ここんとこ仏教についてちょいちょい触れたので、今日はその流れで仏教についてのお話です。
般若心経は「陰と陽」(ネガティブ療法)と同じだと分かると、理解しやすくなる、というお話をしてみましょう。
ちなみに今日のお話は、珍しくロジック2本立てです。
2日に分けてもいいんですが、まとめる方が分かりやすそうなので、2日分の内容を1記事でまとめてます。
精神的な問題を解決する、釈迦のアプローチ
私たちは、抑圧だとか、「自分と他者の価値観の境界が分からない」みたいな、精神的な問題を抱えやすいものです。
特に共感性が高くて、個性が強い人ほど、その苦しみは大きくなりがちです。
それは、「自分は周囲と違う。周囲と同じようにしたいけど、できない」、「自分なりに生きたいけど、だけど評価もされたい」と、葛藤や苦悩を持ちやすいからで。
そういう精神的な問題を解決する方法の一つとして、釈迦(しゃか)のアプローチがあります。
釈迦がまさにそういう共感性の問題を抱えていて、「どうすればいいんだろう」と試行錯誤して、そしてその問題を解決しました。
そしてその教えが仏教となり、世界的に広まったことになります。
まぁ今ではいろんな尾ひれがついて、巨大な体系になっているんですが、根源は釈迦の「精神的な問題を解決する」というためのものです。
般若心経と「陰と陽」の関係
で、少し前の記事で、日本仏教のいろんな宗派比較をしましたよね。
その時に「シンプルで本質が好きな人は、般若心経(はんにゃしんぎょう)を好む」と触れました。
そしてこの般若心経に出てくる「色即是空(しきそくぜくう)」という概念は、私がよく言っている「陰と陽」の概念と同じだと分かります。
なので今日は、1本目のロジックとして、「陰と陽」を引き合いに出しながら、般若心経を解説してみましょう。
そして2本目のロジックとして、なぜ仏教の「涅槃(ねはん)」がいろいろ誤解されているのかを説明します。
すると「般若心経は、陰と陽(と、ネガティブ療法)と同じなんだ」と分かって、その本質が理解できるかと思います。
「陰と陽」とは
なら、まずは1本目のロジック、「般若心経の色即是空は、陰と陽と同じ」というロジックです。
「陰と陽」というのは、これまでの記事でも説明してきたように、「ポジティブとネガティブは、不可分のものである」ということを意味します。
これは太極図(→DuckDuckGo画像検索結果)を見ると分かりやすいでしょう。
「陰の中には陽があり、陽の中にも陰がある。また、陽が陰を生み、陰が陽を生む原因になる」という関係です。
私たちは「ポジティブ(陽)がいい!」とか言いますが、「ネガティブ(陰)もポジティブと同じように、必要なものだ」ということです。
実際に、「ポジティブでなきゃ」なんて言う人には、「なら寝ちゃいけないの? 泣いちゃいけないの? 落ち込んじゃいけないの?」とツッコミを入れたくなりますよね。
つまり「ネガティブになって休むこと」も、ポジティブを作る原因になるし、ポジティブな要素を含むと分かります。
同じように、「活動する」というポジティブも、「活動するほど疲れる」という風に、ネガティブな要素を含み、ネガティブの原因になると分かります。
ネガティブにも意味がある
なら、ネガティブになることも、意味があると分かります。
そもそも価値観は人によって違うので、何がポジティブで何がネガティブなのかも分からないものです。
なら、世の中は「ポジティブとネガティブが波のように変化していて、その波に乗ればいい」と分かります。
そういう風に、陰と陽では「究極のポジティブ」を目指すのではなく、「ネガティブになりたいときは、ネガティブに落とそうよ」ということです。
「絶対に泣かずに、くじけない完璧超人」を目指すのではなく、「泣きたい時には泣けて、落ち込みたい時には落ち込める、そういう自然に生きらる人」を目指しましょうよ、ということです。
すると自然と必要なフィードバックを得られて、自然に生きられるよ、ということですね。
「色即是空」は「陰と陽」と同じ
で、般若心経には「色即是空(しきそくぜくう)」という中核概念があるんですが、これがまさにこの「陰と陽」と同じです。
「色」とは「物質的なもので、価値あるもの」という意味です。
「空」とは「概念的なもので、空虚なもの、無意味なもの」という意味です。
なので、「色=ポジティブなもの」、「空=ネガティブなもの」とざっくりと理解するのでいいでしょう。
もちろん切り口が違うので、完全に同じではなく、微妙に見た目は変わります。
ですがまぁ、似たような構図だとは分かるかと思います。
なら、「色即是空、空即是色」というのは、「ポジティブはネガティブであり、ネガティブはポジティブである」という関係がすんなりと分かるかと思います。
「陰と陽」と同じ関係でしょ。
「すべてのものは、無意味である」の意味
で、般若心経ではその「色即是空」を紹介した後、そこから延々と「すべては空の相をも持つ。すべてのものは空でもある」と伝えます。
簡単に言うと、「すべてのものは、無意味であると知りなさい」ということです。
つまり、私が提案しているネガティブ療法と同じです。
「世界のすべてを無意味だと否定すること」は、裏を返すと「自分だけがこの世界で必要がない存在だ」と理解することを意味します。
すると、以前の記事でも触れたように、そのネガティブに身をゆだねることで、抑圧領域に踏み込めて、抑圧を解放できます。
まぁ般若心経では、若干「陰と陽」とはニュアンスは変わるんですけどね。
でもまぁ、同じように「価値があるように見えて、結局は何もかもが無である」ということを伝えていると。
そして般若心経では、そういう「すべてが空であることを知ること」が「涅槃(ねはん:抑圧を解放した状態)」に至る道だと伝えます。
で、最後に「それが精神的な苦痛を取り除く知恵だし、その空を知ることは、決して空虚なものではない。さあ、実践しよう」と伝えて終わると。
般若心経の内容は、どストレート
これってもう、「どストレート」でしょ(笑
これは「ネガティブになれば、抑圧を解放できますよ」と言っているのと同じだし、ネガティブ療法のロジックを理解できていれば、シンプルで効果的な方法論だと分かります。
多くの人が、この「ネガティブになれば、抑圧を解放できる」という意味が理解できません。
「すべてに対してネガティブになることが、概念的な自殺をすることになって、結果として仮面を外すことにつながる」という、14歳ぐらいからの反抗期のプロセスが理解できないんですよね。
そして般若心経は短いので、いろんな意味に取り得るわけです。
だから多くの人が、「きっとこれは何かの謎解きで、謎を解ければ神髄を理解できる」とか、「何かの暗号に違いない」とか邪推するんですよ。
ルビンの壺と同じで、「まさにそのまま」
だけど本質を理解すれば、これ以上ない「どストレート」でしょ(笑
たとえて言うなら、ルビンの壺(→DuckDuckGo画像検索結果)を「これは人の顔だ」と言うぐらい、ど直球です。
謎なんて一切なく、直球も直球だし、「まさにそうだ」としか言いようがないほど本質なわけです。
だから般若心経が今まで残ってきたんじゃないかと思います。
だって、抑圧を解放した人からすると、「あ、まさにこれだ」としか言いようがないんですから。
なので抑圧を解放した人からすると、「ここにシンプルな神髄があるよ」と言うわけです。
でも、理解できない人には、さっぱり理解できないと。
ルビンの壺を見て、「なんでこれが顔なの?」と言っているのと同じです。
涅槃とは、「抑圧を解放した状態」
で、2本目のロジック、「涅槃(ねはん)」についても解説しておきましょう。
仏教で言う「涅槃(ねはん)」というのは、基本的に「抑圧を解放した状態」です。
だから言うなれば、「涅槃に至る」というのは、「抑圧を解決して、自然に生きられるようになった状態」という程度のものです。
でも仏教界では、涅槃を「まるで極楽にいるかのような、人類にとっての究極形態」みたいにキラキラ系にしてしまっているじゃないですか。
なぜそんな誤解が生まれているのかというと、これが人間の性質によって起きているように思います。
4つの性質分類(外向型と、3つの内向型タイプ)
ならなぜそういう「涅槃は究極の精神状態だ」みたいな誤解が生まれたのか、ということです。
それを説明するために、ここでもいつもの性質分類を使います。
- 境地開拓タイプ: 常に頭の中が雑念で騒がしいので、雑念のない状態にあこがれる。理屈が分かるので、うまく理論で説明できる。抑圧はするが、量は少ないので、抑圧を解放する必要はさしてない。
- 高共感タイプ: 瞑想の心地よさは知っているけれども、理屈が分からないので、他者から体系を学ぶ。抑圧は持ちやすく、抑圧量も多いが、社会と同じ価値観であることが多いので、抑圧を解放しても、前後で生き方は大差ない。
- HSPタイプ: 個性が強く、抑圧をしやすい。なので抑圧量が多く、抑圧を解放する必要性も強く、抑圧を解放することで生き方が大きく変わるタイプ。釈迦がこのタイプ。
なぜ「涅槃は究極の極楽である」と誤解するのか
すると、境地開拓タイプと高共感タイプが一緒になることで、「涅槃とは、まるで極楽にいるかのような、人類にとっての究極形態だ!」と誤解してしまうと分かります。
というのも、昨日に説明したように、境地開拓タイプは常に頭の中が雑念だらけで、うるさいわけです。
なので境地開拓タイプからすると、「瞑想できるだけで、雑念が消えてすっごい落ち着けて平穏な気分」となります。
ならそういう人が、「瞑想できて心穏やかな人が、さらに抑圧を解放して得た、最高の精神的な平穏」とか聴くと、もうすっごい安楽な精神状態のように感じるじゃないですか。
でも本当は、釈迦のようなHSPタイプ(個性があり、共感性が強いタイプ)は、多くの抑圧を抱えやすいだけです。
一方の境地開拓タイプは、性質的に「抱える抑圧の総量」が少ないので、「抑圧を解放することによる、楽になれる量」はほとんどありません。(この原理は近日説明します)
ただ、誰もが「自分にとっての感覚」が当たり前だと思い込むものです。
なので、境地開拓タイプの人は「釈迦も自分と同じだとすると、もし自分も抑圧を解放できれば、すっごい安楽な状態になれる」と錯覚してしまいます。
だから境地開拓タイプの人は、「涅槃とは、きっと極楽にいるかのような、人類にとっての究極形態だ」と推論してしまうわけですね。
高共感タイプがそれを信じ込む
そしてそういう「究極の精神状態」を、理屈を理解できる境地開拓タイプが語るわけです。
すると、理屈がよく分からない高共感タイプは、「理屈を理解できる人がそう言うんだから、きっとそうに違いない!」と信じ込みます。
で、高共感タイプは盲信するし、創始者(新境地開拓できる人)を崇拝するし、何よりキラキラ系が好きですからね。
だから「釈迦は人類がなしえないような究極の精神状態に入り、唯一無二の尊きお方だ!」とあがめるようになったんじゃないかと思います。
そして高共感タイプの人が抑圧を解放しても、前後で生き方は大差ありません。
高共感タイプの人は、社会と価値観が同じであることが多いので、「抑圧を解放しても、その前後の生き方で、HSPタイプほどの劇的変化はない」と言えます。
だから、それも「もっと高次元の素晴らしい精神状態になるんじゃないか」という錯覚を得ることにつながったんでしょう。
そして高共感タイプは、宗教世界では多数派です。
なので、そこから「釈迦はこれほどすごい人だ!」と、壮大な尾ひれ背びれがついて行ったんじゃないかな、と。
例えば「釈迦は一人で悪霊の軍勢に立ち向かった」とか、「生まれた直後に立ち上がって、『天上天下、唯我独尊』と尊い言葉を語った」みたいな、意味不明な装飾がつけられたわけです。
HSPタイプにとっては、日常的なもの
でも本質を理解できるHSPタイプからすると、涅槃とは全然そんなものではなく、「ただ単純に、抑圧を持ちやすいタイプの人が、抑圧を解放しただけだ」と分かります。
だって瞑想できること(無我の境地に入ること)は、HSPタイプからすると日常です。
で、HSPタイプは個性が強いので、抑圧を抱えやすいものです。
だから、「抑圧を解放すると、心地よくなれる程度だ」と、本質を理解できます。
それは「釈迦にしかできないこと」でもないし、「人類で誰にもなしえないこと」でもないと。
むしろHSPタイプにとっては結構日常的で、身近にできることだと分かります。
だいたい本来なら、「狩猟採集時代の14歳ぐらいからの反抗期なら、普通にやっていたこと」ですからね。
釈迦は「自然に生きられる人」
実際に釈迦も、菩提樹の下でいろいろ気づいた後でも、教えを広める中で悩んだり、泣いたりしたと思うんですよ。
釈迦は、「絶対に泣かずに、くじけない完璧超人」ではなく、「泣きたい時には泣けて、落ち込みたい時には落ち込める、そういう自然に生きらる人」だということです。
それが、性質別の「誤解と錯覚」が重なることで、奇妙な「神のごとき、完璧超人な釈迦」ができてしまったようにも感じます。
ちなみに釈迦自身は「飾らなくていい」と言っているのに、信者がその釈迦を飾りまくっていると(笑
もし釈迦がこの現状を見たら、「俺の言ったことを、何も理解してないじゃないか」と、頭を抱えると思うんですが(笑
まぁ飾るのが好きな人はそれでもいいんですが、それこそが「陰と陽、色即是空」を理解できていないように思います。
陰と陽、色即是空、そして人間の性質の違いを理解できると、この辺の「本質が誤解された原理」が分かるかと思います。
「涅槃(抑圧の解放)というのは、HSPタイプにとっては身近なものですよ」ということですね。
それは、ネガティブになることで抑圧領域に降りられれば、理解できる程度のことです。
仰々(ぎょうぎょう)しくとらえるものではない、ということです。
まとめ
なのでこの辺が分かると、般若心経の本質が理解できるかと思います。
もうただ単純に、「すべてが無意味だとできると、抑圧を解放できますよ」という、どストレートな内容ですから。
実のところ、ユングが言っていることも、釈迦や般若心経が言っていることも、私のネガティブ療法も、多くのストーリーが伝えていることも、すべて同じものを指しています。
それが、「ネガティブになると、抑圧を解放できる」ということです。
実際にバトル系漫画でも、主人公に倒された敵は、「自分が負けた。そしてもう、今までのように生きられない」とネガティブになった時に、過去を思い出して抑圧を解放するでしょ。
「そういえば昔に、こういうことがあった。だから自分はこういう間違ったことを追い求め始めたんだ」みたいな。
その結果、敵はようやく涙を流せて、抑圧を解放してすっきりして、主人公の味方になったりするんですが。
涅槃、つまり「抑圧の解放」というのは、抑圧をためやすいHSPタイプにとっては、それぐらい日常的なものだということです。
もちろん一生に何度も起きるものではありませんが、人生で一度ぐらいは通っておくと、後が楽になります。
それは、「反抗期を今から済ませておく」というのと、似たような意味合いです。
すると「抑圧を解放すること」に変な先入観を持たなくなって、ネガティブを受け入れやすくなり、抑圧を解放できるかもしれません。
ということで今日は、般若心経は「陰と陽」(ネガティブ療法)と同じだと分かると、理解しやすくなる、というお話でした。
今日はここまで~。