今日も、共感性にまつわる人間心理についてのお話です。

「なぜリラックスした時ほど、フラッシュバックが襲ってくるのか」に対する仮説のお話です。

 

高共感な人の感情抑圧機能

高共感な人が持つ特徴として、「自分の感情を強く制御できる」、「感情を抑圧しやすい」という性質があるように思います。

高共感な人ほど未来をイメージできるので、「未来の不利になる」と危機感を持てると、今の感情を抑えつけることができるわけです。

 

まぁもちろん高共感な人でも、我慢することに疲れ切ってしまった場合は例外です。

そういう場合、限界近辺にいるので、感情を制御しにくかったり、すぐに感情を出してしまうこともあるでしょう。

だけど健全な状態であれば、高共感な人は基本的に「自分の感情を制御できる」という性質を持つかと思います。

 

フラッシュバックという機能

そういう場合、よくある苦しみが、フラッシュバックだろうと思います。

これは、ふいにリラックスした時に、過去の過ちや苦しみが脳内で再現されてしまうことですね。

 

だからフラッシュバックを抱える人ほど、リラックスすらできないわけです。

くつろいだ状態になったら否応なく過去の苦痛が押し寄せてくるので、常に気を張っていないといけなかったり、何かの作業をしていないといけないと。

そういうこともあって、抑圧を抱える人ほど「何かに没頭している時が、一番の心の平安。ずっと何かに没頭していたい」という人も多いように思います。

 

ただ、それは仕方がないとはいえ、少し不健全ですよね。

だってその没頭は、「好きだから」でもあるんですが、同時に「フラッシュバックを起こさないために」という理由もあるんですから。

できることなら、「何かに没頭している時も心の平安。リラックスしている時も、心の平安」としたいものです。

 

なぜリラックスした時に起きるのか

ならここで、ちょっとフラッシュバックについて考えてみましょう。

なぜリラックスした時に、フラッシュバックが訪れるんでしょうか?

気を張っている時は出てこないのに、気を緩めると出てくるわけです。

「なんでわざわざリラックスした時を選ぶねん!」とか言いたくなるでしょ(笑

 

これに意味があるとするなら、私たちはリラックスした時、無意識で「今なら感情を出してもいい」と判断しているからじゃないかと思います。

 

私たちは抑圧をしますが、発散できなかった欲求は、どこかで発散する必要があります

例えばトイレに行きたくて我慢すると、後で行きたくなるでしょ(笑

感情的な欲求も同じで、「泣きたい」、「怒りたい」みたいな感情も、後から出す必要があるわけです。

そうすることで、ため込んだストレスを発散させて、すっきりできると。

 

リラックスした時に、無意識が判断している

その場合、リラックスした時に、無意識が「今なら感情を出していい」と判断しているんじゃないかと思います。

例えば作業中に「お腹がすいたなぁ」と思っても、熱中するとそういう欲求自体を忘れることがあるものです。

そして一段落してリラックスしたときに、「あ、そういえば、お腹がすいていたんだった」と思い出すことって、ありますよね。

それと同じで、精神的な抑圧も、リラックスした時に「今なら感情を出せる」と判断しているんじゃないかなと。

 

だから、リラックスした時にフラッシュバックが起きやすいんじゃないかと推測しています。

 

再び抑圧してしまっている現実

でも私たちは、せっかく思い出して感情を出せる準備ができたのに、「それを感じちゃいけない」と再び抑圧してしまうんですよ。

なぜかというと、思い出した瞬間に「まだ感情を出しちゃいけない」と意識が止めるからだろうと思います。

そしてぐっと押し殺して抑圧して、結果として「フラッシュバック」という現象になるんじゃないかと。

 

だから言うなれば、私たちは「過去に抱えた抑圧に苦しむ」のではなく、「今、抑圧している」と言えるでしょう。

問題は、「過去のあのときに、ああできなかった」という過去にあるのではないと。

そうではなくて、「(リラックスした)今でも、その感情を出してはいけない」と瞬間的に判断しているから、何度も「押し殺して、思い出す」という継続的なフラッシュバックが起きてしまっているわけです。

 

「もっとリラックスする」という解決策

ならば、一つの解決方法として、「もっとリラックスすればいい」とできるかと思います。

ある意味、まだすぐに気を張り詰められる程度だから、感情を出し切れないわけです。

なら、もっとガードを落として、気を張らなくてもいいリラックス状態にできると、「瞬間的に気を張り詰めて、再び抑圧する」ということをせずに、感情を出せると分かります。

 

なら、それはまさに、私がよく言う「ネガティブ側に身をゆだねる」という方法論だろうと思います。

「ポジティブ」=「気を張る」ならば、「ネガティブ側」=「リラックスする」ですからね。

私たちはポジティブが強すぎるので、「瞬間的に気を張り詰めて、再び抑圧する」というフラッシュバックを繰り返してしまうと。

 

「リラックスして感情を出す」アプローチ

だからネガティブ側に許せて身をゆだねるほど、心の底からリラックスできて、「気を張らずに感情を出せる」と分かります。

実際に、私はこれを象徴するようなことを、この夏に感じていたりします。

昨日の日記でも触れましたが、私はこの夏、今までの人生で一番海を眺めたんですよ。

 

最初こそ、「制作とか、生産的なことを何もしないのは落ち着かない」という感覚があったんですけどね。

でも、何ヶ月もずっと怠けて、自然に触れていると、少しずつ心の底からリラックスしてくるんですよ。

 

すると、そういう「価値を作らなきゃ」という強迫観念が消えてゆきます。

そして、「ああ、自分の中にある価値観が人を生かすのではなくて、自然が人を生かしているんだな」と実感できるようになったんですが。

 

ふいに泣きたくなる瞬間

そうやって緊張感を解いてガードを下げて、ある日海を眺めていると、ふいに泣きたくなることがあるんですよ。

意味もなく、急に泣きたくなるわけです。

 

きっと、心の底からリラックスすることで、「ああ、もう頑張らなくてもいいんだ」とか、「苦しみからは別れていいんだ」、「気を張り続けなくていいんだ」と分かるからじゃないかと思います。

つまり、私たちの中にある「こうしなきゃいけない」というポジティブな価値観を、手放せるわけですね。

 

そうした時に、心の奥底にたまっていたわけの分からない感情が出てきて、泣きたくなるんじゃないかなと思います。

そしてそういう感情を出して片付けてゆくと、気がつくと多くのフラッシュバックが消えていると。

 

まとめ

なので、フラッシュバックは「今、自分が抑圧している」と気づくことかなと思います。

過去に原因があるのではなくて、「今、自分は出してはいけないと判断している」と気づくことかなと。

 

なら、ある意味もっとリラックスを許せばいいわけです。

よりネガティブ側に身をゆだねることで、「こうしなきゃ生きていけない」という思い込みが崩れて、心の底から「もう緊張しなくていい」と理解できます。

 

すると、フラッシュバックが来た時に、すぐに再抑圧するのではなく、そのまま感情を出せます。

そして一度出し切ると、すっきりして身軽になるわけですね。

 

フラッシュバックや抑圧とは、そういうシステムなんだと分かると、対処しやすくなるかもしれません。

 

ということで今日は、「なぜリラックスした時ほど、フラッシュバックが襲ってくるのか」に対する仮説のお話でした。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share