今日も精神的なお話をしてみましょう。

「自由人を目指すなら、恐怖を克服しよう!」、というお話です。

 

独立を決意する時の覚悟

ツイッターを見ていたら、こういうつぶやきを発見したんですよ。

「私は会社で雇われて生きるのには合わなかった。苦しくてたまらなかった。こんな地獄で人生の大半を過ごしたら、きっと後悔すると思った。だから好きなことで稼ぐ方向を選んだんだ。飢え死にしてもいいと思って」

すごい決意ですよね。

実は私が独立するのを決断したときも、まさにこんな風に「この道を選んだなら、飢え死にしてもかまわない」という覚悟を決めて独立をしました。

 

「大好きなことをして、お金を稼いでいく」と決断した人は、そういう風に覚悟を決めた人が多いんじゃないかと思います。

私の場合、ちゃんとした収益源と、10年ぐらいは遊んで暮らせるぐらいの余裕を持って独立したわけですが、それでも未来は分かりませんからね。

それぐらい余裕があったとしても、「飢え死には覚悟の上だ」と覚悟を決めておく必要があったわけです。

 

「飢え死にへの恐怖」を軽くするための考え方

これを考えると、「大好きなことをして生きていきたい」という人は「飢え死にへの恐怖」をきわめて大きく持っていると分かります。

「大好きなことだけをして生きていく」というのは、裏を返すと「嫌なことはしない」ですからね。

すると、大好きなことで収益が得られなくなったら、もはや「嫌なこと」には戻れないような感じがするじゃないですか。

だから、「大好きなことで稼げなくなったら、それまでだ」という恐怖を持つんじゃないかと思うんですが。

 

独立へ向けた行動を起こすには、この恐怖をできるだけ軽くすることが大切かな、とも思います。

なので、今日はその恐怖を軽くするための、一つの考え方をご紹介しましょう。

 

現代日本で「飢えて死ぬ」はありえない

で、今回は理屈から安心感をイメージしてゆくことにしましょう。

その「安心する理屈」ですが、実際のところ、「飢えて死ぬ」というのは、現代日本ではほぼありません

はっきり言って、自殺さえしなければ、生きていけます。

 

日本人の死因率(厚生労働省発表、平成21年)でも、だいたい次のような内容になってます。

blogimg-fig06-cause-of-death

 

このブログを見ている人は若い年代(50代以下)の人が多いかと思いますが、どんな年代で独立したとしても、まず飢え死にすることはありません。

あるのは「自殺」だけです。

 

だから乱暴に言うと、自殺さえしなければ、生きていけます

確率で言うと、死因の中で「餓死」というのは、0.04%ぐらいでしかありません。

まあ、強いて言うなら、交通事故に気をつけることですかね。

でも事故に遭うときは遭うものですし、残りの死因は大半が病気なので、この辺はもうしょうがないとしか言えないかなと思います。

 

今から自殺を心配する必要はない

すると、飢えて死ぬよりも、自殺して死ぬことに対して予防線を張る方が、圧倒的に現実的であり、効率的だと分かります。

特に20~30代の人は、餓死を心配するなんて全くの杞憂です。

だいたい、本当に飢えに直面すれば、それを回避しようと必死な知恵とパワーが出てくるから大丈夫なんですよ。

その前に、絶望して自殺さえしなければ。

 

で、独立する前から自殺を心配する必要はありません。

だって、今の場所に居続けても、ストレスで自殺をする可能性はあるでしょ(笑

むしろ死因「自殺」がここまで多いとなると、今の場所に居続ける方が、死亡率は高いかもしれません。

だからどっちにいたとしても、自殺する可能性は大差ないと思うんですよ。

すると、独立する前の段階での「餓死する」、「自殺する」という恐怖は、さほど意味がないと分かるんじゃないでしょうか。

 

もう一つの恐怖:「嘲笑される恐怖」

で、これが理屈で分かったとしても、まだ恐怖を感じると思うんですよ。

それはなぜか。

それが、「嘲笑される恐怖」とじゃないか思います。

 

実際に、こう考えたことがあるんじゃないかと思います。

「『大好きなことをして生きる!』と大口切って独立した。だけど全然収益が上がらなくて、年収100万円程度の貧しい状態でしかない。

そんなとき、周囲を見渡すと、多くの同級生が年収400万とか500万を稼いでいて、中には1000万以上も稼いでいる人もいる。

家を持っているし、車も持っている。結婚して子どももできて、みんなが『幸せな家庭』を作っている。

それなのに、自分だけが貧しくて、孤独で、苦しい。

たまにそういう同級生に会うと、必ず仕事や収入、家族の話になる。それが満たされていない自分が、見下されてつらい」

……みたいな。

 

「普通の人のように生きてはいけない」という人が持つ劣等感

私たちのように「普通の人のように生きてはいけない」という思いを持つ人は、こういう劣等感を根底に持ちやすいんですよ。

だからこそ、「自分のビジネスを絶対に成功させたい」という気持ちも強いんですが。

そしてだからこそ、「もしそれで成功できなければ、自分は本当に人間のくずだ。能力も価値もない、低脳な人間だと証明されてしまう」と、恐怖を感じるわけです。

これは、私自身もそう感じたことが何度もあります。

 

この「嘲笑される恐怖」が、実は私たちが感じる恐怖の主柱じゃないでしょうか。

「もし苦しくても我慢していれば、彼らのように『そこそこの豊かさ』を手に入れられる」

「最低な低脳だと嘲笑されるぐらいなら、その『そこそこの豊かさ』を持つ方がいいんじゃないか」

……みたいな。

 

奴隷根性から抜け出せば、豊かさに気づける

でも実際のところ、そういう発想自体が奴隷根性に染まってしまっている状態なんですよね。

で、これは自由人か奴隷かをしっかりと区別することで、心を保てるかと思います。

すなわち、「私は奴隷ではなく、自由人だ」という気持ちがあれば、貧しい状態でも乗り越えることができるんですよ。

 

奴隷の状態というのは、動物園にいる飼育動物のように、自由(自己責任)を明け渡して服従することで、安定的な豊かさを得られます。

我慢して曲芸をすることで、それなりの食事を飼い主から与えてもらえます。

この世界では、飼い主に服従していれば、少なくとも飼い主からは守られます。

奴隷が傷つけられるのは、基本的に飼い主の決めたことに反した場合だけです。

 

一方で自由人というのは、サバンナで生きる野生動物のように、全て自由であり、自己責任の世界です。

自分が自分の主であり、自分の意思で全てを決める世界です。

天候、季節、土地によって、大きく変化する自然の大地なんですよね。

そこでは、自分の能力だけで全てが決まる世界です。

たとえ事情があって未だに動物園にいたとしても、「ここにいるのは自分の責任だ。動物園の檻には鍵がかかっていない。だからここから出るのも自分の選択次第だ」と、自由を手放すことはありません。

 

「自由」という豊かさに気づけば、立ち直れる

これが分かれば、自由人には、大きな豊かさがあると分かります。

それが、「自由」という豊かさですね。

 

奴隷は、必ず「自由以外の物差し」で比較をします。

資産とか、年収とか、社会的地位とか、結婚とか、子どもの成績とか、家の大きさとか、車の購入価格とか、そういうものですね。

だいたい劣等感がある人は、誰も「自分が負けていること」で比較を持ち出したりしませんから(笑

新車を買った奴ほど、自慢してくるものでしょ(笑

そういう風に、「自分が優れている」と思っている点を前面に出して、他者を見下す世界です。

 

もし「見下されそう」、「自分は無能な人間なのか」と苦しくなった場合、そこでこう思うといいでしょう。

「でも、私は自由人だ」と。

この大いなる価値に立ち戻れれば、一時的な劣等感にも立ち向かえることでしょう。

 

自由人は、自由人を嘲笑しない

で、実は自由人の場合、劣勢な自由人を嘲笑することはありません

劣勢の人を嘲笑するのは、奴隷だけです。

 

自由人は、「劣勢な状態は、自由人なら誰にでもありうる」、「自分も過去にそういう劣勢を経験してきた」と分かっています。

それは、世の中には季節があるのと同じように、人にも輝かしい夏があったり、寒い冬があるのを知っているからですね。

「毎月安定して得られるという状態は、動物園の中でしかない」と分かっているからです。

ある意味、奴隷は「毎月安定して得られる」のが当たり前だと思っているから、「劣勢」イコール「劣っている」と結びつけるのかもしれません。

 

「自分は大器晩成型だ」と思えばいい

で、実際のところ、自由人は大器晩成型になりやすいように思います。

というのも、サバンナのルールに慣れるまでは、やっぱり時間がかかることが多いんですよ。

収益が低い状態で辛抱しないといけない、そういう時期があるわけです。

それは裏を返すと「自分の能力やビジネスに投資をしている状態」なんですが、それがすぐに成果として出ることは少ないんですよね。

5年、10年、15年と経って、人間性が磨かれてきたり、ビジネスが仕上がってきたりするわけです。

 

だから、「自分は後から一気に逆転するタイプだ」と思えばいいかと思います。

 

まとめ

そんな風に考えることで、「大好きなことでお金を稼ぐ」ということに対する恐怖を克服できるんじゃないかな、と思います。

餓死を心配する必要なんてありませんよと。

そして、「奴隷との比較」で嘲笑される恐怖を感じる必要もないんだと。

「自殺さえしなければ生きていける」、「自由という大きな豊かさを持つ」と分かれば、その恐怖は消えるかと思います。

すると必要なものは、ゆっくりですが、着実に手元に入ってくるようになります。

 

ちなみに自由人として生きるようになると、奴隷とはあまり付き合わなくなります。

話も現実も、全然かみ合わなくなるからですね。

奴隷は限られたパイを奪い合う競争世界で生きているので、奪い合ってばかりなんですよ。

 

逆に自由人との交流が生まれて、自由人と分かち合うようになります。

自由人は新たなパイを作る創造的な世界に生きているので、分かち合っても自分の取り分が減ることはありません。

だからどんどんと分かち合って、共に豊かになっていく世界です。

 

これが分かれば、恐怖を乗り越えて、豊かさを味わえるようになるんじゃないかな、と思います。

 

ということで今日は「自由人を目指すなら、恐怖を克服しよう!」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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