等感を解決できた、もう一つのきっかけかなと思います。

それが、心屋仁之助という人が書いた本なんですよね。

この人の本を5冊ぐらい読んで理解して、その後に幼児教育の本をきっかけとして、「そういうことだったのか!」と自分の心を理解できたと。

 

で、この心屋氏が提案している心理メソッドで、私がとても効果があると思っているものを紹介してみましょう。

それが、「ありえない」と思っていることをする、ということですね。

 

「ありえない」をすると、自由になれる

これは簡単で、自分にとって「ありえない」ということがあると思うんですよ。

それをやってみる、ということですね。

「寄付をするなんてありえない」という価値観を見つけたら、それをやってみると。

「わがままを言うなんてありえない」、「依頼されたことを、理由なしに断ることなんてありえない」という価値観を見つけたら、それをやってみると。

すると、驚くほど自由になれます。

 

これは、小さな事でいいんですよ。

私が昨日気づいた「ありえない」で、「マヨネーズをたっぷりかける」というのがあります(笑

ブロッコリーにはマヨネーズ+醤油が美味しいですよね。

で、私の場合、なぜかマヨネーズは「最小限だけかける」という行動パターンがあったんですよ。

それはおそらく、私の中で「無駄をしてはいけない」、「節約しなきゃいけない」という思い込みがあったからだと思うんですが。

 

そこで、その「ありえない」をあえてしてみるわけです。

ブロッコリーに、もう余るほどマヨネーズをかけて食べると。

もうね、最初はすっごい背徳感の嵐なんですよ(笑

「ああ、こんなこと、許されるはずがない!」とか思ったりして(笑

 

でも、それで食べてみると、なんかすーっと楽になって、「あ、マヨネーズをたっぷりかけて食べてもいいんだ」と、許可が出るんですよね。

すると、「どうして私は、マヨネーズの量なんかにこだわっていたんだろう」と、客観的になって気づけるわけです。

すなわち、私が「自分の価値観」という狭い領域から出て、他の立場で行動してみて初めて、客観的な判断ができるようになったと。

 

私たちは、思い込み(洗脳)で苦しんでいる

これは言うなれば、洗脳を解くのと同じです。

例えば昔はキリスト教が迫害されていたんですが、迫害しているのはキリスト教を知らない人なんですよ。

で、迫害する側は、「奴らはファザー(神父)、シスターとか呼び合っている。きっと近親相姦をしているに違いない。ひどい邪教だ」みたいなことを本気で思っていたわけなんですが。

でも、実際にキリスト教の立場になってみると、全然そうではなくて、「あ、そういうことなのか」と理解できると。

すると、「キリスト教も自分たちの宗教も、まぁ程度の差こそあれ、似たようなものだな」と分かって、キリスト教の考え方を受け入れることができるようになるわけです。

 

私たちは、そういう「思い込み(洗脳)」を持っているわけですね。

多くの場合、それは親や社会から植え付けられたものになるんですが。

 

そして私たちは、「それを我慢していない他人」を見ると、無性に腹が立つんですよ。

例えば私の場合、他の人がマヨネーズをたっぷりかけて食べているのを見ると、無性に腹が立っていたわけです(笑

だって、「自分はこんなに我慢しているのに、相手は我慢していない」と、不公平感を感じるからですね。

 

でも、その「不公平感」ってのは、実は持たなくてもいいものなんですよ。

マヨネーズの量ぐらい、どうでもいいでしょ(笑

それでも、「マヨネーズを最小限しかかけない」という状態で我慢し続けていると、許せないんですよ。

そこであえて、「マヨネーズをたっぷりかける」という別の価値観で行動することで、初めて両者を客観的に見ることができるようになります。

すると、「美味しい程度にかけよう」と、バランスを取れて生きることができるようになるわけです。

すなわち、親の価値観でもなく、社会の価値観でもなく、「自分の価値観」で行動できるようになると。

 

私たちが持つ、様々な思い込み

この「マヨネーズをたっぷりかける」が、人によってはいろんなものになる、ということです。

人によっては、「わがままを言う」、「人に頼る」、「理由もなしに断る」、「好き嫌いを言う」、「自由に過ごす」、「我慢をしない」、「怒る」、「泣く」、「甘える」、「他人のせいにする」みたいに、いろんな形になるかと思います。

その「ありえない」をどんどんしていくと、世界が変わって見えますよ、ということですね。

 

最初こそ、「私は許されない」と、すっごい背徳感を感じるでしょう。

でも、一度「自分の価値観」から出て行動してみると、「今までの自分」を客観的に把握できるようになります。

そこで、再度自分に合う程度に合わせていく、ということですね。

もちろん、「やっぱりマヨネーズは、少しだけかける方が美味しいや」と、以前と同じ状態に戻るかもしれません。

でも、「他の人から言われて、少しだけしかかけない」のと、「自分で選んで、少しだけしかかけない」というのは、同じ行動をしているようでいて、内面は全く違う、ということですね。

 

自由な人というのは、そういう風に、全て「自分が選んでそうしている」ということです。

「親に言われて」とか、「社会に言われて」という領域が、限りなく狭い人です。

だから、自分軸が生まれて、納得して生きることができるようになるわけですね。

すなわち、「自分が作れる人生」を取り戻せると。

 

まとめ

これは、頭で理解するというよりも、実行して理解することです。

なので、この自由の世界を感じてみたい場合、「ありえない」という価値観を見つけて、実行してみるといいでしょう。

それは大きなことでなくても、小さな事で構いません。

私も「マヨネーズをたっぷりかける」みたいな小さなこととか、「川でメダカを飽きるまで眺める」とか、「寄り道して帰る」、「夕飯を立ち食いをする」みたいなことまで、いろいろやりました。

それをしてゆくと、どんどん自分の殻が壊れてきて、ある日ふと、「あ、自由に生きていいんだ」、「親と自分の人生は別物だ」と理解できるようになる、ということですね。

 

自由な感覚を知りたい場合、これはとても効果があるのでオススメです。

 

ってことで、今日は「ありえない」をすると、自由になれる、というお話でした。

今日はここまで~。

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