今日は、心理仮説のお話です。

「自閉症」と「統合失調症」の違いを、私なりに対比して説明してみることにしましょう。

 

(注意次項)

なお、今回の説明は私の中での仮説に過ぎません。

科学的な根拠はないし、検証もしたわけでもないのでご注意ください。

 

あと、高共感な人にとっては、「自閉症」という、共感性とは異なる精神的な内容を取り扱うので、ご注意ください。

今回はあまり気楽に読めるような内容ではないので、疲れた時には読まずに、気を引き締められる元気がある時にどうぞ。

「不用意に共感しないようにしよう」と警戒した上で、今回の記事をお楽しみくださいませ。

 

自閉症と統合失調症

精神的な問題としては、私の中では「自閉症」と「統合失調症」が2つがあるように思います。

で、統合失調はこのブログでも、過去の本でも取り上げたことがあるので、結構慣れ親しんでいるように思います。

いや、慣れ親しんでいるのがいいことなのかどうかは分かりませんが(笑

 

でも私にとっては、自閉症って少し縁が遠いものだったんですよ。

私は小中学校で公立に通ったんですが、公立では「なかよし学級」みたいな名称で、自閉症の子を見るクラスがありますよね。

私の場合、それぐらいでしか接点がなかったと。

それで、「自閉症って何だろう? どういうメカニズムなんだろう」ってずっと思ってたわけです。

 

それで、ようやくこの両者の違いを説明できるようになったので、その内容を仮説ですが語ってみようかと思います。

 

外向型と、3つの内向型タイプ

私がよく用いる性格分類で、4つの性質(外向型と、3つの内向型)がありますが、今回もこれを用います。

これは、次図のような分類になります。

 

そして今回は、この上下の軸を使います。

で、上側(高共感タイプ、HSPタイプ)で極端になるほど統合失調症的になって、下側(外向型、境地開拓タイプ)で極端になるほど自閉症的になる、というのが私の推測です。

 

これは、次図のようになると言えるでしょう。

 

統合失調症と自閉症の違い

統合失調症と自閉症の違いを一言で言うならば、「ミラーニューロンの働きが強いか、弱いか」かなと思います。

そしてミラーニューロンは、主に「共感性」と「時間の概念」を持っています。

なぜミラーニューロンが「共感性」や「時間の概念」を担うのかは、長くなるのでまた別の機会に説明するとしましょう。

 

これを簡単に言うと、「統合失調症は考えすぎる、自閉症は短絡しすぎる」ということです。

だから統合失調症は、「いろんなリスクを考えすぎて、思考でオーバーヒートして苦しむ」と言えます。

一方で自閉症は、「複数の要因を考えられずに短絡行動をしすぎて、周囲からの圧力に苦しむ」と言えるでしょう。

 

統合失調症的な人の性質

統合失調症的な人、すなわち共感性がきわめて高い人ほど、時間の概念が強くなります。

つまり、「つい未来を考えてしまう」というタイプですね。

これはより未来に準備することで、未来を安全に生きられますが、「今を楽しめない」という犠牲も持ちます。

 

そして思考で強く感情を制御できるので、「本当は感情を出したいのに、理性が勝って出せない」ということが多くあります。

なので、その性質によって「共感性が高い人ほど、抑圧やコンプレックスを持ちやすい」とも言えるでしょう。

これも、「感情を意思で強く制御できるけど、だからこそ抑圧を持ちやすい」というトレードオフ(利益のために犠牲を持つこと)になります。

 

で、共感性が高い人は、より多くの要因を考慮して思考できます

実際にこういうタイプが悩む場合、「これが原因かも。これも原因になるかも。あれも原因かも」と、いろいろ悩んだり、ループしちゃうでしょ(笑

そしてその要因には「過去の過ち」も含まれるので、過去の経験にも縛られやすいと。

 

だから統合失調症的な人は、「複雑な思考ができるけど、複雑な思考によってエネルギーを消耗しやすいし、結論や行動になかなかたどり着けない」というトレードオフになります。

だけど、様々なリスクがある環境では、誰よりも安全を確保して生き抜ける性質を持ちます。

 

自閉症的な人の性質

一方で自閉症的な人、すなわち共感性がきわめて低い人ほど、その逆になります。

共感性が低いので、相手の感情を感じ取れません

だから、自分のことしか語れないし、相手の立場や感情を考慮してコミュニケーションできないと。

 

また、時間の概念が薄いので、未来を考えられません

常に「今を生きる」になります。

 

そして思考で感情を制御できないので、思考が行動に直結してしまいます

自閉症の人が「ぴゃっ!」とすぐに奇声を発したり、こだわりを行動に移しやすいのも、思考が行動に直結してしまうからですね。

 

特に自閉症で、境地開拓型(上図の右側)の性質を持つ場合、いろんな個性的なこだわりを持って、それをすぐに行動に移します

ちなみにHSPタイプ(共感性がある境地開拓型)でも、本当は行動したいこだわりがあったり、時には奇声を上げたい欲求もあるんですが、「周囲から奇異の目線で見られるので、やめとこう」と自制できます。

でも、「自閉症で境地開拓型」という場合は、自制せずに行動するわけです。

 

だから、普通の人からは「自閉症の人は、奇異の行動をしたり、繰り返し行動やこだわりを持つ」と思い込まれやすいわけですね。

実際は、HSPタイプもそういう衝動は持つことが多いんですが、HSPタイプはそれを隠しているだけなんだと。

 

「思考の短絡」という特徴

で、自閉症では「短絡の思考」も特徴的です。

複数の要因を考えるのではなく、要因を短絡化・簡素化することで、思考にエネルギーを費やさずに、素早い決断と行動に移せます。

だから、この短絡化が見事に合致すれば、計算の天才のように、「一瞬で高度な計算ができる」という才能になります。

ただ、思考の短絡化は、「別の要因もある」と考慮できないので、複雑な事情については考えられません。

 

そういう点で、自閉症の人は「考えずに短絡行動をしすぎて、周囲からの圧力に苦しむ」と言えるでしょう。

ただ、動物的な反射行動が必要となる、そんなリスクの高い場所では、誰よりも生き抜ける性質を持ちます。

 

統合失調側は、疲弊することで短絡を起こしうる

ちなみに統合失調症の人でも、疲弊しすぎることで「短絡的に行動してしまう」とか「他人の感情を感じ取れなくなる」、「未来を考えられなくなる」みたいな場合があります。

それはあまりにも考えすぎて、疲れ切っているから、「これ以上考えられない」と短絡行動に移す、ということです。

だから、自閉症の人と、「疲れ果てた統合失調症の人」は、似たような行動になることがあります。

 

ですがそれは、「短絡行動」が本来の性質ではなく、「考えすぎたり、我慢しすぎて疲弊しすぎていること」が原因です。

表面的には同じような行動に見えても、根本性質はまったく違う、ということですね。

 

絶滅させないように作った、生命のシステム

面白いのが、この両者はまったく正反対の性質なのに、どちらも「社会では生きにくく、リスクが高い場所や、辺境の地で生きやすい」ということです。

私の中で、これは「リスクが高い環境や時代を、どう生き抜くのか」ということで作り出した、生命のシステムのように思います。

そして、自閉症的な人は動物的なスタイルで、統合失調的な人は思考・予測的なスタイルで、それぞれ生き抜こうとする戦略かと思います。

 

生命は、できるだけ絶滅させないように、様々なリスク対策を施しています。

だから、「予測できる(周期的な)リスクが頻発する時代や環境」では、統合失調症的な人が生き残れます。

逆に、「予測できない(不規則な)リスクが頻発する時代や環境」では、自閉症的な人が生き残れます。

 

そのために、生命はある一定数を、そういう「特殊な性質」としてわざわざ作っているように思います。

つまり、その性質にも意味がある、ということですね。

ただ、安定した時代や、変化のない社会ほど、それらの性質は苦しみになりやすいだけで。

 

なので、こういうタイプが心地よく生きるのは、「社会ではなく、辺境の地に出ること」じゃないかと私は思ってます。

そこで、境地開拓が好きなら新たな境地を開拓したり、社会で生きるのが好きなら社会維持を担うと。

 

まとめ

そういう風に考えると、自閉症と統合失調症の違いが分かるんじゃないかと思います。

私の中では、どちらも「生命の絶滅リスク対策」によって生まれたものだと思ってます。

それは異常なことではなく、むしろ生命として必要な「絶滅を避けるための、余白(遊び)の部分」だということですね。

 

そういう点でも、こういうタイプは「効率がすべて」という環境は合わないように感じます。

まぁ境地開拓型の人は効率を好むこともありますが、それは「自発的に作る効率」が心地よいのであって、「周囲から押しつけられる効率」は苦しいでしょ。

だから、こういうタイプの人ほど、「効率社会」とか「競争社会」は合わないように思います。

 

そして、比較的自由にできる緩やかな環境で、自分にとってやりたいことを追い求める方が、心地よく生きられるように思います。

そういう点でも、「社会」よりも「辺境の地」に象徴される場所の方が、生きやすいんじゃないかなと思います。

私の中では、自閉症は狩猟文化的で、統合失調症は農耕文化的なものが合いそうに思います。

 

そういう「辺境の地で、自分に合うスタイルで、マイペースに生きる道もある」と分かると、自分の性質をうまく発揮できて、心地よく生きられるかもしれません。

 

ということで今日は、「自閉症」と「統合失調症」の違いを、私なりに対比して説明してみました。

今日はここまで~。

 

おまけ:自閉症と統合失調症を、アーティストの違いで言うならば

自閉症と統合失調症を、アーティストの違いで言うならば、こんな感じになるかと思います。

統合失調症的:鬼束ちひろ、Cocco

自閉症的:たま、ジミー大西

 

鬼束ちひろとかCoccoって、明らかに「考えすぎ、配慮しすぎ」なタイプで苦しむ歌詞ですよね(笑

で、自分はすごく配慮して生きているのに、周囲は自分勝手に動くと。

だから、「世界は腐敗している」と感じたり、「信頼があると思っていたのに、裏切られる」と嘆き苦しんだり、そういう「独善的な周囲」に対して恨みや復讐心、攻撃性を持ったりすると。

そうして病的なまでに象徴性を高めたのが、彼女たちだということですね。

 

一方で、だいぶ古いバンドですが、「たま」という自閉症的なバンドがあるんですよ。

例えばこれの「さよなら人類」という歌詞なんて、まさに自閉症的です。

感情を制御できずに、感情を爆発させてしまって、恋人のように扱っているおもちゃをなくしてしまったり。

「みんなは木星に行けるほど頭がいいのに、自分はサルだ。サルにはなりたくないけど、サルになるしかない」と落ち込んだり。

 

世界観のある漫画で言うと、鳥取砂丘さん(「境界線上のリンボ」)が統合失調症的で、つくしあきひとさん(「メイドインアビス」)が自閉症的だと言えるでしょう。

両者はどちらも独自のファンタジックな世界観ですが、鳥取砂丘さんは優しい心の交流を重視して、一方でつくしさんは生々しくえぐい生命の脅威を重視すると。

だから、高共感な人が軽い気持ちで「メイドインアビス」を見ると、痛い目を見てしまうわけですね(笑

 

自閉症的な人が作る作品は、「生々しい、えぐい」という特徴があるので、高共感な人はあまり合わないように思います。

逆に、私とかは、鳥取砂丘さんのような優しい作品は大好きだったりします。

 

その辺も分かると、「いろんなスタイルがあるんだな」と分かって、現実をとらえやすくなるし、自分に合うものを見つけやすくなるかもしれません。

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