いや~、昨日の記事であの文章量を書くと、さすがに今日は気力を使い果たしている状態です(笑
なので今日は、簡単な人間心理のお話です。
「目からウロコ体験」は、別視点を持てると得やすい、というお話です。
「目からウロコ体験」を得る方法
「目からウロコ体験」って、心地よいですよね。
例えば「現実はそんな風になっていたのか!」とか、「これはこういう原理で動いていたのか!」と分かると面白いものです。
それだけでなく、自分が抱えている問題に対して目からウロコを味わえると、希望が持てます。
それは、その知識や原理を使えば、「より現実をよくしてゆけそうだ」と分かるからでしょう。
なのでこのブログでも、そういう目からウロコ体験を味わえるような内容を重視して書いているんですが。
で、そういう「目からウロコ体験」を得たい場合、「不可解なこと」に対して別視点を持てると得やすいように感じます。
するといろんな目からウロコ体験ができて、楽しみつつ問題解決ができるかもしれません。
世の中には、「不可解なこと」が多い
世の中には、「不可解なこと」って多いじゃないですか。
例えば最近で言うと、「中二病」みたいな現象って、なぜそんなことが起きるのか、不可解ですよね。
それとか抑圧を抱えた人でも、「ありのままの自分を受け入れて欲しくて、相手をどこまでも否定してしまう」みたいな、不可解な心理現象があるものです。
他にも、不可解なことは多くあるものです。
「なぜあの人はあんな風に行動したのか」とか、「なぜこれがあるのか」、「なぜこう動くのか」、「なぜこういう形になっているのか」みたいに、いろいろあるかと思います。
だけど多くの人が大人になるにつれて、そういうものを「世の中とはそういうものだ」と常識にしているようにも思います。
もちろんそうやって常識にすることで、細かいことを考えずに、気楽に生きられるものなんですけどね。
現状を打破したい場合、目からウロコを重視する方がいい
でも何らかの問題を抱えていたり、現状を打破したい場合、常識よりも目からウロコを重視する方がいいと分かります。
だって、私たちが現実を適切に把握していれば、現実的に対処できて、着実に現実を変えられますからね。
言い換えると、なぜ現実を変えられないのかというと、それは私たちが「思い込みを持つから」じゃないかと思います。
自分の思い込みが現実とは食い違っていて、現実を誤認しているから、私たちは「こうしたいのに、なぜか実現できない」という「不可解なこと」を抱えていると。
だから、どんなに対処しても、現実を変えられないと。
なのでそういう場合、「目からウロコ体験」をすることで、より現実を適切に把握して、現状を変えられると分かります。
新たな可能性が欲しい場合も、目かウロコ体験が役立つ
それだけでなく、新たな可能性が欲しい場合も、目かウロコ体験が役立つと分かります。
よくよく現実を見てみると、私たちの周囲には不可解なことだとか、理由が分からないことなんて、山ほどあると分かります。
つまり、「未開拓の境地で、私たちが新たに開拓できる新境地」なんて、いくらでもその辺に転がっている、ということです。
そしてそれは、可能性の宝箱みたいなものです。
「新たに発掘できる宝箱」は、その辺にいくらでも転がっているんだと。
ただ、多くの人がそれを「それが常識だ。世の中はそんなものだ」としていて、気づいていないだけなんですよね。
「不可解なもの」を別視点で見る
で、目からウロコ体験をしたい場合、そういう「不可解なもの」に対して別視点を持ってみるのがいいように思います。
これは、立体で考えると分かりやすいかもしれません。
立体で考えると、「見えない側に回り込む」という感覚です。
例えば富士山でも、私たちが静岡側から見るのと、山梨の山側から見るのとでは、形も雰囲気も違うと思うんですよ。
いやまぁ、私はその近辺に住んだことはないので、あくまでたとえ話ですが(笑
すると、静岡に住んでいる私たちの中で「富士山はこういうもの」という思い込みがあった場合、山梨側に回ると「あー、こっちから見ると、こう見えるのか!」と、新鮮に気づきます。
もしくは登山をするにしても、静岡側のルートが苦しい場合、山梨側のルートの方が楽だと気づいたり。
そして、「あぁ、こういうアプローチをすればいいだけなのか」と、思わず笑ってしまったり。
こういうのが、目からウロコ体験のように思います。
平面から立体でとらえてみよう
つまり、私たちの思い込みが「平面」だったとすると、目からウロコ体験は「立体」としてとらえられるようになる、ということですね。
だから、より現実を理解しやすくなる、ということです。
ほら、よく迷ったときに、「あの人ならどう考えて、どう行動するだろう?」とかイメージすることがあるかと思います。
これは、「立体ではないけれども、別の平面(他者の思い込み)を得ようとしている」と言えます。
だからそれは、違う目線を得るにはいいんですが、その目線も1つの思い込みでしかないので、最高の解決策ではないように感じます。
最高なのは、目からウロコで、立体で把握できることですよね。
すると、「あぁ、あの人はこういう立ち位置から見ていただけなのか」とすぐに分かるし、別の立ち位置の人もすぐに理解できるようになります。
つまり、現実をより適切に理解できるし、ぐっと「不可解なこと」がなくなってゆきます。
そしてこういうのが、本質をつかむことだろうと思います。
知恵を元に判断する
で、こういう本質が理解できると、知恵が得られるように感じます。
例えば人間関係でも、「これは自分の問題なのか、相手の問題なのか」で分からないことが多いですよね。
「被害者が危険エリアを無防備で歩いていたのが悪いのか、加害者が攻撃したのが悪いのか」とか、「ニワトリがいるのが問題なのか、卵があることが問題なのか」みたいなものは多いものです。
それを俯瞰的に見られるようになると、「性質の違いで、認識の食い違いが起きている」とか、「変化にはサイクルがある」とか分かるかと思います。
ある意味、「性質」とか「波やサイクル」という要素の組み合わせで現実を把握できると。
なら、自分に合うように取り込むことで、自分をより豊かにしてゆく流れです。
まとめ
そんな風に、「目からウロコ体験」というのは、「不可解なこと」に対して別視点を持てると得やすいように感じます。
そして「不可解なこと」というのは、私たちが抱えている問題だったり、興味ある「よく分からない現実や現象」だったりと、すぐ身近にあるものです。
すると、身近にあるものを可能性の宝庫にできて、楽しく人生をよくしてゆけるかもしれません。
ということで今日は、「目からウロコ体験」は、別視点を持てると得やすい、というお話でした。
今日はここまで~。