今日は、精神的なお話をしてみましょう。
ファンができると、「自分は不幸だ」とは思えなくなる、というお話です。
ファンができると、考え方が変わる
最近、一つ分かったことがあるんですよ。
それが、「ファンができると、『自分は不幸だ』と思えなくなる」ということですね。
この仕組みはほんと簡単です。
例えば私が、自分のうまくいっていないことを語って「私は不幸だ」とか言ったらどうでしょう。
「あやえもさんみたいに知識も能力もあって、しかも好きなことをして生きていけるのに、不幸なんてありえんでしょ!」
とか言いたくなるでしょ(笑
私のファンである人ほど、そう言いたくなるかと思います。
例えば私で言うと、新海誠氏のような、詩的な映像作家にあこがれているとしましょうか。
私は詩的センスが皆無なので、そういう能力を持っている人にはあこがれるんですよ(笑
で、彼が「私は不幸だ」とか言っていたら、やっぱり「ありえんわっ!」とツッコミ入れたくなりますからね。
「あんたが不幸なら、私はどうなるねん」みたいな。
ファンができると、「自分は不幸ではない」と気づける
ファンの人たちって、私のような生き方にあこがれているわけです。
そういう存在がいると知れば、「あ、全然不幸じゃないやん」と気づけるんですよ。
これは、自分にファンができたときに分かります。
自分が何か作品を出したり、自分を表現して、自分なりの生き方をするようになった。
そんな生き方を楽しんでいると、いつしか「貴方のような生き方をしたい」というファンが出てきます。
そのファンに囲まれていると、「自分は不幸だ」なんて言えなくなりますから。
周囲は、「そんな自分」にあこがれているからですね。
逆を言うと、私が「私は不幸だ」とか言っていたら、ファンは離れていくと思うんですよ。
「自分は不幸だ」って言っている人の生き方には、あこがれないものですよね。
むしろ、「あんなに能力も才能も持っているのに、あんな風に感じるのなら、あんな人にはなりたくないな」と感じるかと思います。
苦境では、ファンが支えてくれる
ファンは、苦境な時ほど支えてくれます。
逆に、苦境ではファンでない人ほど、さーっと消えていくものです。
例えば作者が「私はこんなに不幸だから、お願いです、この作品を買ってください」って言って買ってもらったとしましょうか。
すると、お客は「買ってやった」という、上から目線になっちゃうんですよ。
「情けで買ってやるんだ」みたいに、見下しているわけですね。
それは、「ファン」とは全然違いますよね。
ファンというのは、「買わせてくださって、ありがとう!」と、頭を下げて、さらに感謝してくれる人たちなんですから。
「私は不幸だ」という人は、その人の調子がいいときは、みんながちやほやしてくれるんですよ。
でも、その人が苦境になったとき、驚くほどすぐに、みんな離れていきますからね。
今まであれほど恩を与えていたのに、誰も支えずにさーっと消えていきます。
逆にファンがいる人は、苦境になったときでも、ファンが買って支えてくれます。
苦境の時に買ってくれるからこそ、「ファンって、ありがたいな」と感じるんですよ。
私はそういう経験もあったので、「ファンが大切だ」と言っているわけですね。
まとめ
だから、本当のファンができれば、自分の生き方が変わります。
「自分は不幸だ」なんて思えなくなるんですよ。
「こんな自分にあこがれている人がいる」、「こんな生き方にあこがれている人がいる」と実感できれば、「自分よりも持たない人がいるんだな」と分かります。
そういう人の前で、やっぱり「自分は不幸だ」なんて、言えなくなりますからね。
東南アジアやアフリカの貧しい人の実体を見た時に、「自分は不幸だ」と言えなくなるのと同じです。
だから、「自分は豊かだ」と感じられて、どんどん知識とかノウハウを与えられるようになる、ということです。
私の豊かさというのは、ファンの方々が作ってくれている、ということですね。
で、そういうファンは、誰にでもできます。
自分の生き方を楽しんで、精一杯表現してゆけばいいんですから。
そういうファンができたとき、生き方ががらりと変わるかと思います。
ってことで、今日はファンができると、「自分は不幸だ」とは思えなくなる、というお話をしてみました。
今日はここまで~。