ここ最近は心理的抑圧についてよく語っていますが、今日もそういう心理的なお話です。

抑圧のメカニズムで、いろんな心理現象を説明してみることにしましょう。

 

精神構造が理解できると、「不可解な心理現象」を説明できる

人間の精神構造が理解できると、世の中にあるいろんな「不可解な心理現象」を説明できるように思います。

なので今日は、そんな今まで説明できなかった細かい心理現象を、いろいろ紹介してみましょう。

 

その説明のために、私が提案している精神構造図を使います。

ちなみに見やすくするために、少し修正しました。

↑ これから高頻度で使いそうな予感がする、この図ですね。

 

私たちの精神は、次の3つの柱で構成されています。

それが、「自分の価値観」、「他者の価値観」、「代償欲求」の3つですね。

そしてそれぞれの価値観に対して、「ポジティブ」と「ネガティブ」という状態があります。

 

抑圧を持つ場合の、3つのメイン状態

私たちはこの中の、どれかの状態である、ということです。

そして抑圧を持つ場合、次の3つの状態であることがほとんどです。

 

  • 「他者の価値観」のポジティブ: 親や社会が評価することを実行する。一般的に言う「ポジティブ」がこれに該当。
  • 「代償欲求」のポジティブ: 気晴らしや憂さ晴らしをして、心地よくなる。
  • 「代償欲求」のネガティブ: 自己否定をしたり、うつになる。一般的に言う「ネガティブ」がこれに該当。

 

それじゃあ以下で、ひとつひとつ細かな心理解説事例を見てみましょう。

 

「自分の価値観かどうか」を見分ける方法

私たちはよく、「これは自分の価値観かどうか」で分からなくなることが多いものです。

例えば「私は旅が好き」という場合でも、「それが現実逃避のものなのか、代償欲求で憂さ晴らしをしているだけなのか、分からない」ということがあります。

 

その場合、「多めに摂取して満足できるかどうか(足るを知るかどうか)」で両者を見分けられます。

例えば私たちは、ゲームをしたり、SNSに触れたり、旅をしたり、お酒を飲んで気晴らしをしますよね。

 

その場合、例えば多めにゲームや旅をして、「ああ、満足した」とお腹いっぱいになれる場合は、それは「自分の価値観」だということです。

一方で、「どんなにゲームや旅をしても、満たされない」という場合、それは「代償欲求」になります。

これはある意味、ゲームや旅に対して依存的である、と言えるでしょう。

 

まぁもちろん、この両者は価値観なので、重なり合うことがあります。

「自分の価値観でもあるけど、代償欲求でもある」という場合もある、ということですね。

例えばゲームをする場合、「ストーリー部分は、自分の価値観なので大好き。だけどそれ以外は現実逃避のための手段でしかない」みたいなこともあり得ます。

 

「自己否定をポジティブにする」という行動

人によっては、「元気になるために、自己否定をする」ということもあります。

つまり、「ポジティブな自己否定」(代償欲求のポジティブ側)というものもある、ということですね。

 

ほら、たまに「私はダメな奴だから」と笑って、自己否定をしている人がいるじゃないですか。

それとか、「自分は生きるのに向いていない人だから」、「私は無価値な人間だから」と言って、納得して今までの状態に居続けているわけです。

 

これらはすべて、「代償欲求のポジティブ」に該当します。

だって、そうやって自己否定をすることで、自分の中にある混乱を鎮めて、かりそめでも元気になれるからですね。

つまり、自分の気分をごまかすために「私はダメな奴だから」と言うこともあると。

ある意味、「生きるため」というポジティブになります。

 

だいたい本当に「自分は無価値な人間だ」と思っているならば、うつ状態になったり、強くなるほど「死のう」となるものです。

言い方を変えると、「完全に言葉と行動が食い違っていて、混乱している。こじれている」とも言えます。

だから、気分を上げるための自己否定もある、ということです。

 

まぁどちらにしろ、その自己否定はごまかしでしかないので、しばらくすると本当に「代償欲求のネガティブ側」に落ちて、苦しみます。

 

「悪魔のささやき」は代償欲求のポジティブ

抑圧を持つ場合、たまに「悪魔のささやき」みたいな現象を持つ場合があります。

それは多くの場合で、「反社会的なことをしろ」という内面の声ですね。

「暴力で黙らせろ」だったり、「破壊しろ」、「盗んでしまえ、嘘をつけ」とささやいたり、時には自傷や自殺へのささやきもあるでしょう。

そしてその悪魔は時に、言葉巧みに「できないのか?」と私たちを挑発してまで、それをさせようとします。

 

その「悪魔のささやき」も、代償欲求のポジティブ側だと分かります。

それは、そういう破滅的なことをすることで、憂さ晴らしができるからですね。

 

実際に、「ポジティブが外部を変えること、ネガティブが内面を変えること」だとすると、それらはとても外面を変えるポジティブ側だと言えます。

だからより正確に言うと、例えば自殺でも、「ポジティブになるから自殺をする」と言えます。

自己否定やうつはネガティブで、内面を変えるだけですからね。

 

実際に、自殺は「楽になりたい」から行うものです。

それって、とてもポジティブ側だと言えます。

 

自殺に至るまでのより正確な流れを説明すると、最初は「代償欲求ネガティブ」で、強い自己否定を引き起こすのがきっかけになります。

で、その反動で強い「他者の価値観のポジティブ」になり、瞬間的に「評価されなきゃ!」と強く願います。

だけど「それが実現できない」と分かるから、さらに瞬間的に強烈な「代償欲求のポジティブ」に移行します。

 

そうして強烈なポジティブ(外部を変える行動)となって、「最も効率的に楽になれる方法」を求めます。

で、他の手段がすでに断たれている場合、それが他者に向けられると破壊や暴力、自分の肉体に向けられると自傷や自殺になります。

 

だから「悪魔のささやき」的な現象は、「代償欲求のポジティブ側」になると言えます。

そういう風に、3つの状態でめまぐるしく揺れ動いている、ということですね。

また、そうやって「めまぐるしく揺れ動く状態」を「混乱」と呼べるでしょう。

この混乱の解決方法は、また後日に改めて説明します。

 

「代償欲求のポジティブ」は「必要悪」とされやすい

この精神構造は、人間の内部だけでなく、社会にも当てはめられます。

つまり、社会でも不健全な社会になるほど、「他者の価値観のポジティブ」、「代償欲求のポジティブ」、「代償欲求のネガティブ」という状態があります。

 

例えば「他者の価値観のポジティブ」は、政治や一般的な会社の価値観と言えるかもしれません。

「代償欲求のポジティブ」は、ギャンブル業界だとか、タバコ・酒業界、性風俗・ポルノ業界みたいな、依存的だったり、憂さ晴らし的な要素が強い業種になります。

「代償欲求のネガティブ」は、殺人や環境汚染などの、様々な社会問題になりえるでしょう。

 

そして「代償欲求のポジティブ」という状態は、社会では「必要悪」とされやすいように思います。

 

これは、一般的には生産的か非生産的か、区別しにくいからのようにも思います。

例えば個人レベルでも、「買い物をして、憂さ晴らしをする」という依存的な行動があっても、それが生産的か非生産的か、よく分かりません。

「買い物をする」というのは、積極的な行動です。

でも、その中には「依存的である」という破滅的な内容があります。

 

そして社会に属する限り、大なり小なり我慢をする必要があります。

特に社会の中心側になるほど、必要とされる我慢量は多くなります。

だから社会レベルで見ると、社会の中心になるほど、どうしても「代償欲求のポジティブ」側は手放せません

 

そういうこともあって、「代償欲求のポジティブ」は、世の中では「必要悪」とされやすいように思います。

もしそういう「必要悪」を弾圧しても、世の中から代償欲求はなくならないし、むしろ社会のゆがみは大きくなるようにも感じます。

それは、「他者の価値観」でストレスを抱えている人に、「代償欲求をやめろ」と言っているのと同じですからね。

 

「心の中の天使と悪魔」のポジション

たまに物語でも、「心の中で、天使と悪魔が言い争う」って場面がありますよね。

天使は「正しいことをしなさい」と清らかなことを語り、悪魔は「悪いことをして、欲望を満たせ。どうせ分かりはしない」と誘惑します。

そして主人公は、その両者の板挟みになって悩むんですが。

 

これが、私たちの抱える「悩み」の象徴のようにも思います。

 

詳しく見てみると、これは「他者の価値観のポジティブ(天使側)」と「代償欲求のポジティブ(悪魔側)」の対立だと言えます。

天使は「社会が評価することをしなさい」と言って、悪魔は「社会なんてくそ食らえ。自分を満たして何が悪い」と言います。

 

ですが、この両者はどちらも主人公をだましています。

天使の裏には「主人公に、より多くの苦しみや我慢を押しつける」、悪魔の裏には「それが根本的な解決にならずに、憂さ晴らし的な行動でしかない」という、欺瞞(ぎまん)があります。

 

つまり、どちらも自分の価値観で判断した内容ではない、ということですね。

繰り返しますが、私たちの価値観は「自分の価値観」、「他者の価値観」、「代償欲求」の3つで構成されます。

それを「他者の価値観か、代償欲求かという2択」に狭めて見せているのが、悩みの本質のように思います。

 

そして、「他者の価値観」を消せば、「代償欲求」も必要ないと分かります。

つまり抑圧を解放すれば、「その2択で悩むこと自体が無駄だ。そもそも方向性からして違う」と分かる、ということですね。

これが分かると、方向性自体を再検討できるでしょう。

 

「自分の価値観」に従う方向性であれば、どちらを選んでも「ま、それもいいか」とできます

例えば意味ある制作をする場合でも、「もっと作りたい」、「でも疲れたから寝たい」という対立があっても、私たちは「どちらでもいい」と分かります。

それは、どちらも自分を満たすものだからです。

 

これが分かると、「迷いの解決方法は、抑圧そのものにある」と分かるかと思います。

 

まとめ

ちょっと長くなったので、ここで一区切りとしておきましょう。

まだ結構いろんなことを説明できるので、それはまた明日か、後日にでも。

 

この抑圧解決シリーズは、できるだけ早めに終わらせたいんですけどね。

でも、なかなか語ることが多くあって、もうちょい集中的に語るかと思います。

 

ということで今日は、抑圧のメカニズムで、いろんな心理現象を説明してみる、というお話でした。

今日はここまで~。

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