今日も、生き方のお話です。
14歳ぐらいの反抗期で自由を封じられるから、抑圧を持ち続けるのではないか、という仮説のお話です。
「認められなきゃ、認められたい」という思いへの対処方法
ここ最近、抑圧とか思い込みについて語ってますよね。
私たちは、幼い頃からの抑圧を持っているものです。
抑圧とは、「親の期待通りにしなきゃ」とか、「周囲の期待に背いてはいけない」、「周囲から認められなきゃいけない」みたいな思い込みのことです。
すると、大人になってもそういう「認められなきゃ、認められたい」として動いてしまうことで、いろんな苦しみが出てくるわけです。
自分に合わないことで認められようとしたり、それでも我慢して頑張ってしまったり。
そして、拒絶が怖くなったり、恐怖や不安になって動けなくなったり、過去の失敗や恥、苦痛がフラッシュバックとして出てきて苦しむわけです。
だから、「抑圧をなんとかしたい」、「自分の価値観で生きたい」と感じるようになるんですが。
抑圧システムは必要なもの
でも、自然を考えると、こういう抑圧システムそのものは必要なもののように感じます。
というのも、幼い頃は生きる力がないので、周囲に合わせなければいけないこともあるものです。
まだ力のない段階では、生命は生き延びること最優先ですからね。
だから幼い頃の生命は、自分を押し殺してでも生き延びることを優先します。
なら、「抑圧を抱えること」が自然なら、どうにかして「後でその抑圧を、自然と解消できるシステムがあるはずだ」と分かります。
もしそうでないと、共感性を持つ人間は、大人になっても苦しむばかりですからね。
そしてそのための「人間に備わった、自然な抑圧解放システム」として、「14歳ぐらいからの反抗期」があるように思います。
つまり私たちは、「14歳ぐらいからの反抗期で、現代のシステムでは自由(反対側の価値観に行くこと)を封じられてしまっているから、抑圧を抱え続けてしまう」と言えるように思います。
「反抗期」というシステム
よくよく考えると、この「反抗期」というシステムは、とてもうまくできていると分かります。
「反抗」と言うのは、「他者の価値観とは別の方向に進んでみる」ことを意味します。
それによって、自分と他者との価値観を切り分けて、「自分はここまでが自分だ」と境界を理解できるようになるんですから。
これは特に、共感性が高い人に意味があります。
というのも、共感性とは「相手の気持ちを、あたかも自分のことにように感じてしまう機能」のことです。
すると、相手の気持ちや価値観に共感してしまうほど、それが「相手の価値観」なのか、「自分の価値観」なのか、分からなくなるんですよね。
高共感で病んでいる人にはよくある、「自分と他者の境界が分からない」という現象です。
特に、自分軸を持つ人ほど、そういう「他者の価値観と、自分の価値観が分からなくなること」が苦しみを生みます。
だから共感性の強い人で、自分軸を持つ人ほど、「同じ人とずっと一緒にいると、どんなに好きでも、ある時急に距離を取りたくなる」という現象が起きやすいように思います。
それは、自分軸を持つからこそ、境界を作るために距離を取らなきゃいけないからですね。
「自分が持つ価値観」に対して、あえて反対側に進んでみる
まぁそんな風に、高共感な人ほど、「自分と他者の境界が分からないし、価値観をごっちゃにしてしまう」という現象を持ちやすくなります。
そういう場合、いろんな「自分が持つ価値観」に対して、あえて反対側に進んでみるとどうでしょう。
すると、「あ、こっちの方が自分に合う。私はこっちの方が居心地がいい」と発見することもあります。
それによって、「そっか、これは他者の価値観だったんだ。私の価値観は、こっちだったんだ」と、ごっちゃになった自分と他者の価値観を判別できます。
そして14歳頃というのは、狩猟採集時代で言うと、ちょうど自力で生きられるようになる時期です。
14歳ぐらいって、ちょうど中2ぐらいですからね。
だからその時期に、自然と「自分の中にある価値観に逆行してみて、どの価値観が自分に合うのかを判別する」というシステムが備わっているんだろうと思います。
実際に、「中二病」みたいな言葉があるように、その時期は「他の世界観や生き方、価値観(設定)」を取り込みやすい時期でもあります。
つまり、精神的な自立に適した時期だし、他の世界観に移行しやすい時期なんだと。
そうすることで、「自分の中にある他者の価値観」を手放せて、自分なりの価値観や判断で生きられます。
つまり、「周囲に認められなきゃ、生きていけない」という、それまでの観念を手放せるわけですね。
そして「自分の価値観で生きよう」と方向性を決められるし、実際に生きる力が備わる時期なので、次第に「自分の価値観でも生きられる」と自信を持てます。
現代の「反抗期」という概念は、感覚的にズレている
だから、現代で言う「反抗期」という概念は、ちょっと感覚的にズレていると分かります。
本来は「自分の中にある価値観に逆行して、自分と他者の価値観を区別する」ことを言います。
つまり、「親に反抗するのではなく、自分に反抗している」わけです。
だけど現代では、親の視点でその現象を定義してしまったので、「親に反抗している」とされてしまったと。
なので、「反抗期は、親や周囲に対する反抗が目的だ」、「反抗期は迷惑なだけだ」、「反抗期はない方がいい」と誤解されてしまっているように思います。
実際に、主婦の人でも、「うちの子は反抗期がほとんどなくてよかったわ~」と笑っている人がいますよね。
でも、この原理を知ると、「反抗期がない方がいい」というのはちょっと恐ろしいことだと分かります。
だってそれは、「自分と他者の価値観が区別できない。境界が理解できない」ということですから。
特に高共感な子ほど、「親が楽をして、子が未来に苦しむ」ことを意味します。
反抗期は、親には見えない形で出ることもある
確かに、反抗期が「合う、合わないが明快で、ごく短期で収まる」とか、「親には見えない場と形、方向性で出る」ということはあります。
例えば高共感な親が「相手を傷つけることを言ってはいけませんよ。自分も傷つくからね」と教えていたとしましょう。
そして子も高共感な場合、反抗期になると、親のいない場所で、友人に傷つけるようなことを言うわけです。
そこで傷ついた友人の反応を得て、その哀しい感情に共感して自分も苦しくなって、「あぁ、相手に傷つくことを言っちゃいけないな」とすぐに理解することもあると。
なら、親から見ると、「反抗期がない」ように見えますよね。
だけど、それは「反抗期がない」のではなく、「違う場や形、方向性で出ている」と言えます。
そして問題なのは、現代では、その反抗期に自由を封じられていることじゃないかと思います。
その時期って、普通に「今までの親子関係を続ける時期」でしょ。
家から出ることもないし、出ることを許されないと。
下手をすると、高校でも同じ親と一緒に暮らさなきゃいけないぐらいで。
すると、高共感な子ほど反抗を封じられて、「自分と他者の境界が分からない」、「本当の自分の価値観が分からない」、「自信がない」となりやすいように思います。
そういうこともあって、「反抗期」と呼ぶのではなく、「価値観の区別生成期」と呼ぶ方が、合っているようにも思います。
まとめ
なので、14歳ぐらいの反抗期で自由を封じられるから、高共感な人は抑圧を持ち続けているように感じます。
抑圧システムそのものは悪いものではなくて、反抗期に抑圧を解放できないのが問題なんだと。
それが、大人になってからの「認められなきゃ、認められたい」という願望を作っている原因じゃないかな、と思います。
そういう場合、シンプルに「今から反抗期を作る」というのも一つの手かなと思います。
つまり、今までの価値観に逆行してみるわけですね。
言うなれば、「ネガティブ側」を突き進むイメージです。
ポジティブが「今までの(自分と他者の価値観がごっちゃになった)自分」だとすると、ネガティブ側は「そうではない側」です。
すると、ネガティブ側に進んで、「これが自分に合う。合わない」を重ねると、自然と本来の自分の価値観が見えるようになります。
「自分に合うネガティブ」の反対(ポジティブ)側が、「他者の価値観」だと判断できますからね。
なら、「もうこの価値観は手放していいんだ」と分かって、ムダな武装解除をできて、自分に必要なものだけを持って歩けます。
そういう「余計なものを背負わない歩き方」が、健康的な生き方じゃないかな、と思ったりもします。
ということで今日は、14歳ぐらいの反抗期で自由を封じられるから、抑圧を持ち続けるのではないか、という仮説のお話でした。
今日はここまで~。
(余談)14歳前後の反抗期の子には何を与えればいいか
ちなみに14歳ぐらいの反抗期の子には、私の中では「ファンタジー物語を与える」が代用品としてはいいんじゃないかと思います。
次点で、「寮生活やホームステイをさせたり、親戚の家に住まわせる」という移住系もアリかなと。
現実を考えると、やはりその頃の子に「完全に自由を与える」は難しいように思います。
中学生ぐらいで自由を与えるのは難しいし、高校進学を見送らせるのも問題ですからね。
その場合、「ファンタジー物語を与える」というのが、まずは「自分の中にある価値観への反抗」の代用品として使えるかと思います。
それは、ファンタジーとは「別世界」を具現化したものですからね。
そんな別世界に触れることで、既存の価値観を取っ払えて、「新たな世界に触れたい。新たな世界の仕組みを学びたい」という欲求を満たせます。
また、様々な主人公の価値観に触れて、主人公の生き方をなぞることで、「この価値観はここでは有効。ここではダメ」みたいに疑似体験できます。
つまり、主人公を通して、「反抗」を疑似体験できるわけですね。
特にこれは、高共感な子ほど有効になりそうに思います。
高共感な子ほど、空想の世界にのめり込みやすいですからね。
むしろ、自由にさせるよりも、より「自分が認識できる世界像」を広げられるかと思います。
次点で、「寮生活やホームステイをさせたり、親戚の家に住まわせる」というのもいいかと思います。
自分軸がない子の場合、厳しい方がいいかなと。
逆に自分軸を持つ子ほど、自由な環境の方がいいように思います。
実際にイギリスでは、厳しめの全寮制の高校に入るのが、社会維持的なエリート階級の定番ですからね。
まさに、ハリー・ポッターみたいなイメージです。
そういう形にするのには、やはり意味があるように思います。
そうすることで、新たな世界に触れて、いろいろ試せるように思います。
ただ、反抗期以外では、そういう移住系は精神的負担になりうるので、注意が必要かとも思います。
まぁそんな風に、「抑圧を抱えたこと」自体はさして問題ではなくて、むしろ「反抗期に解決のポイントがある」と分かると、抑圧への対処方法も分かりやすくなるかもしれません。