今日は、精神的なお話をしてみましょう。
「リスクの高い道を選ぶ」、という生き方についてのお話です。
「人とは違う生き方をしたい」という願望
「今とは違う生き方をしたい」と思うことって、あると思うんですよ。
でも、そういう時ほど「生きていけなくなるかもしれない」とか、「餓死したくない」みたいに、不安に思うことが多いですよね。
それとか、「ここで我慢しなくちゃいけない」とか、「逃げになるだけ。逃げ癖をつけちゃいけない」、「自分が甘いだけだ、もっと頑張らなきゃ」とか思うかもしれません。
もしくは、人に相談したとしても、そう言われたりするかもしれません。
でも、今の生き方は苦しくてたまらないわけです。
じゃあ、どうすればいいのか、ということですよね。
そこで今日は、「違う生き方」とはどういうことなのか、詳しく見てみることにしましょう。
「違う生き方」とは、「よりリスクの高い道」
結論から言うと、私たちクリエイタータイプにとって「違う生き方をしたい」というのは、「よりリスクの高い道を選びたい」ということです。
これが分かれば、「生きていけなくなる」という不安を減らせるようになります。
また、「我慢しなくちゃいけない」、「逃げになる」、「甘いだけだ」という思いも、「それは片方だけの観点だったな」と、より広い視野で物事を考えられるようになります。
すると、適切な選択ができるんじゃないかと思います。
実は、社会にいるほとんどの人が、リスクの低い道を選ぼうとします。
まぁそれは当然で、リスクが低いほど安心して生きられますからね。
ただ、世の中にはリスクリワード(リスクに対する利益の率)というものがあって、一般的にリスクが低いものほど、利益率も低くなる傾向にあります。
それは、リスクが低いものほどみんな(需要側)が殺到して競争になるので、供給側が有利になるから、値段を下げられるようになると。
簡単に言うと、「ローリスクなものは、だいたいローリターンなものですよ」、ということです。
例えば、「大手に雇われて、特殊なスキルがなくても誰でもできる仕事で、短期で、不払いもなく確実に時給を得る」なんてものは、典型的なローリスクなものです。
コンビニのバイトとか、日雇いの仕事とか、だいたい誰にでも手軽にできて安全で、支払いが確実なものほど、時給が低いですよね。
「リターンを高くする」という道もある
逆に、リスクが高くなるほど、リターンも高くなる傾向にあります。
そのリターンとは、お金だけでなく、自由な時間や充実感、楽しみ、心と体の健康、よき人脈、よき仲間、そういうものも含まれます。
すると、「人とは違う生き方をしたい」というのは、ただ単純に「リスクが高い道を選びたい」、「リターンを増やしたい」ということだと分かります。
今のリターン(得られるお金や自由時間、充実感など)では不満だから、リスクを高めることで、リターンを増やしたいんだと。
なら、「我慢しなくちゃいけない」とか、「逃げになる」、「甘いだけだ」なんて言葉は、現実の片側しか見ていないものだと分かります。
確かに「リスクが低い道ほどよい」という価値観から見ると、安全な場所で、リターンが低くても我慢するのがいいことでしょう。
そして、その我慢比べから出ることは逃げになるし、我慢をしないことは甘さだととらえられるでしょう。
リスクは知恵や技術で下げることができる
でも、「リターンが高いほどよい」という価値観から見ると、正反対になると分かります。
というのも、リスクは知恵や技術を身につけることで、対処できるようになりますからね。
学んで、自分の能力を向上させて、いろんなものを自力でできるようになって成長すれば、リスクはどんどん低くできます。
例えば自炊ができれば、安価な食材さえ手に入れば、生きていけるわけじゃないですか。
すると、リスクが現実になることで収入額が少々減ったとしても、それに対応して生きることができます。
もし鶏とかを飼っていたり、野菜を作れたり、安く食べ物を譲ってくれる農家の知り合いがいたり、そういう農家と知り合う方法を知っていたら、さらにリスクに対応できるようになります。
他にも、自分で作ったものを売れる能力とか、価値を高める考え方、ビジネスを作る戦略力、発想力、行動力、成功や失敗の経験、そういうものもリスクを下げる要素になるでしょう。
なら、能力を身につければ身につけるほど、もっとローリスクにできて、「生きていけなくなる」、「餓死したくない」という不安が減ると分かります。
すると、「愚かなこと」とは何を指すのか、分からなくなりますよね。
「リスクが低い道ほどよい」という人にとっては、その道から出ること自体が「愚かなこと」だと言うでしょう。
でも、「リターンが高いほどよい」という人にとっては、能力を身につける機会があるのに、それをせずにただ無意味に我慢をし続けて、一生を終えることを「愚かなこと」だと判断するでしょう。
能力を身につけることで、リスクはコントロールできるんですから。
まとめ
なので、「今とは違う生き方をしたい」というのは、ただ単純に「よりリスクが高い道を選びたい」というだけでしかありません。
それを「愚かなことだ」とするのは、リスクが低い道を是とする人たちだけです。
実際にリスクが高い道を選んでいる人からすると、全く愚かなことではないと分かります。
そういう知恵を求める人にとっての「愚かなこと」とは、「知恵を使わずに生きること、そのものだ」と感じるかもしれません。
私の場合、「我慢して生きる」なんてできませんでした。
私は自由な時間が欲しいし、充実して生きたいし、健康も、仲間も、そしてお金も、どれも欲しいという欲が強い人ですからね(笑
優先順位からすると、私は「自由」が一番で、充実感、健康、ファンや仲間、お金と続くので、やっぱりそういう順で満たすようにしています。
なら、見栄とか簡単に手放せますし、逆に知恵を身につけることに重点を置けるようになると。
それが分かれば、「リスクの高い道を選ぶ」という選択肢もあると分かります。
すると、「なければ自分で作る」とか、「買う方が安くて早いのに、なぜコストをかけて自分でやるのか」という意味も理解できるんじゃないかと思います。
それは、長期的なリスクリワードで考えているからですね。
リスクが高い場所では、リスクを減らすことも大切ですし、利益率や費用対効果を高めることも大切なんだと。
「安心」も、一つの見えない資産ですからね。
リスクが高い場所で生きる人ほど、「ただ我慢する」というのは重視せずに、むしろ知恵を大切にするんじゃないかと思います。
ということで、今日は「リスクの高い道を選ぶ」、という生き方についてのお話してみました。
今日はここまで~。