今日は、生き方のお話です。
「なぜ人間は、幸せホルモンを常時出さないの?」と問いかけられると、ネガティブ側を受け入れられる、というお話です。
オキシトシンは素晴らしいものなのか
ちょっとした記事を、部分的にご紹介。
「オキシトシン=幸せホルモン」は人間では証明されていない…”脳科学”を持ち上げるメディアの罪深さ(President Online)2ページ目
タイトルはアレですが、内容は「オキシトシンは、幸せホルモンだ」という内容に疑問を呈しているものです。
で、そういう「気分が落ち込んだら、薬でハッピーになればいい」という考え方に、疑問を投げかけていると。
なら、なぜ幸せホルモンを常時出さないの?
まぁこのブログでもよくこういうことを言っていますが、私もまさに、こんなスタンスですね。
実際に、世の中では「オキシトシンは、幸福感を出すホルモンだ。素晴らしい」という紹介をされていることが多いものです。
でも、よくよく考えてみましょう。
「オキシトシンとか、脳内の幸福ホルモンがそんなに素晴らしいものなら、なんで常時出さないの?」ということです。
ここを考えると、ネガティブ側を受け入れられて、「幸せ」に対する考え方が変わるかと思います。
幸せホルモンを常時出す人は、絶滅する
じゃあ実際に、「なぜ人間は、幸せホルモンを常時出さないの?」ということを考えてみましょう。
この答えは簡単で、「そういう人は、すでに絶滅してしまっているから」でしょう。
これは考えるとすぐに分かりますが、自然界はいろんな変動とか危険があります。
気象変動があったり、肉食獣がいたり、毒を持つ草とか虫もいたりするものです。
時には、同類の人間ですら、自分に害を与えることもあるわけで。
だから、簡単に死んでしまう
そんな中で、「あははー、私、ミラクルハッピーラッキー! 世の中お花畑! 私の脳も、お花畑!」とか言って浮かれるばかりの人がいたら、そりゃもう簡単に死んでしまうでしょう(笑
もちろん安全な場所では強迫観念を抱く必要はありませんが、「常時幸せホルモンを出す」なんて、滅びへの道だと分かります。
それは、「自然や現実のメカニズムが理解できていない」とも言えるでしょう。
だから、基本的に「オキシトシンを出しさえすればいい」みたいに、「これさえすればいい」と考える人は、滅びに向かっているわけですね。
実際に、そういう人ほどどんどん苦しくなって、衰退したり、自殺しているんじゃないかと思うんですが。
ポジティブもネガティブも、同じようにいい
じゃあどういう発想がいいのかというと、それが「なぜ人間は、幸せホルモンを常時出さないの?」と問いかけることかなと思います。
すると、「ポジティブがいい」のではなく、「ポジティブもネガティブも、同じようにいい」と分かって、いろいろ手段を変えられそうに思います。
実際に、「なぜ人間は、幸せホルモンを常時出さないの?」と自分で考えると、「ハッピーではない方が、生き延びられることもある」からですよね。
不安を持ったり、恐怖を感じたり、警戒心を持つ方が、時にはいいこともあるわけです。
もちろん幸福感を味わう時間も、重要です。
これはある意味、「どちらが重要か」ではなく、「時期や状態によって、重要なことが変わる」ということです。
「陰と陽」で考えよう
私が好きな概念で「陰と陽」というものがありますが、まさにそれです。
「活動することがポジティブで、寝ることはネガティブ。なら、ネガティブになっちゃいけないの?」ということですよね。
でも、心地よく幸せに生きるには、「ぐっすり寝て休んだら活動的になればいいし、活動して疲れたら、ぐっすり寝ればいい」と分かります。
寝ることが活動性を生む原因にもなるし、活動することが寝ることを生む原因にもなる、そういう関係です。
ネガティブなのも、幸せ
そういうスタイルだと、「オキシトシンは幸せホルモンです。どんどん出しましょう!」と言っている人って、なんだかとても不幸そうというか、不自然じゃないですか。
だって、それは「私は寝ることはダメだと思います。活動しなきゃいけないんです!」と訴えているのと同じなんですから。
ある意味、私からすると、ネガティブなのも、幸せなわけです。
実際に、「心地よく疲れた後で、心地よく寝る」みたいな瞬間って、最高に気持ちいいでしょ。
私はじっくり活動するのも好きだし、布団で暖かく寝るのも好きですからね。
「季節は巡る」という感覚で生きる
こういう、「これさえすればいい」という方法論は、よくあるものです。
「カレーに含まれる、この成分が身体にいい」と判明すると、「カレーさえ食べていれば、元気が出る」とか言い出したり。
「筋トレをすれば、テストステロンが出て、積極的になれる」と判明すると、「筋トレさえすれば、積極的になれる」と言い出したり。
「S&P500がずっと値上がりしている」と分かると、「S&P500を買いさえすれば、お金持ちになれる」とか言い出したり。
でもそこには、「季節は巡る」とか、「状態は変わる」、「陽があれば、陰もある」という前提が欠けているように思います。
「なぜ落ち込んじゃいけないの?」、「なぜ消極的じゃいけないの?」、「なぜお金が常に最高の価値を持つと思うの?」
すると、「そうではない方が、価値があるし、生き延びられる状況も、豊かになれる時もある」と分かるものです。
まとめ
そんな風に、「これさえすればいい」という絶対的な方法論は、私の中ではあまり合わないように思います。
そうではなくて、「季節は巡る」という感覚で生きる方が、豊かさを作りやすいように思います。
なので、1つの方法論を得たときに、その対極を含めたものを考慮してみるのもいいかなと。
陽の側を試してみて、ダメなら陰の方を試してみる。
陰で限界が来たら、今度は陽を試してみる。
そうやって、季節が巡るように、ころころと変えていくわけですね。
それは、自己矛盾をするわけではありません。
よく「一貫性を持て」とか言いますが、「自然に生きること」に一貫性や統一性なんて、必要ないように思います。
実際に、「夏には薄着をして、冬が来たら厚着をする」ということに、一貫性を持たせる必要なんてないんですから。
同じように人生でも、矛盾を抱えていいし、反対方向に向かってもいいんですよ。
実際に、ネガティブに休むのが心地よい時期もあれば、ポジティブに活動するのが心地よい時期もあると。
そういう感覚を持てる方が、究極の方法を見つけ出そうとするよりも、うまくいろんな身近な手段を選べて、豊かに心地よくなれそうに思ったりもします。
ということで今日は、「なぜ人間は、幸せホルモンを常時出さないの?」と問いかけられると、ネガティブ側を受け入れられる、というお話でした。
今日はここまで~。