今日は精神的なお話です。

ネガティブでもいいよ、ということを「陰と陽」で説明してみましょう

 

無理をしない生き方=自然な生き方

最近の私は、「陰と陽」とか「完全よりも自然を目指す」いう概念がマイブームなんですよ。

で、基本ネガティブな人なのに、「ポジティブでなきゃ!」というツイートとかメッセージを見ると、「無理してるな」って感じるんですよね。

 

ちなみに、「無理をする生き方(無理をしてでも完全になろうとする生き方)」の反対が、「無理をしない、自然な生き方」かなと思います。

なので今日は、そういう「自然な生き方」についてお話ししてみましょう。

 

「自然に生きる」と「陰と陽」

以前にも話をしましたが、私は「自然に生きる」という生き方が好きなんですよ。

その場合、陰と陽の関係がとてもしっくり来るように感じます。

陰と陽って、おそらくみんな知っているであろう、古くからある「陰陽」の考え方です。

 

で、陰と陽って、「陰の中にも陽があるし、陽の中にも陰がある。陰と陽は混ざり合って構成される」ってことです。

それが、自然な生き方かなと思います。

 

例えば「活動することがいいことだ」が陽とすると、「休むのがいいことだ」が陰です。

「社会的な価値を作ることがいいことだ」を陽とすると、「社会的な価値を消費することがいいことだ」が陰になるでしょう。

「みんなのために生きるのがいいことだ」を陽とすると、「自分のために生きるのがいいことだ」が陰になるかもしれません。

 

完全を目指すか、自然を目指すか

「じゃあ、どっちがいいのか」というと、これは何を目指すかで変わります。

それが、「完全を目指す」か、「自然を目指す」かですね。

 

「陽だけがいい」と目指すのは、完全を目指す生き方です。

ポジティブじゃなきゃ、活動しなきゃ、価値を作らなきゃ、みんなのために生きなきゃ、元気じゃなきゃ……みたいに、「一つの究極な完全形態を目指す」という生き方です。

これは、決められたレールの上で競争する場合とか、競争で打ち勝ちたい場合、奪い合いをする場合に効果的になります。

ただし、強くならなきゃいけないし、ダメなものは排除しなきゃいけないし、「こうしなきゃ」という制限がたくさんあります。

なのでがんじがらめになりやすいし、自由が好きな人にとっては窮屈になりやすいと。

 

一方で「陰でも陽でもいいよ、心地よく生きようよ」というのが、自然な生き方です。

「活動してもいいよ、休んでもいいよ。作ってもいいし、ただ消費してもいい。みんなのために生きてもいいし、自分のために生きてもいい」ということですね。

で、そういう感覚だと、「休むのも心地よく活動するためだし、活動するのも、その後にゆっくりするのが心地よいからだ」となります。

ほら、一日充実して活動した後で、ゆったりお風呂に入ったり、ゆったりとお酒を味わう瞬間とか、最高でしょ(笑

 

「自然の調和でいい」という考え方

なら、「今日寝るのも明日のためだし、活動するのも休むためなので、どっちがどっちのためなのか、よく分からないや」という混濁した状態になります。

これが、「陰の中にも陽があるし、陽の中にも陰があって、混ざり合っている」ということです。

 

で、そういう揺れを許せると、自然の調和が訪れます

例えば風邪やうつで動けなくなったら、「十分に休めばいい」とできます。

「休んじゃいけない、頑張らなきゃいけない、ポジティブでなきゃいけない」ではなくて、陰の状態になっていいわけです。

そして何時間でも、何日でもぼーっと布団の中にいて十分に休めば、少しずつ何か活動したくなります。

で、その活動エネルギーを使って、自分に必要なものから満たしていくと、少しずつ陽が増えてきます。

 

そうやって、「陰と陽の波があっていいよ。どっちを味わってもいいよ」というのが、陰と陽の生き方です。

 

何のためにポジティブになりたいのか

だいたい、「何のためにポジティブになりたいの?」と言うと、多くの場合で「成功して、自由になって、好きなことをして遊んで暮らしたい」じゃないかなと思います。

で、人によっては「南の島でトロピカルジュースでも飲みながら、海でも眺めつつゆったりして、おいしいものを味わって生きたい」とかあるかもしれません。

でも、そういう「活動よりも、ゆったりしたいこと」って、陰と陽で言うと「陰」ですよね。

すなわち、「陰を味わいたいから、陽が欲しい」と言っているのと同じです。

 

「ポジティブじゃなきゃ」も同じで、「何のために、ポジティブになりたいの?」って問いかけてみるといいでしょう。

すると、「自分の存在を人に認められたい」とか、「たくさんのお金で、消費ばかりをして生きたい」とか、「ゆったりして、自分の好きなように生きたい」とかあるかもしれません。

でもそれって、思いっきりネガティブなことだと分かります。

 

ポジティブに成功して、結局何をしたいのか

これを無視して「ポジティブじゃなきゃ」とすると、「何のために人生を生きるのか」が分からなくなるように感じます。

ポジティブに成功して、結局何をしたいのか。

 

言い換えると、「ポジティブって何?」ってことです。

「休まないこと」がポジティブなの?

「落ち込まないこと」、「泣き言を言わないこと」、「不平を言わないこと」、「戦うこと」、「生産性を上げること」がポジティブなの?

 

なら、休むことはポジティブでないの?

落ち込むこと、不平や泣き言を言うこと、戦わないこと、生産性を上げずに現状維持することは、ポジティブではないの?

泣いちゃいけないの? 価値を作れない人は無価値な人なの? 自分の夢や願いから目を背けるのは、本当にダメなことなの? 生きてるだけじゃダメなの?

そう問いかけてみると、そこには何か大きく欠けている物があると分かります。

 

ポジティブとかネガティブは、一つの手段

私からすると、「ポジティブとかネガティブって、手段の一つでしかない」と感じるんですよ。

手段を目的にすると、なんかおかしなことになりそうですよね。

言うなればそれは、本当はおいしい料理を食べたいのに、「包丁をうまく使うことが大切だ」と言っているようなものと同じです。

 

包丁がうまく使えなくても、おいしい料理を食べる手段は他にいくらでもあります。

電子レンジをうまく使ってもいいし、キッチンばさみもあるし、皮むき器を使ってもいいと。

なら、「別にポジティブでなくても、ネガティブなアプローチでも、おいしいものは食べられる」と分かります。

「包丁をあきらめる」というネガティブなアプローチでも、道はあるわけです。

 

いろんな道があると分かると、ポジティブって意味不明な概念になる

なら、「休んで、落ち込んで、戦わずに、生産性を上げずに、豊かになる」という道もあると分かります。

すると、やっぱり「ポジティブって何なの?」となりますよね。

すなわち、「ポジティブでなきゃ」という発想が、自然を前にすると、とても小さく偏ったものだと分かります。

 

ただ、もちろん「包丁をうまく使う」という競争社会では、包丁をうまく使えることは大切になります。

競争が好きな人はそれでいいんですが、自分で独自の道を見つけようとする人にとっては、そういうのはさして重要ではないですよね。

 

まとめ

そういう風に考えると、「自然な生き方」が分かるかなと思います。

「陰の中にも陽があるし、陽の中にも陰がある。陰と陽は混ざり合って構成されるのでいいですよ」っていうのは、一言で言うと「どっちでもいいよ」ってことです。

それは、手段が欲しい人とか、希望が欲しい人、試行錯誤をしたい人とか、自分で道を切り開きたい人ほど、こういうスタイルが合うように感じます。

 

逆に、決められたレールの上で競争したい場合とか、そういう競争で勝ちたい場合、奪い合いをしたい場合ほど、「ポジティブでなきゃ」が合うように感じます。

それは、他者よりもより頑張ることで、競争に勝てるからですね。

 

どっちでもいいんですが、私は「自然に生きる」が好きなので、ネガティブなのも一つの手段にしています。

私は社会で競争するよりも、田舎でゆったり暮らすのが好きですからね(笑

毎日目覚まし時計なんて使わずに、自然に目が覚めて、おいしいものを作って食べて、好きに制作をして、海を眺めたり、散歩したりして、好きなように生きる。

こういうのって思いっきりネガティブですし、わざわざ競争で勝たなくても得られるんですよ。

むしろ競争の後には競争が待っているものなので、競争しないからこそ得られる生き方かなと。

 

ネガティブを受け入れられると、そういうネガティブな要素も得やすくなるんじゃないかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、ネガティブでもいいよ、ということを「陰と陽」で説明してみました。

今日はここまで~。

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