今日は、楽しんで生きる感性についてお話ししてみましょうか。
「私ってアホだなー」と思いながら、楽しんで生きる道もある、というお話です。
「楽な道」を通らないという生き方
私は楽しいことをして生きているんですよ。
そしてありがたいことに、おかげさまで本とか写真加工技術、ゲームも売れて、少しぐらいゆったりしても生きられる状態でいられています。
でも、なんか「まだペースを落とす時じゃないな」という感じがするんですよ。
もう少し走っていたいな、みたいな。
で、そういう自分を振り返ってみると、「私ってアホだなー」と思うわけです。
だって、普通の人のように、適当に作業をして、適当に遊んで、適当に生きることだってできるんですよ。
そして死ぬ間際になって、「まぁこんな人生か」と言いながら死んでゆく。
そういう「楽な生き方」だってあるんですから。
それなのに、わざわざ自分からしんどい方に走って向かっているわけですから(笑
時々自分を振り返って見ると、「楽をすればいいのに、バカなことをやって」と思う自分がいます。
だいたい、「楽しいことをして生きる」っていうこと自体が、世間一般から見たらアホなことですよね。
ひょっとすると、「まだ私はやれる。やれたはずなのに」と言いながらでは、死にたくないのかもしれません。
へとへとに疲れ果てて、「うおー、もうやり尽くしたぞ-! 満足!」と言って死にたいのかもしれません。
やりたいことがアホほどある現状から見ると、それは明らかに不可能なことなんでしょうが、それでもできる限り走り続けていたいと。
ある種、それは不器用な生き方なのかもしれません。
でも、それはそれでいいと思うんですよ。
「私ってアホだなー」と笑いながら、楽しい道を選べばいいんじゃないかと。
「みんなが言っている正しいこと」を信じない
私の長所の一つは、「人が全然歩いていない道でも入ることができる」ってことでしょうか。
先例がないような生き方でも、結構気楽に飛び込んじゃうんですよ。
「誰もこの先の道を通れた人はいない」という道でも、「本当かな?」と、自分で確かめに行かなきゃ気が済まないんですよね。
で、実際に行き止まりで、「なるほど、ここは行き止まりか」と知るわけですが(笑
でも、まれに「誰も通れない」と言われる道で、実は抜けられる道があるんですよ。
「あれ? ここ、通れるやん」みたいな。
一度でもこの快感を知ると、もうやめられなくなるんですよね(笑
だって、「ここも抜けられるかも、ここも行けるかも」と思うと、どんどん試行錯誤をして、抜け道とか抜ける方法を探すようになるんですよ。
すなわち、クリエイティビティーを発揮するようになる、ということですね。
ただ、多くの人が、「この先は通れないよ」と言われると、「そっか、通れないのか」と、そのまま信じているような気がします。
そして、「みんなが通っている大通り」しか歩けなくなるわけです。
だいたい、そういう道は大渋滞なんですよ。
でも、「みんなが通っているから、きっと通れる。安心」と自分に言い聞かせながら、全然進まない道にいると。
「私は間違っていない」、「私は正しい道を歩いている」と信じながら。
それは確かに間違わない道なんでしょうけど、願いを叶えるという点においては、どんどん実際に間違ってみる方が圧倒的に早いんじゃないかと思います。
それは言い換えると、「みんなが言っていること」すなわち「正しいこと」を信じない、ということですね。
正しいことを信じないから、「私ってアホだなー」と感じるわけです。
でも実際は、そんなアホである方が、どんどん抜け道を見つけられるかと思います。
まとめ
そんな風に、あんまり「みんなが言うこと」とか「正しいこと」は信じない方がいいんじゃないかと思います。
それは確かに面倒で、不器用な生き方になるでしょう。
自分から行き止まりに入っていって、抜けられるかどうかを確かめて、ダメだったら引き返す……こんなの、この情報化社会では、どこからどう見ても非効率ですよね。
誰よりも最短で情報を得て、最短距離で、最も広い道を最前線で通れる情報を手に入れる方が、早いと思って当然なわけですから。
でも、私の感覚では、そうではないような気がします。
そもそも、「みんなが言う」ってなっている時点で、最前線ではありえませんからね。
すなわち、「みんながいいと言っている最短情報」を得れば得るほど、時間がかかってしまうと。
逆に、「みんながダメだと言っている遠回り」を、自分で実際に歩いてみるほど、実は短時間で実現できると。
そういう不思議な法則があるような気がします。
だから、「私ってアホだなー」と思いながら、今日もいろんな道に入っていたりします。
これが結構進めて、楽しいんですよ。
そういう生き方もあるということで、お話ししてみました。
ってことで、今日はここまで~。