今日は、宗教についてお話ししてみましょう。

仏教の宗派は、性質分類で見ると内容が分かりやすくなる、というお話です。

 

「心のあり方」をどう作るか

高共感な人ほど、精神的な悩みを抱えやすいものです。

それは、共感性を作る機能として、統合失調機能があるからですね。

統合失調機能とは、簡単に言うと「自分の持つイメージが、今の気分を上書きしてしまう」という脳機能です。

 

そしてそういう「自分のイメージや、相手の感情が、自分の気分を上書きする」から、他者の感情に共感できると言えます。

だから高共感な人ほど、「自分の心のあり方」が大切になって、それをコントロールすることが精神安定につながります

 

ちなみに低共感な人は、そういう脳機能がありません。

なので他者の気持ちも理解できないし、「なぜ悩むか分からない」となるわけです。

 

仏教は巨大すぎて分かりにくい!

そういう高共感な人の場合、宗教は一つの「心のあり方」を教えてくれる体系になりやすいものです。

 

でも、例えば仏教とか、巨大すぎて宗派がありすぎて意味不明じゃないですか(笑

例えば天台宗、真言宗、禅宗、日蓮宗みたいにいろんな宗派があって、分かりにくくて。

 

なので今日は、そういう宗派を理解しやすくなるように、仏教の宗派を性質別に説明してみようかと思います。

すると宗派をすっきり理解できて、自分に合うものをうまく取り込めるかと思います。

 

4つの性質分類(外向型と3つの内向型タイプ)

そのために今回も、いつもの4つの性質分類(外向型と3つの内向型タイプ)を使いましょう。

↑ 超高頻度で出てくる、この分類です。

 

そして宗教の教え」は基本的に、高共感側(図の上側:高共感タイプとHSPタイプ)が必要とするものです。

ですが、それでも各タイプ向けな宗派があります。

 

  • 外向型: 低共感で、なおかつ社会で生きられるので、基本的に「宗教の教え」を重視しない。だけど葬式などは必要なので、そういう特別な行事を重視する。日蓮宗にこの性質が強い。
  • 高共感タイプ: 社会で生きられる側なので、組織を作り、巨大勢力になりやすい。体系だった知識を求めるけれども、本質を理解できないので、「とにかく経典を集めて、我慢(戒律)ができて、経典を覚えている人」ほど評価されやすい。天台宗にこの性質が強い。
  • 境地開拓タイプ: 低共感なので、精神性には踏み込まない。工夫や自分軸が好きなので、同好会的なノリで、社会変革、呪術やまじないごとをメインにする。真言宗にこの性質が強い。
  • HSPタイプ: 工夫ができて本質を理解できるので、シンプルな生き方や経典を好む。禅宗にこの性質が強い。

 

以下で、それぞれについて説明してみましょう。

 

外向型は、日蓮宗を好みやすい

外向型は、基本的に低共感なので、「宗教の教え」を必要としません

だから外向型が宗教に触れるのは、基本的に冠婚葬祭の行事だけです。

そして日本の場合、結婚式は神道(もしくはキリスト教会)でやるので、「外向型が仏教に触れるのは、基本的にお葬式だけ」という位置づけになっているように思います。

 

そして仏教で言うなら、日蓮宗が外向型向けです。

そもそも外向型は、基本的に「教えの論理はどうでもいい。葬式などの行事で、誰にでも分かりやすく、幅広く受け入れやすい行事のルールがあればいい」というスタイルです。

おまけで、「もし仏様がいるなら、できだけ私を助けて。でも私はできるだけ、何もしたくないけどね」と、自力よりも他力本願でいたい欲求を持ちます。

 

そのために日蓮宗では、「人をあがめると角が立ちやすいので、お経に祈りましょう」、「この呪文を唱えれば、誰でも救われますよ」と、多くの人に受け入れやすいスタイルを取っています。

いわゆる「1つのお経」に祈るだけで、「特定の神や教祖」に祈らないので、宗教性が薄い人たちだとか、他の宗教を持っている人でも受け入れやすいわけです。

そして「細かい精神的な教え」よりも、そういう葬式の具体的な方法とか、分かりやすくて手軽な「死後の救済方法」を提供します。

だから葬式もやりやすいし、とにかく「最小限の努力で、必要な儀式ができる」という点で、強みがあります。

 

ただ、そういうスタイルなので、理屈が分かる人から見ると、その教義は「いろいろこじれてるよなぁ」と感じさせるものです。

だいたい「南無妙法蓮華経(お経のままにお任せします)と唱えているだけで、死後は救われますよ」と言っていますが、「お経にお任せするってどういうことよ?」とツッコミを入れたくなるものです(笑

 

まぁ教義はツッコミどころ満載ですが、それでも「いろんな人が来る葬式を、角なくうまくこなせればいい」という点では、日蓮宗はやはり強いように思います。

そういう点で、日蓮宗は外向型向けかな、と思います。

 

高共感タイプは、天台宗を好みやすい

共感性が高い側、つまり「宗教の教えを必要とする側」では、やはり多数派なのは高共感タイプです。

そして高共感タイプの場合、天台宗を好むことが多いでしょう。

 

天台宗は、日蓮宗と同じように、いわゆる「葬式で出てくるお坊さん」になります。

高共感な人ほど、哀しんでいる人には優しくできるし、配慮もできますからね。

なので高共感タイプにとっては、そういう「葬式に出て、哀しんでいる人に寄り添い、癒やしを与える」という点では、「葬式を行うお坊さん」は天職だとも言えるでしょう。

 

そして最も特徴的なのが、「宗教の教え」という点で、最も体系立てた教義の体系や経典をそろえている、ということです。

なので体系だった学問として仏教を学びたい場合、天台宗が一番適しているように思います。

 

巨大になりやすいから、権力も持ちやすい

ただ、この高共感タイプの宗派というのは、どの世界でも権力も持ちやすいものです。

というのも、高共感タイプは社会で生きられるので、様々な社会の行事に関わります。

だからお布施も多く得やすく、巨大勢力になりやすいからですね。

 

だから世界でも、歴史的に見ると「僧侶が武装し始めた」とか、「教皇が国王より権力を持つようになった」、「寺院が焼き討ちされた」みたいなものは、だいたいこの高共感タイプの宗派になります。

日本でも、信長に焼き討ちされた比叡山(ひえいざん)とか、上杉謙信を悩ませた一向一揆(いっこういっき)は、だいたい天台宗です。

 

「経典は多いのに、原理を理解しない専門家」が多い

で、高共感タイプは、理屈や原理を理解できません。

だから組織でも、「経典を多く覚えている人が素晴らしい」とか、「我慢ができる(厳しい戒律を守れる)人が素晴らしい」という評価になります。

 

本当は、釈迦でも「苦行は意味がない」とか「教えを理解したら、経典から離れて自由に生きなさい」と言っているんですよ。

なのに、その言葉の本質を理解せずに、「経典を多く知っている人が素晴らしい」、「厳格に戒律を守れる人が素晴らしい」と、ズレたことをしているわけですね。

そういう点でも、「経典は多いのに、原理を理解しない専門家」が多いと言えます。

 

ちなみに経典では、いろんな経典を好むんですが、やはり天台宗では日蓮宗と同じように、法華経(ほけきょう)を好みやすいように思います。

この法華経って、一言で言うと「キラキラ系」なんですよ(笑

言葉を飾って、華やかで、「悟りを得た人は、こんなにキラキラでハッピーでウキウキなエブリデイだよ! さあみんな、一緒に目指そう!」みたいなノリです(笑

だけどやはり、そういう「キラキラポジティブSNS映え系」にあこがれるのが、高共感タイプでもあるように感じます。

 

有名なお坊さんでは、最澄(さいちょう)がこれに当たります。

確かに遣唐使で唐まで行って、まじめに学んで、多くの経典を持って帰ったし、日本の仏教界で最高の地位と権力を得ました。

だけど「心のあり方」という本質は理解できずに、ずーっと悩み続けた人、というのが私のイメージです。

 

境地開拓タイプは、真言宗を好みやすい

境地開拓タイプは、真言宗を好みやすいでしょう。

そもそも境地開拓タイプは低共感なので、「心をどう扱うか」という教義なんて必要ありません。

なので真言宗では、どちらかというと何かに特化した研究とか、社会変革、呪術やまじないごとを重視します。

 

この真言宗は、私から言わせると、同好会とかサークルのノリで、「集まって好きなことしようぜ!」という集まりのように感じます(笑

実際に、いろんな突飛なことをする宗教があるのも、真言宗です。

 

有名なお坊さんでは、空海(弘法大師)がいますが、彼がまさにそういうタイプですよね。

彼も最澄と一緒に遣唐使で唐まで行ったんですが、彼は密教(みっきょう)というまじない系の宗教を学んで、経典よりも、むしろ器具をたくさん持ち帰りました。

 

で、空海は「精神的な教え」ではなく、「人々の生活をよくする工夫や改善」を社会にもたらしてゆきました。

そして空海ゆかりの「四国八十八箇所巡り」とか、もはや教義なんて関係なく、旅を楽しむような修行でしょ(笑

でもそういうのが境地開拓タイプな生き方だし、合うスタイルだと言えるでしょう。

 

HSPタイプは、禅宗を好みやすい

最後のHSPタイプは、禅宗とか、般若心経のようなシンプルなものを好みやすいように感じます。

そして実際に、こういう「禅(ぜん)」というのは、とてもHSPタイプに合った生き方だと分かります。

 

例えば禅のお寺では、「料理をする人が一番偉い」とされているんですよ。

それとか、「掃除などを細かくこなす」、「生活に必要な小物類を自分で作る」とか、「座禅をする」とか言うのも、禅のお寺ではよくあることです。

 

じゃあなぜ「料理をする人が一番偉い」のかというと、「みんなが料理をしたがったから」じゃないかと思います(笑

HSPタイプの人って、料理だとか、小物作りだとか、陶芸みたいな「細々とした指先作業」って、好きなことが多いじゃないですか。

だからみんな料理をしたがって、「偉い人が料理をできる」となったと(笑

 

そして「掃除をする」とか、「かごや収納具、小物類を自分で作る」とかも、大好きでしょ(笑

 

で、禅僧はお寺で集団で暮らしているので、やっぱり人といるのはストレスになるので、たまに縁側で一人になって、ぼーっとしたいものです。

なのでそれを「座禅」と呼んで、一人でぼーっとしているのを正当化したと(笑

 

禅には「苦行」という概念はない

だから寺で行うことを「修行」と言いますが、禅の修行には「苦行」という意味はないわけです。

むしろ禅での「修行」とは、「楽しいことをする」とか「心地よいことをする」という意味合いが強いと言えます。

 

ついでに言うと、読経(どきょう:お経を読むこと)は、現代で言うとカラオケですからね。

なので禅僧は、朝起きて、料理を楽しくして、掃除に熱中して、好きな日用品を作って満足して、お経でカラオケを楽しんで、そして疲れたら縁側でぼーっとしてくつろいで、それで一日を終えます。

で、そういう楽しく熱中できる活動を「禅の修行です」と言っていると(笑

すてきな生き方でしょ(笑

 

厳しそうなイメージは、ただのパフォーマンス

ただ、やはり世間は「厳しいことを耐え抜ける人がすごい」という評価です。

だから観光客でも来た場合、外見では「厳しいことをしている」ように見せるわけです。

 

例えば座禅でも、「修行僧が静かに座禅をして、少しでも動いたら、後ろから和尚さんが警策(けいさく:たたく棒きれ)で肩をたたく」みたいな厳しそうなイメージを見せてますよね。

でも実際は、あれはただのパフォーマンスですからね(笑

ただ、そうやって「厳しいことをこなしている」と見せたり、観光客にはゲームのように楽しんでもらうことで、お布施も多く得られるだけです。

もしくは天台宗はそういう苦行が好きなので、天台宗の座禅はそういうことをするかもしれません。

 

ですが本来の禅では、苦行をすることはありえません。

本来は、「疲れた時に、一人でぼーっとして心地よくなること」が「座禅」であり、それが「修行」だということです。

ウォーキングも禅だし、食事も制作も畑作りも、何もかも「熱中できればオールOK。それは君の人生に必要なことだよ」という意味合いです。

 

で、これがまさに、釈迦の言った本質だと分かります。

「苦行は必要ない。自由に好きなことをして生きなさい。それが修行だよ」ということです。

 

般若心経を好みやすい

そしてHSPタイプは、経典でも般若心経(はんにゃしんぎょう)のようにシンプルで、本質をついたものを好みやすいように思います。

 

ちなみに般若心経では、「色即是空(しきそくぜくう)」という概念が中核にあるんですが、これは「陰と陽」と同じ概念です。

「陰と陽」は、「ポジティブもネガティブも、どちらも大切だし、どちらにもどちらの要素を含んでいて、ニワトリと卵の関係だよ」というものです。

その「ポジティブとネガティブ」が「色(物質的なもの)と空(概念的なもの)」になっただけです。

切り口が少し変わっただけですね。

 

だからこれが分かると、すぐに「ああ、般若心経はそういう意味か」と本質を理解できるかと思います。

これはHSPタイプの特徴ですが、わざわざ全文を覚えなくても、本質を理解できるわけです。

 

そしてこれがまさに、釈迦が言っていたことだし、精神的問題を解決するシンプルな概念だと分かります。

「ネガティブでいい」と分かれば、精神的な葛藤が起きた時でも、ネガティブになれます。

すると自然と深層意識に入れて、自分の価値観を思い出せるし、必要であれば抑圧領域にも踏み込めます。

 

だから「色即是空」を理解できると、抑圧を解放できて、表層意識での葛藤から解放されて、精神的に楽になれると。

釈迦の気づいた内容を再現するための、とてもシンプルで効果的な方法だと分かります。

 

そういう点でも、やはり「本質が分かる人ほど、般若心経を好む」というのはあるように思います。

一方でHSPタイプがキラキラ系な法華経を見ると、「言いたいことは分かるけど、ちょっと飾りが強いな」と感じるかと思います。

 

まとめ

そんな風にとらえると、仏教の宗派も分かりやすいかと思います。

で、こういう性質の違いがあると分かると、いろいろ楽しめるかと思います。

 

日蓮宗は外向型向けなので、葬式などの儀式では強くて。

天台宗は高共感タイプ向けなので、学問として体系的に学ぶなら、豊富に教材があって。

真言宗は境地開拓タイプ向けなので、工夫や実利、呪術やまじないごとをしたいなら、楽しめる要素が多くて。

禅宗はHSPタイプ向けなので、楽しく生きられるし、精神的な本質も理解できると。

 

で、例えばHSPタイプは、天台宗や真言宗とも相性がいいので、それなりに学べるところもあるかと思います。

 

この辺が分かると、用途に合わせて宗派を理解できて、「宗派の違いにも意味があるんだ」と理解できて、使いこなせるかもしれません。

 

ということで今日は、仏教の宗派は、性質分類で見ると内容が分かりやすくなる、というお話でした。

今日はここまで~。

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